かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

麻薬のようなカジノの甘い快楽と陥穽を偲ぶ、告白録「熔ける」

2014-09-01 00:50:35 | 本/小説:日本
 先の8月21日の新聞報道によると、厚生労働省研究班の調査で、わが国でギャンブル依存症の疑いがある人が推計で536万人に上ることが発表された。
 成人男性で438万人(8.7%)、女性で98万人(1.8%)いた。成人全体で4.8%である。他の国や地域での同じ調査では、成人全体で、スイスが0.5パーセント、米ルイジアナ州で1.58パーセント、香港で1.8パーセントとあるから、日本は突出している。
 ギャンブル、賭博といえば、すぐに思いつくのはカジノ(カシノ)である。日本にはカジノはないのに、ギャンブル依存症とみられる人がなぜ多いのか。というのは、日本には全国の各町にパチンコ店があるのでわかるように、簡単で気軽にパチンコやパチスロができることが大きな要因のようだ。日本人は、ギャンブル依存症になりやすい性質なのか。いや、パチンコは気軽にできるがゆえに依存症に陥りやすいのだろう。
 日本から導入されて、韓国にもパチンコが流行拡大した時期があったが、その広がる社会的弊害を苦慮し2,006年より法律で禁止となった。台湾は禁止されている。

 *

 僕は基本的には、ギャンブルが好きな性質だと自覚している。
 競馬、競艇、競輪もやった経験がある。会社に入った年、初めて買った馬券がダービーで、200円が1万円以上になるというビギナーズラックを経験した。
 競艇も、佐賀に帰った時に唐津に何度か行ったし、競輪は地元の武雄で行ったこともある。いずれも勝つことはあっても勝ち続けることは難しいことと、自分の努力では如何ともし難いと悟り、幸いにもすぐにやめて病みつきになることはなかった。
 パチンコは学生時代には時々やったが、指で球をはねる手動式から自動射出の電動式になってからはゲームの面白さが感じられず、その後は1度もやったことはない。

 しかし、30代から40代にかけて麻雀に熱中した。その頃は、麻雀は世界で最も面白いゲームだと思った。相手かまわずやったし、メンツがいない時は友人とフリーで雀荘に出向いたりもした。つくづく、麻雀を学生時代に覚えなくてよかったと思った。学生時代に夢中になっていたら、僕の青春時代は変わったものになっていただろう。
 麻雀に熱中していた時代は、ウイークデーには仕事が終わったあと会社の連中と、週末は当時住んでいた世田谷の地元の仲間とやった。メンツが3人まで集まったが、あと1人というときは、それらしい候補者に電話をしまくった。携帯電話がなかったときなので、自宅にいない時はもうなすすべはない。
 メンツが足りないため、メンツの1人がいつも通るはずの帰宅路の道沿いの喫茶店の2階で見張って、待ち伏せしてまでやりたかった麻雀。あんなに熱中していたのに、今ではまったくやらなくなった。
 なぜだか自分でもわからない。まるで熱い恋が冷めたように、憑き物が落ちたように、卒業したという感覚である。麻雀の快楽は、やはり一緒に囲むメンバーに左右されるだろう。

 台湾を旅していたときは、台北の華西街の路地裏の路上で、卓球台ぐらいの台を男たちが囲んで行っているサイコロ賭博に出くわした。
 白線で6つに区切られた台の上には、張られた(賭けられた)現金の札が無造作に置かれている。しばらく見ていると、胴元の男が茶碗の中に3個のサイコロを入れて、それを振って転がし、賽の目を当てるだけの単純な賭博だった。群れに紛れて僕も賭けに参入し、最後に大した額ではないが勝ち逃げしたのだった。

 ヨーロッパを旅していると、あちこちにカジノが存在しているのに気付く。
 僕が初めてヨーロッパを旅した時、ポルトガルのリスボンの郊外のエストリルという町にカジノがあるというので、好奇心いっぱいでそこへ行った。1974年のことで、映画でしか知らないカジノの世界に足を踏み入れて、胸が躍った。
 カジノの館は、まだ上流階級の社交場の雰囲気を醸し出していて、男はスーツにネクタイ、女性はドレスアップしている人が多かった。来ている男たちがアラン・ドロンやショーン・コネリー、あるいはリノ・ヴァンチュラに見えたものだ。男が一緒に連れている女は皆美人で、男の情婦のように見えて仕方がなかった。
 その後、フランスのエクス・レ・バンでカジノに行ったが、ちょっと遊ぶ程度だった。

