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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

上海への旅② 上海の路地裏

2009-11-05 01:08:15 | * 上海への旅
 中国近代化の象徴とも思える上海は、資本による都市化の波に覆われながらも、その表層の隅々には、変わらぬ人々の生活が息づいていた。
 新しい都市化のうねりと古くからの土着の生活が共存し、混沌としたエネルギーが塵埃に紛れて流れていた。

 10月16日、朝目が覚めると、ホテルの部屋の窓は鈍い光を帯びていた。上海の朝は、もったりとしている。喉の違和感はない。
 日本を出発するとき気になっていた喉の痛みの不安は、昨日上海に着き気分が高揚するにつれて快方に向かったようだ。いや、喉の不安などに構っておれなかったという言い方が当たっている。
 空港を出て一人ホテルに着くまで、半ば意味不明の漢字の氾濫のもと、目の前にあるこの街の機能を認識し、理解することに懸命だったのだ。初めての国の初日は、いつも緊張と不安が伴うものだ。
 磁浮(リニアモーターカー)や地下鉄の乗り換えに伴う售票処(チケット売場)や検票口(改札口)の探索や現在地の確認など、苦闘を強いられたのだった。

 起きてベッドの上に座り、昨晩街角の果物屋で買ったリンゴを囓り、そして、やはり街角のコンビニで買ったパンと牛乳を口にした。
 急ぐ旅ではない。どこへ行く当てもない。だから、ゆっくりと朝食を部屋でとった後、昼近く2階の部屋から階下のロビーに下りていった。カウンターのスタッフの若い女の子が笑顔を送ってくれる。
 僕がにっこりしていると、バチバチと大きな甲高い音が外で轟いた。すぐに、爆竹だと分かった。長崎のチャイナ祭りで経験しているのだ。
 何があったのだろうと、急いで外に出た。僕の泊まっている青年旅舎(ユース・ホテル)の道の向かい側は、この2階建ての旅舎よりはずっと豪華だがごく平凡な建物の飯店(ホテル)が建っていて、そのホテルの玄関の前で赤い蝶結びのような紙をひらひらさせながら、まだ爆竹が音と煙を上げていた。
 爆竹が静まりかえるやいなや、玄関が開き10人ほどの男女が出てきた。みなお洒落している。その中で、中心にいた蝶ネクタイの髪の薄い中年の男が白いひらひらとしたシフォンのロングドレスの若い女性を抱きかかえると、それを見計らって、すっと黒塗りの車が玄関前に入ってきて止まった。女性の衣装はウェディングドレスだった。そうだ、結婚式なのだ。
 運転手が車の後部ドアを開くと、男性は抱えていた女性を中にそっと入れた。2人を囲んでいた人たちから拍手が起こった。
 車には、ピンクのリボンが結ばれ、車体の前頭部のボンネットの上には、2つのキティちゃんの縫いぐるみが座っていた。
 車が走り去り、見送る人たちもいなくなったホテルの玄関前は、爆竹の燃えかすの赤い紙の残骸が散乱している。

 *

 あっけなく終わった祭りの後を見定めて、そのまま外へ出て道を歩いた。
 道は大きく、この界隈は小さな店が軒を並べているが、田舎町のように閑散とした印象を持たせる風景だ。人通りも少ない。
 ガイドブックに載っている華やかな上海の街とはほど遠い。
 歩き始めてほどなく、道に面した家の開けはなされた戸から、若い男が黒い大きな鍋を握ってチャーハンを炒めている姿が目に飛び込んできた。同時に、白い湯気と美味しそうな臭いがした。小さな食堂だ。鍋と湯気と臭いにつられて、思わず、その店の中に入った。
 ちょうど昼飯時なので、店はいっぱいだ。店内をきょろきょろと見渡しながら僕が入っていくと、店の客の視線が僕に集まった。みんな近所の常連客なのだろう。見慣れぬ奴が紛れ込んできたという目で見ているが、中には僕と目が合うとにこっと笑う男もいた。
 メニューを見せてくれと店のおばさんに言うと、壁を見ろとばかりのジェスチャーをした。壁にはメニューと値段が書かれていた。チャーハンはどれかと言うと、壁のメニューの下段の方を指さした。
 炒面(粉)6元、その下に蛋炒坂(注:飯)5元、とある。
 これに違いない。その下には、香料青菜4元とある。
 これもチャーハンかと訊くと、何やら中国語が返ってきて、そのような表情だったので、青菜のチャーハンと解釈して、それを頼んだ。
 すると、青菜だけの炒めものが出てきた。それも、そうだ。面(麺)とも飯とも書いてない。青菜だけでは腹にならないので、改めて「チャーハン」と言って頼んだら、こんどはちゃんと炒飯が出てきた。

