中国近代化の象徴とも思える上海は、資本による都市化の波に覆われながらも、その表層の隅々には、変わらぬ人々の生活が息づいていた。
新しい都市化のうねりと古くからの土着の生活が共存し、混沌としたエネルギーが塵埃に紛れて流れていた。
10月16日、朝目が覚めると、ホテルの部屋の窓は鈍い光を帯びていた。上海の朝は、もったりとしている。喉の違和感はない。
日本を出発するとき気になっていた喉の痛みの不安は、昨日上海に着き気分が高揚するにつれて快方に向かったようだ。いや、喉の不安などに構っておれなかったという言い方が当たっている。
空港を出て一人ホテルに着くまで、半ば意味不明の漢字の氾濫のもと、目の前にあるこの街の機能を認識し、理解することに懸命だったのだ。初めての国の初日は、いつも緊張と不安が伴うものだ。
磁浮(リニアモーターカー)や地下鉄の乗り換えに伴う售票処(チケット売場)や検票口(改札口)の探索や現在地の確認など、苦闘を強いられたのだった。
起きてベッドの上に座り、昨晩街角の果物屋で買ったリンゴを囓り、そして、やはり街角のコンビニで買ったパンと牛乳を口にした。
急ぐ旅ではない。どこへ行く当てもない。だから、ゆっくりと朝食を部屋でとった後、昼近く2階の部屋から階下のロビーに下りていった。カウンターのスタッフの若い女の子が笑顔を送ってくれる。
僕がにっこりしていると、バチバチと大きな甲高い音が外で轟いた。すぐに、爆竹だと分かった。長崎のチャイナ祭りで経験しているのだ。
何があったのだろうと、急いで外に出た。僕の泊まっている青年旅舎(ユース・ホテル)の道の向かい側は、この2階建ての旅舎よりはずっと豪華だがごく平凡な建物の飯店(ホテル)が建っていて、そのホテルの玄関の前で赤い蝶結びのような紙をひらひらさせながら、まだ爆竹が音と煙を上げていた。
爆竹が静まりかえるやいなや、玄関が開き10人ほどの男女が出てきた。みなお洒落している。その中で、中心にいた蝶ネクタイの髪の薄い中年の男が白いひらひらとしたシフォンのロングドレスの若い女性を抱きかかえると、それを見計らって、すっと黒塗りの車が玄関前に入ってきて止まった。女性の衣装はウェディングドレスだった。そうだ、結婚式なのだ。
運転手が車の後部ドアを開くと、男性は抱えていた女性を中にそっと入れた。2人を囲んでいた人たちから拍手が起こった。
車には、ピンクのリボンが結ばれ、車体の前頭部のボンネットの上には、2つのキティちゃんの縫いぐるみが座っていた。
車が走り去り、見送る人たちもいなくなったホテルの玄関前は、爆竹の燃えかすの赤い紙の残骸が散乱している。
*
あっけなく終わった祭りの後を見定めて、そのまま外へ出て道を歩いた。
道は大きく、この界隈は小さな店が軒を並べているが、田舎町のように閑散とした印象を持たせる風景だ。人通りも少ない。
ガイドブックに載っている華やかな上海の街とはほど遠い。
歩き始めてほどなく、道に面した家の開けはなされた戸から、若い男が黒い大きな鍋を握ってチャーハンを炒めている姿が目に飛び込んできた。同時に、白い湯気と美味しそうな臭いがした。小さな食堂だ。鍋と湯気と臭いにつられて、思わず、その店の中に入った。
ちょうど昼飯時なので、店はいっぱいだ。店内をきょろきょろと見渡しながら僕が入っていくと、店の客の視線が僕に集まった。みんな近所の常連客なのだろう。見慣れぬ奴が紛れ込んできたという目で見ているが、中には僕と目が合うとにこっと笑う男もいた。
メニューを見せてくれと店のおばさんに言うと、壁を見ろとばかりのジェスチャーをした。壁にはメニューと値段が書かれていた。チャーハンはどれかと言うと、壁のメニューの下段の方を指さした。
炒面(粉)6元、その下に蛋炒坂(注:飯)5元、とある。
これに違いない。その下には、香料青菜4元とある。
これもチャーハンかと訊くと、何やら中国語が返ってきて、そのような表情だったので、青菜のチャーハンと解釈して、それを頼んだ。
すると、青菜だけの炒めものが出てきた。それも、そうだ。面(麺)とも飯とも書いてない。青菜だけでは腹にならないので、改めて「チャーハン」と言って頼んだら、こんどはちゃんと炒飯が出てきた。
*
昨日手の甲の虫に刺されたところが赤く小さく盛り上がって、真ん中がぷつんと水泡をもっている。
今回の旅は、喉の薬と念のために胃薬を持ってきていたが、皮膚用の軟膏は持ってきていなかった。こんなことがあろうとは。
マリさんから刺されたところは芯になるわよと言われたので、薬を塗っておこうと思い薬局を探したら、やはり通りの一角にあった。通りを歩けば、一応何でもあるようだ。
薬局の白衣をしているおばさんに、赤くなった手を指すと、おばさんはすぐに1個の箱を持ってきた。そこには「SKIN CREAM」と書いてあった。他にないかと言ったが、これしかないとおばさんは聞く耳を持たずに言いはった。