 決定的なのはマカオのカジノでのことだった。
 このときは、香港がまだ英国領で中国返還期限の1997年前に行っておこうと思って、1993年に香港に行った際に、マカオまで脚を伸ばしてカジノに行った。その時は、バカラよりももっと単純なサイコロ丁半博奕である「大小」をやった。
 最初は、時刻は夕方から気軽に始めたのであったが、思いもよらぬ、翌日の早朝になるまで、何も飲食すらせずに10時間以上やり続けることになってしまった。さらに、仮眠した後その日も午後からカジノに入ってしまった。つまりマカオの2日間どっぷり賭博に浸かってしまったのだった。もう頭の中は、そのことしか考えられなくなっていたのだ。
 実はもう少し詳しく言うと、そこで賭けをやり始めて、初めは負けていたが後半盛り返し僕は大勝ちしたのだった。もう夜中なので、上気分でホテルの部屋に帰ろうとした。カジノの会場のあるビルの上階が部屋だった。部屋に帰る前に、見物がてら、鼻歌交じりでカジノの会場を一巡した。
 そして、何を思ったのか、いや、魔がさしたのか、1度だけ、また別のディーラーがやっている「大小」の台でチップを賭けたのだ。遊びのつもりの1度が、運のつきだった。
 そこからの僕は、明らかに理性を失ってしまっていた。体は熱くほてり、おそらく僕の目は血走っていただろう。時間の観念もなくなっていた。
 博奕のジェットコースターを味わい、僕は博奕が何たるかを知らされた。つまり、大勝ちしたはずの僕は、いつしか帰国する日までの最低の滞在費以外、全部使い果たしてしまったのであった。今にして思えば、その時クレジットカードを持っていなくてよかった。
 以下に、その時の、博奕に打ちのめされた時の状況を、自著の「かりそめの旅」から長いが一部を抜粋してみる。ギャンブルに陥った時の心情がよくわかる。

 *

 まだこのあと旅が残っている。帰国は二日後だ。現金はないが、その滞在費のためのわずかな金がトラベラーズチェックで残っている。残高は、贅沢しない程度の二日分の宿泊費と食事代。これぐらいの理性は残っていた。
 私は、ひっそりと澳門(マカオ)の船着場へ向かった。夕暮れ時の、香港へ戻る船は静かだった。

 告白すれば、昨晩勝って帰ろうとしたとき、澳門に通っている知人の顔が浮かんだ。
 その彼は、澳門での主にカード(バカラ)のルールと勝つコツについて、酒を飲みながら楽しそうに語った。私はふくらんだポケットのチップを握りながら、私もこれから澳門に通うことになるだろうなと考えた。それはそれで、とても楽しいことのように思えた。
 勝てば旅費や滞在費はもちろん、次の旅費だって賄えるのだ。それに、酒池肉林の豪遊の快楽だってついているかもしれない。負けたところで、次に勝てばいい。勝負がほぼヒフティーヒフティーの確率なら、勝ったり負けたりだ。だとすると、大損することはそうそう考えられないと思った。
 しかしギャンブルは、そう穏やかに事を進ませはしない。生産的価値を捨象した偶然性がもたらす利益が、平穏で至福の時間を簡単に与えてくれるはずがない。もし与えてくれたとしたら、それは次の段階の喪失への撒餌にしかすぎないのだ。

 私は昨晩から今日の午後までで、博奕のすべてを味わったのだと思った。
 昨晩勝った時点で、幸せな気持ちでホテルの部屋に帰ったとしよう。それでも、私は翌日、すなわち今日だが、またカジノへ行っただろう。そしたら、今日はどうしただろうか。
 今日は、負けたとしたら……。負けだしたら、いくらかでも取り返そうとするだろう。負けが込んだら、さらにつぎ込むことになる。勝った分はもちろん、財布の中が空になるまでやるのは、昨日と今日とで、よーく分からされた。昨晩(から今日にかけて)の悲劇が、一日延びるに過ぎないだろう。
 もし、今日も勝って日本に帰ったとしたら……。最初に僕の頭をよぎったように、この甘い快感が忘れられず、長くおかないで私は再び澳門に行くであろう。次の澳門訪問でも勝ったとしたら、また次も行くであろう。大金をつかむと、小金を賭ける気はしなくなる。賭け金は大きくなるだろう。しかし、そう勝ちは続かない。いつか負ける。賭け金が大きくなるということは、負け金も大きくなるということである。負けるとそれを取り戻すために前より多くをつぎ込むことだろう。負けを取り戻すために、賭け金は肥大化するだろう。そして、すべてを吐き出す。
 ギャンブルに勝ち逃げはない。勝てば勝つほど、吐き出す(負ける)量も多くなる。そして、最後の鉄槌が打ち込まれるまでやるのがギャンブルの魔力で、落とし穴だ。
 私は、それを昨日一日で知らされたのだ。今日は、その確認だった。
 ギャンブルというものの本質を知るには、昨日の負けだけでなく、今日の駄目押しが必要だったのだ。中途半端に今日少し取り戻したり、ほどほどの負けではいけなかったのだろう。それを知るには、ポケットが空になるまで、すなわちすべてを失わないといけなかったのだ。
 これまでも、ポルトガルやフランスでカジノへは行ったけれど、ギャンブルをやったという感覚はなかった。勝ったといってもわずかなもので、ポケットマネーで少し楽しんだにすぎない。
 遊ぶのなら、わずかな金で捨てたつもりでやるのがいいと人は言う。しかし、それではギャンブルのアドレナリンが出ずっぱりの高揚感は味わえないだろう。わずかな金だったら面白くないし、ギャンブルとはいえないのだ。
    ――「かりそめの旅」(岡戸一夫著)「喪失の香港、澳門」より。