 *

 昨日手の甲の虫に刺されたところが赤く小さく盛り上がって、真ん中がぷつんと水泡をもっている。
 今回の旅は、喉の薬と念のために胃薬を持ってきていたが、皮膚用の軟膏は持ってきていなかった。こんなことがあろうとは。
 マリさんから刺されたところは芯になるわよと言われたので、薬を塗っておこうと思い薬局を探したら、やはり通りの一角にあった。通りを歩けば、一応何でもあるようだ。
 薬局の白衣をしているおばさんに、赤くなった手を指すと、おばさんはすぐに1個の箱を持ってきた。そこには「SKIN CREAM」と書いてあった。他にないかと言ったが、これしかないとおばさんは聞く耳を持たずに言いはった。
 仕方なくそれを買って箱を開いたら、やはり白いクリームが出てきた。メンソレータムとか香港のタイガー・マークの萬金油のようなものなのだろう。

 *

 上海の街は、大きな車の通る道路がくまなく走っていて、その通りには商店街ともいえる様々な小さな店が看板を掲げている。
 バス停を探して通りを歩いていると、その大通りから家や店の玄関や出入り口でもないのに、のろりと人が出てきた。おやっと思って見てみると、家と家の間に板戸のようなものがあり開閉できるのだった。中をのぞくと、そこには、人一人が通るような細く薄暗い路地が伸びていた。
 そっと、忍び込むように入ってみた。路地を進んでみると、急に別世界があるように感じた。
 そこには、さらに縦横に伸びた細い道に沿って家が並んでいて、アラブのパティオ(中庭)のように、ひっそりと住宅街が広がっていた。家々の2階からは紐が張り巡らされ、狭い道上には洗濯物がなびいていた。洗濯物は、旗のように見えた。
 その光景は、ポルトガルのリスボンのアルファマ地区の坂道を小さく暗くしたようであった。
 家の前の道には、何人かの老婆が座っていた。また別の一画では、男が2人、黙って将棋のようなものをしていた。
 僕は、何も怪しいものではありませんよと言わんばかりに、無関心を装って、ゆっくりと歩き、空を撮るかのようにカメラのシャッターをさりげなく押した。(写真)
 この路地裏の家並みは、大通りを歩いているだけでは素通りして、見逃してしまっただろう。

 上海の街は、例えば僕の泊まった旅舎が、虹口区保定路318号のように、通りの名前(保定路)が住所表示になっていて、さらにその通りから路地が毛細血管のように入り込み、そこに地元の人が住み、生活している。
 ここも、上海なのだ。
 いや、ここが上海なのだ。

 僕は路地裏を抜け出し、バス停を探しに向かった。
 まずは、上海で最も有名なところ、旧租界地の外灘(バンド)に行こうと。

 *
 <注>この「上海への旅」では、中国語の漢字入力を施していないので、日本語漢字にない中国字は使用していません。ですので、中国字表記の場合、日本の漢字にある同字か、もしくはやむをえず似たような字を使うことがあります。
コメント (2)
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上海への旅① 世界最速列車「磁浮」に乗って

2009-11-01 03:40:44 | * 上海への旅
 旅に出るということは、思いつきと思い切りである。
 胸の中にくすぶっている、たとえ漠然とであっても自分の中で好奇を孕ませていた街や土地への思いが、あるとき身近に迫ってくるときがある。
 何かの触媒でその思いがはじけ、旅は実現する。
 その触媒は、一枚の絵葉書であったり、小説や映画のワンシーンであったり、ある女の一言だったりと様々である。

 中国へは、さほど行きたいとは思っていたわけではなかった。
 香港、澳門へは1993年に行ったが、いずれもイギリス、ポルトガル領の頃で、中国返還前のこれらの街をぜひ見ておきたかったからだ。台湾には1991年訪れたが、社会主義の中国大陸へは行っていない。
 行くとすれば、僕に縁のある中国東北部の長春(旧・新京)、丹東(旧・安東)などの街の古い名残を訪ねてみたいと漠然と思っていた。亡き父の足跡も歩いてみたかった。
 上海行きを思いつかせたのは、身近な知人が上海から帰ったばかりというのを知ったからだ。
 それに、調べると福岡から上海行きの便が出ている。わずか1時間45分である。東京から九州に行くぐらいの時間だ。
 10月には、佐賀の実家に帰る予定だったので、そのとき福岡空港から出発すればいいと思うと、思いつきが決心に変わった。

