農業じゆう人

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あれから、もうorまだ3年

2014年03月11日 14時08分25秒 | 話題
    ハッキリと覚えています! のんびりしていたら‘グラグラ’と揺れだした。 いつものように“カミサンに地震だな~”と、軽く考え言い放ったことをです・・。
    それから後は、皆さんが体験した通りです。 人生「68年」それまで一度も体験したことのないようなもの凄い揺れ! 立っていられず2人で座り込む
    家がつぶれるんではないか? 危ないぞ・・逃げる?待つ? とりあえず傍の戸を開けろ! そして‘厚い着る物’そして“非常用品”と“登山靴”だ!と
    普通なら簡単ですが揺れの中では簡単にできない! 揺れる中・家の確認と登山靴をひっかけ庭先へ出てみると我が家も道路も電線も大揺れ状態
    脇の道路をみると通る人も立ってはいられず、道路脇のガードレールにつかまって座り込むような状況でした・・とにかく揺れていた時間長かったです
    そんな記憶が今でも残っています! 男の私でさえ恐怖に陥ったほどですから“カミサン”はそれ以上だったと、後からしみじみ言ってました・・・。
    それから以降は連日揺れに悩まされながら、いろいろな状況にさらされた!   それから・・・もう3年経った? まだ3年しか経過していないのか?
    我々は直接の被害も殆んどなく現状に至っているが、直接被害に遭われた皆さんは・・この「もう・まだ」の言葉が身に沁みて感じていると思います。
    一部を除いては一向に進んでいない復興!これが現実ではないでしょうか?  特に知り合いが多い「福島県」などは殆んど進んでいないです。
    国の方では何かにつけ簡単に「復興」という言葉を使う。 ある人は「福島の復興なくして日本の復活はない!」なんて平気な顔をして言う人がいる
    こんな人たちがいっているのは【カエルのホッかぶり】といって“口先だけ!” 言うのはもういい! 実際にやってください!
    これだけ災害に遭い苦しんでいる人がまだまだたくさんいらっしゃるのに、平気の平左で全く関係ない事に力を入れている永田町住人・・・。
        〔長期の夏休みはとるは〈そんならボランティアでもしたら〉、国民が望んでいないような事は率先してやるは、民意は身勝手に解釈するは、・・結構なもんですな~〕
    それなのに、きのうの会見などでも、単なる口先だけの“大風呂敷を広げている”  実態を知らない!知ろうとしていない!口先&ウワベだけ・・
    私共の知り合いで(遠い親戚の方)、原発のすぐ傍に実家がある方がよく言っているのは「政治屋や東電」の言うことは全く信用できない!
    少しも、私たちの状況などや暮らし等々について、マジわかっていない!知ろうともしていない! それなのに‘わかっているように言う’って・・ネ
    今日で「3年経過」しましたが、まだ避難されている方が「26万人」いらっしゃる。  これが3年経った東日本大震災の実態なんですもんネ
     もううわべの口先だけの言葉はいらない! 被災し困っている皆さんのことを第一に考えてもらえないだろうか! それが3年経過した願いです。

                                      ・                  ・

      人間は、おそらく2つの時間の中で生きている? どんどん流れて先へ先へと進む「時」。 株式市場では100万分の1秒の単位で大きなお金が動く
      そして多大な利益を競い合う。 チョッとでも遅れれば負となるゲーム・・? 秒針に背中を押されて、人は僅かな変化にも新しい価値を探そうとする
      古い一枚の写真のように、止まった「時」の価値もある。 これ「記憶」と言い換えてもよいかもしれない。 忘れてはならないダメな事がある!
      「2011年3月11日 14時46分」これがその「時」です。 あれから3年が経過した・・流れた!
      復興で生まれ変わった景色もある。 しかし、傷ついたまま変わらない心の中の情景もいっぱいある! こちらは本当にたくさんあります・・・。
      「2011年3月11日 14時46分」の惨事が起きる瞬間・・その直前までの美しい姿のまま、被災地の時が止まっていれば・・と思います。
      早く過去と決別し、未来に進みたいという声 ・・ 記憶の風化を恐れる声  そのどちらも大切なものにしたいものです。
      2つの「時」の価値を行き来しながら生きる能力を、たぶん私たちは人間はみな備えていると思っています・・そうでないといかんですよネ

           14時46分 ・・ 我が家でも、私は‘書き込み’の手を&カミサンは‘ランチョンマット’の仕上げの手を共に休めて
                        “もうorまだ”の3年前を思い出しながら、北の方向を向いて1分間「黙とう」をしました。

            カミサンが手掛けていた“孫用のランチョンマット” 〔2作目〕
                         
                    長男坊一家への「男の子用」                    次男坊一家への「女の子用」