 *

 2011年、大王製紙の前会長が、7社の連結子会社から106億8000万円もの借金をし、辞任に追い込まれ、翌年、裁判にて有罪判決をおったことを覚えている人も多いだろう。
 「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」(双葉社)は、2013年6月刑が確定した後の11月に発行された、その大王製紙の前会長(その少し前に社長を辞任)の井川意高がギャンブルにはまったまでのいきさつを書いた半生記である。
 著者の井川意高も、もともとギャンブルは好きだったと書いている。といっても仕事をかまけてギャンブルをやるというのではなく、麻雀をやる程度であった。
 カジノに行って、少し狂い出した。いや、大いにと言っていいだろう。
 本書で、彼は告白的に率直にその成り行きを綴っている。
 「カジノに行き始めた当初、せいぜい私は100万円単位の勝負しかしなかった。
 2011年4月以降、私はほとんど毎週のようにマカオへ出かけてバカラをやり続けることになる。金曜日の夕方に仕事を終えると、その足で羽田空港へ向かう。金曜日の深夜にはマカオ入りし、ほとんど眠らずに勝負をし続ける。」

 毎週のようにマカオに通うようになる彼の心情は、僕にはよくわかった。金額の桁が違うとはいえ、ギャンブルにハマるとはそういうことだと思った。
 僕はマカオでの1日で、正確に言えば2日間でカジノの喜怒哀楽のすべてを味わい、カジノに打ちのめされた。その後カジノに行く機会があっても、多くを賭ける気はしない。初めて行ったポルトガルのエストリルの時のカジノへの幻想は消えてしまったのだった。
 実際、その後2001年の旅でのモナコのモンテカルロでは、カジノに入ったものの、ちょっと遊んだ程度で建物の鑑賞を味わうに終えた。モナコのグラン・カジノの建物はパリのオペラ劇場を設計したガルニエの作だけあって、内外ともにクラシックでとても洗練されていた。(写真)
 アムステルダムでは、カジノを見つけその入口まで行ったが、中には入らず帰ってきた。

 「熔ける」では、筆者である井川はギャンブルが依存症という病気であることをも言及している。
 WHO(世界保健機関)も、「病的賭博」という項目を設けている。そして、本書で、アメリカ精神医学会によるギャンブル依存症の特徴を10項目あげている。井川はその中で自分に当てはまるとして、自分が病気であると認めている。
 彼は、以下のように自己分析している。
 「そう言われてみれば、ギャンブルをやっている時の私は脅迫気質そのものだ。現地で20時間プレイできる時間があるとして、前半の10時間で億単位の勝ちに終わったとしよう。「残りの10時間はゆっくり食事をし、酒でも飲みながら過ごそう」とは考えない。「今までの10時間で種銭が倍になったのだ。あと10時間プレイすれば、今持っているカネがさらに倍に膨らむかもしれない」と考える。
 後半の10時間で負けが込んでしまったときにはどうするのか。「最終的に負けてしまったとしても、くやしさはあっても、もったいなくはない。最後までプレイできればそれで本望だ」と考える。「今回のプレイが負けに終わったとしても、来週ふたたびカジノにやって来てプレイの続きをやればいい」という考え方だ。

 また、彼はパチンコ依存者についても次のように語っている。
 「私には、パチンコやパチスロにハマって破滅する主婦の気持ちがよくわかる。可処分所得をはるかに上回るカネをパチンコやパチスロにつぎこみ、サラ金やクレジットカードから上限まで金を引っ張り、最後は法外な金利を取る闇金からもカネを借りてしまう。本人の支払限度額をはるかに超えたとしても、「何とか勝負に勝ちたい」という強迫観念にとらわれて、どこまでもギャンブルを続けてしまう。」
 彼は言う。
 「金額の多寡はともあれ、ギャンブル依存症に陥る人間の心理はまったく同じだ。たまたま億単位のカネを動かせる立場だったがために、私のギャンブル依存症は数百万円どころかケタをいつくも飛び越えてしまっただけだ。」

 ギャンブルには、アドレナリンの快楽がついてくる。しかし、それは奈落とのコインの裏表のようなものである。その魅力、あるいは魔力は、人間がハマる落とし穴と言えよう。
 最初からギャンブルや賭け事なんてと思う人には、あまり意味を持たない話かもしれない。
 しかし、安倍政権の成長戦略では、観光立国を目指しカジノ構想があるが、日本にできたらどうなるのだろうと考えてしまう。

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