 *

 上海といえば、アヘン戦争(1840~42年)以後、イギリスをはじめ列強の進出に身を任せ、租界地となった街である。イギリス、フランス、ドイツ人など西洋人が住み始めたので、上海はいち早く西洋風の街並みになった。後に、日本も進出した。
 魔都、上海。中国にありながら異国の街となったので、日本でもいくつか流行歌の主題となり、今でも特別な印象と想像力を抱かせている。
 戦前の妖しい女スパイの物語、映画「ラスト、コーション(原題:色、戒)」(李安監督、2007年)でも、香港とともに上海が舞台となった。
 「上海は、1日中どんより靄がかかって、うっとうしいデマといっしょに、租界時代から続く優越感に満ち満ちている。それが、私みたいに敏感でうぬぼれやすい女の子をいつも刺激する。優越感を感じること、そのことに私は愛憎半ばする思いがある」(「上海ベイビー」衛慧著)

 *

 出発前に喉を痛めて、やっと治りかけの不安を抱いたままの旅立ちとなった。
 10月12日、佐賀に帰った僕は、10月15日、福岡空港15時25分発の中華国際航空CA916便で上海に向かった。上海浦東空港、16時10分着。時差は1時間である。
 上海の空港の構内は、中国語である漢字の表示で溢れていた。出国手続きを終え、空港内の銀行で円を中国通貨の元に替えた。1元(RMB)は約14円である。
 まずは、ホテルの行くことにした。知人の娘さんが上海在住で、現地のホテルを予約しておいてくれたので、彼女のメモにしたがって目的地に向かった。
 メモには、「浦東国際空港-磁浮→龍陽路-地下鉄2号線→世紀大道-地下鉄4号線→連道路→ホテル」とある。
 日本の漢字で書けばこのようになるが、東も龍も連も、似て非なる文字になっているのですぐには分からない。想像力が必要なのだ。
 「磁浮」とはリニアモーターカーのことで、空港からリニアモーターカーに乗って都心の入り口である龍陽路駅まで行き、そこから地下鉄2号線に乗り、世紀大道駅で地下鉄4号線に乗り換え、連道路駅で降り、徒歩でホテルへ行くということである。

 空港の構内から長い地下道を「磁浮」の標示をたどりながら進み、やっと磁浮の乗り場に着いた。
 手荷物のX線検査を経てホームへ出ると、地下鉄乗り場のような雰囲気である。待っている乗客は西洋人も多く、列車に向かってカメラを構えている。新幹線のようなスマートなリニアカーが音もなくホームにやって来た。(写真)
 列車の中に入ると、3座席が通路を挟んで2つ並んでいるが、車体に幅があるのでゆったりとしている。初めてのリニアモーターカー体験だ。
 最高時速430km。この上海磁浮列車は、世界一の高速列車である。リニアモーターカーは厳密には列車ではないのだろうが、英語表記は「Shanghai Maglev Train」となっていて、列車(train)なのである。
 浦東空港から上海の都心の入口、龍陽路駅まで約30km。この距離を約8分で走る。片道料金、50元(往復だと80元)。
 乗っていると、速さも振動も感じない。あっという間に、龍陽路駅に着いてしまった。
 東京の都心から成田までが約60kmなので、日本でもリニアモーターカーを使えば、大体15分で着くことになる。成田の不便さを思うと、なぜ計画しないのか不思議である。
 山梨あたりでリニアモーターカーの実験をずいぶん前からやっているが、どこを走らせようと考えているのだろうか。そして、なぜ実用化しないのであろうか。

 リニアモーターカーの終着駅である龍陽路駅から地下鉄に乗り換えるのだが、中国は漢字の国だから大体分かるだろうという思いは、完全に裏切られた。
 表示の文字(漢字)を見ても、日本語にない漢字が相当交じっている。切符売場も改札口も、日本語とはまったく違う単語(漢字)なのだ。
 地名も駅名も日本の漢字とは違っている。略字体が多いので、想像を働かすのだが、それでも結びつかない漢字が多すぎるのだ。パソコンで文字化けしたような奇っ怪な文字も交じっている。もちろん、読み(発音)は、日本語とは違う。

 地下鉄の各路線は、1号線、2号線と数字の名前がついている。切符は、自動販売機で、目的の路線を表示させ、行きたい駅名を指で押すと料金が表示されるので、お金を入れるとカードが出てくる。料金は、大体が2~4元ほどだ。
 そのカードを改札の磁気に当てると、ドアを閉めてある回転棒が(押すと)動き、改札内に入れるようになる。出るときは、改札の差し込み口にカードを入れて、出る仕組みである。

 *

 何とか、都心からさほど遠くないホテルのある駅に着いた。
 外に出ると、もう日も落ちて暗く、人通りも少なかった。通りには、上海を象徴する超高層ビルもなく、ところどころにビルはあるものの、古びた平屋が並んでいた。想像していた上海の街とは違って、懐かしさを漂わせる典型的なアジアの街だった。
 観光客など誰も歩いてはいない。もちろん、観光地も近くにないのだが。
急に、僕は旅をしているという感覚になった。知らない街を歩いているときの、あのアジアの旅のひりひりと肌を焦がす感覚が甦ってきた。
 ここは、アジアなのだ。