仕方なくそれを買って箱を開いたら、やはり白いクリームが出てきた。メンソレータムとか香港のタイガー・マークの萬金油のようなものなのだろう。
*
上海の街は、大きな車の通る道路がくまなく走っていて、その通りには商店街ともいえる様々な小さな店が看板を掲げている。
バス停を探して通りを歩いていると、その大通りから家や店の玄関や出入り口でもないのに、のろりと人が出てきた。おやっと思って見てみると、家と家の間に板戸のようなものがあり開閉できるのだった。中をのぞくと、そこには、人一人が通るような細く薄暗い路地が伸びていた。
そっと、忍び込むように入ってみた。路地を進んでみると、急に別世界があるように感じた。
そこには、さらに縦横に伸びた細い道に沿って家が並んでいて、アラブのパティオ(中庭)のように、ひっそりと住宅街が広がっていた。家々の2階からは紐が張り巡らされ、狭い道上には洗濯物がなびいていた。洗濯物は、旗のように見えた。
その光景は、ポルトガルのリスボンのアルファマ地区の坂道を小さく暗くしたようであった。
家の前の道には、何人かの老婆が座っていた。また別の一画では、男が2人、黙って将棋のようなものをしていた。
僕は、何も怪しいものではありませんよと言わんばかりに、無関心を装って、ゆっくりと歩き、空を撮るかのようにカメラのシャッターをさりげなく押した。(写真)
この路地裏の家並みは、大通りを歩いているだけでは素通りして、見逃してしまっただろう。
上海の街は、例えば僕の泊まった旅舎が、虹口区保定路318号のように、通りの名前(保定路)が住所表示になっていて、さらにその通りから路地が毛細血管のように入り込み、そこに地元の人が住み、生活している。
ここも、上海なのだ。
いや、ここが上海なのだ。
僕は路地裏を抜け出し、バス停を探しに向かった。
まずは、上海で最も有名なところ、旧租界地の外灘(バンド)に行こうと。
*
<注>この「上海への旅」では、中国語の漢字入力を施していないので、日本語漢字にない中国字は使用していません。ですので、中国字表記の場合、日本の漢字にある同字か、もしくはやむをえず似たような字を使うことがあります。
新しい都市化のうねりと古くからの土着の生活が共存し、混沌としたエネルギーが塵埃に紛れて流れていた。
10月16日、朝目が覚めると、ホテルの部屋の窓は鈍い光を帯びていた。上海の朝は、もったりとしている。喉の違和感はない。
日本を出発するとき気になっていた喉の痛みの不安は、昨日上海に着き気分が高揚するにつれて快方に向かったようだ。いや、喉の不安などに構っておれなかったという言い方が当たっている。
空港を出て一人ホテルに着くまで、半ば意味不明の漢字の氾濫のもと、目の前にあるこの街の機能を認識し、理解することに懸命だったのだ。初めての国の初日は、いつも緊張と不安が伴うものだ。
磁浮(リニアモーターカー)や地下鉄の乗り換えに伴う售票処(チケット売場)や検票口(改札口)の探索や現在地の確認など、苦闘を強いられたのだった。
起きてベッドの上に座り、昨晩街角の果物屋で買ったリンゴを囓り、そして、やはり街角のコンビニで買ったパンと牛乳を口にした。
急ぐ旅ではない。どこへ行く当てもない。だから、ゆっくりと朝食を部屋でとった後、昼近く2階の部屋から階下のロビーに下りていった。カウンターのスタッフの若い女の子が笑顔を送ってくれる。
僕がにっこりしていると、バチバチと大きな甲高い音が外で轟いた。すぐに、爆竹だと分かった。長崎のチャイナ祭りで経験しているのだ。
何があったのだろうと、急いで外に出た。僕の泊まっている青年旅舎(ユース・ホテル)の道の向かい側は、この2階建ての旅舎よりはずっと豪華だがごく平凡な建物の飯店(ホテル)が建っていて、そのホテルの玄関の前で赤い蝶結びのような紙をひらひらさせながら、まだ爆竹が音と煙を上げていた。
爆竹が静まりかえるやいなや、玄関が開き10人ほどの男女が出てきた。みなお洒落している。その中で、中心にいた蝶ネクタイの髪の薄い中年の男が白いひらひらとしたシフォンのロングドレスの若い女性を抱きかかえると、それを見計らって、すっと黒塗りの車が玄関前に入ってきて止まった。女性の衣装はウェディングドレスだった。そうだ、結婚式なのだ。
運転手が車の後部ドアを開くと、男性は抱えていた女性を中にそっと入れた。2人を囲んでいた人たちから拍手が起こった。
車には、ピンクのリボンが結ばれ、車体の前頭部のボンネットの上には、2つのキティちゃんの縫いぐるみが座っていた。
車が走り去り、見送る人たちもいなくなったホテルの玄関前は、爆竹の燃えかすの赤い紙の残骸が散乱している。