 住所をもとに人に尋ねながら、やっとホテルにたどり着いた。そこは、ユース・ホテルだった。中国語で書くと、青年旅舎。
 玄関を入ると、すぐのところにパソコンが置いてあり、中国人が黙々と何やらキーボードを叩いていた。画面の文字は中国語だ。
 僕は今まで海外の旅では、ツアー客などが泊まる高級または中級ホテルには泊まらず、概ね安宿(ホテル)に泊まるのだが、ユース・ホテルやユース・ホステルに泊まったことがなかった。これも、何かの縁だろう。青年ではないが心は青年ということにして、青年旅舎に泊まることにする。シングル1泊150元と安い。
 ホテルでは、このホテルを紹介してくれた、知人の娘のマリさんが待っていてくれた。
 宿泊手続きをし、部屋に荷物を置いて、すぐに外に出て食事をすることにした。

 通りを歩いていると、頭に気をつけて、とマリさんが言う。頭の上には、どこからともなく洗濯物がぶら下がっているのだ。時折、水が滴り落ちてくることもある。女性用の下着もある。こちらの人は、まったく平気なのとマリさんが言う。
 通りには、現地の人が食べている小さな食堂がぽつんぽつんといくつもある。また、足浴というマッサージの店もいくつもある。
 店先の看板は足浴のマッサージなのに、ソファーに若い女の子が所在なさそうに座っているだけの店が目についた。僕が、もしやという顔をすると、「子供たちも通ったり遊んだりしている通りなのに、ここでは平気でこのような店があるの」とマリさんが、僕が想像している店なのだとばかり、これまたあっけらかんと言った。
 1軒の古びた西安料理の店に入った。4人がけのテーブルが6脚あるが、1脚は店の品物を置いているので実質5脚である。
 どれがいい?と言われてメニューを見ても、肉とか野菜とかの違いは分かるが、正確な料理は分からない。他人の食べているのをのぞいて、ああだ、こうだと言いながら、豚肉の鍋、豆とジャガイモの辛し炒めを頼んだ。料理は皿いっぱいで量が多い。
 料理といっしょに、現地の雪花睥酒(ビール)を飲んだ。ビールはビージュと言い、漢字は口偏に卑だが日本語にはない文字なので、一応ここでは睥と記した。
 料理は両方とも芥子がきいて辛かったので、うどんのような米の麺を追加した。ビールは2本飲んで、これで料金は35元と安い。

 *

 この国での、マリさんが注意点をあげた。
 「信号は無視すること」
 どういうことかと言うと、この国では車が何より優先なので、青と思って安心して渡ってはいけない。信号が青であろうと、左右車を注意しながら渡らないといけない、と言うことである。
 僕が、上海から杭州や蘇州へ行くつもりなので、列車の時刻表はないかと尋ねた。
 「駅でも本屋でもないわね。駅に行けば、列車の発車時刻は分かるから、こちらの人も時刻表は使っていないみたい」と、おおらかというか大雑把だ。ラテン系のスペインも、こんな感じだった。
 電話をかける法を訊いてみた。
 「電話は、金物屋さんとか、ホラあの店がそうだと思うが、置いてある店が何となく分かるの。そこで、電話をかけるジェスチャーをすると、電話を出してくれるはず。あるいは、歩いている人に頼んで携帯を借りればいいわ。大体貸してくれるから」
 「何となく電話を置いている店? 知らない人の携帯を? それにしても、料金はどうなるの?」
 「まあ、1回1元でいいと思う」
 う~ん、日本人としてはちょっと勇気が要る電話使用だ。やはり、ホテルで使用するか公衆電話を使うことにして、テレホンカードなるものを買うことにした。
 僕が、手の甲がポツンと赤く腫れているのを見せて、虫に刺されたみたいだと言った。
 「それ、蚊から刺されたのよ。こちらの蚊から刺されたら、芯が残るの。友人で、いくつも赤く芯が残って帰ってきた人がいた。でも、こちらの人は馴れているのか、そうはならないみたい」とマリさんが言った。
 上海の蚊は毒虫のようだ。いや、日本人に免疫性がないのかもしれない。

 *

 食事を終え、明日から研修の仕事で忙しくなると言うマリさんと別れた。
 明日は、上海の街中を歩こう。
 しかし、上海について何も知らないし、ガイドブックもまだちゃんと見ていない。明日から、ガイドブック片手の、なりゆき任せの街歩きになる。
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