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あっけなく終わった祭りの後を見定めて、そのまま外へ出て道を歩いた。
道は大きく、この界隈は小さな店が軒を並べているが、田舎町のように閑散とした印象を持たせる風景だ。人通りも少ない。
ガイドブックに載っている華やかな上海の街とはほど遠い。
歩き始めてほどなく、道に面した家の開けはなされた戸から、若い男が黒い大きな鍋を握ってチャーハンを炒めている姿が目に飛び込んできた。同時に、白い湯気と美味しそうな臭いがした。小さな食堂だ。鍋と湯気と臭いにつられて、思わず、その店の中に入った。
ちょうど昼飯時なので、店はいっぱいだ。店内をきょろきょろと見渡しながら僕が入っていくと、店の客の視線が僕に集まった。みんな近所の常連客なのだろう。見慣れぬ奴が紛れ込んできたという目で見ているが、中には僕と目が合うとにこっと笑う男もいた。
メニューを見せてくれと店のおばさんに言うと、壁を見ろとばかりのジェスチャーをした。壁にはメニューと値段が書かれていた。チャーハンはどれかと言うと、壁のメニューの下段の方を指さした。
炒面(粉)6元、その下に蛋炒坂(注:飯)5元、とある。
これに違いない。その下には、香料青菜4元とある。
これもチャーハンかと訊くと、何やら中国語が返ってきて、そのような表情だったので、青菜のチャーハンと解釈して、それを頼んだ。
すると、青菜だけの炒めものが出てきた。それも、そうだ。面(麺)とも飯とも書いてない。青菜だけでは腹にならないので、改めて「チャーハン」と言って頼んだら、こんどはちゃんと炒飯が出てきた。
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昨日手の甲の虫に刺されたところが赤く小さく盛り上がって、真ん中がぷつんと水泡をもっている。
今回の旅は、喉の薬と念のために胃薬を持ってきていたが、皮膚用の軟膏は持ってきていなかった。こんなことがあろうとは。
マリさんから刺されたところは芯になるわよと言われたので、薬を塗っておこうと思い薬局を探したら、やはり通りの一角にあった。通りを歩けば、一応何でもあるようだ。
薬局の白衣をしているおばさんに、赤くなった手を指すと、おばさんはすぐに1個の箱を持ってきた。そこには「SKIN CREAM」と書いてあった。他にないかと言ったが、これしかないとおばさんは聞く耳を持たずに言いはった。
仕方なくそれを買って箱を開いたら、やはり白いクリームが出てきた。メンソレータムとか香港のタイガー・マークの萬金油のようなものなのだろう。
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上海の街は、大きな車の通る道路がくまなく走っていて、その通りには商店街ともいえる様々な小さな店が看板を掲げている。
バス停を探して通りを歩いていると、その大通りから家や店の玄関や出入り口でもないのに、のろりと人が出てきた。おやっと思って見てみると、家と家の間に板戸のようなものがあり開閉できるのだった。中をのぞくと、そこには、人一人が通るような細く薄暗い路地が伸びていた。
そっと、忍び込むように入ってみた。路地を進んでみると、急に別世界があるように感じた。
そこには、さらに縦横に伸びた細い道に沿って家が並んでいて、アラブのパティオ(中庭)のように、ひっそりと住宅街が広がっていた。家々の2階からは紐が張り巡らされ、狭い道上には洗濯物がなびいていた。洗濯物は、旗のように見えた。
その光景は、ポルトガルのリスボンのアルファマ地区の坂道を小さく暗くしたようであった。
家の前の道には、何人かの老婆が座っていた。また別の一画では、男が2人、黙って将棋のようなものをしていた。
僕は、何も怪しいものではありませんよと言わんばかりに、無関心を装って、ゆっくりと歩き、空を撮るかのようにカメラのシャッターをさりげなく押した。(写真)
この路地裏の家並みは、大通りを歩いているだけでは素通りして、見逃してしまっただろう。
上海の街は、例えば僕の泊まった旅舎が、虹口区保定路318号のように、通りの名前(保定路)が住所表示になっていて、さらにその通りから路地が毛細血管のように入り込み、そこに地元の人が住み、生活している。
ここも、上海なのだ。
いや、ここが上海なのだ。
僕は路地裏を抜け出し、バス停を探しに向かった。
まずは、上海で最も有名なところ、旧租界地の外灘(バンド)に行こうと。
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<注>この「上海への旅」では、中国語の漢字入力を施していないので、日本語漢字にない中国字は使用していません。ですので、中国字表記の場合、日本の漢字にある同字か、もしくはやむをえず似たような字を使うことがあります。