明治から大正にかけて首都・東京を守る東京湾の要衝だった走水(はしりみず)低砲台。(神奈川県横須賀市)
今年5月から跡地の公開が始まった!
1886年に完成した砲台は一度も実戦で使われなかったことから、保存状態が良いと評判・・だ
全国から見学者が訪れ、市も新たな観光資源にと期待を寄せているんだそうです・・
左の図参照 京浜急行電鉄の馬堀海岸駅からバスで約15分。
旗山崎公園内の木が生い茂る小高い丘が走水低砲台跡です
入り口には鍵がかけられていて、見学するには猿島公園専門ガイド
協会などのガイドの同行が必要になっています。
そうは言うもののこんな方もいらっしゃる」んだそうです。
ズ~っと横須賀に住んでいますが、こんな所に砲台があるとは・・
知らなかったと?なんと同協会の“小西会長”・・?
これまでは危険だと公開していなかったそうです・・が、昨年3月に市内の「猿島砲台跡」などが
国の史跡に指定されことを受け、市は走水砲台跡も観光資源として活用することにしたそうです。
道や階段、柵などを整備し、安全に見学者を受け入れられるようにしたんだそうです。
戦前、国内には26カ所の要塞があり、中でも東京湾要塞は東京を敵船から守るための最重拠点
だったとされ、走水周辺は東京湾が最も狭まる場所にあり、明治政府は早くから砲台建設を計画
着工から1年で完成させた?1万平方㍍を超える敷地内には4つの砲座や弾薬庫・兵舎・観測所
などを備えている物だったそうです。
砲座には直径27㌢㍍の弾を発射する加農(カノン)砲が設置されていたそうです。
現在は取り付けていたボルトが直径約3㍍の円を描いて残るのみだそうですが、周囲の防護壁は
「きれいな状態で残っていますョ」“小西会長”は話しているそうです。
砲座と砲座の間には指揮官が立つ「小隊長掩壕(えんごう)」があるんだそうです。
観測所から敵船情報を受け、砲台に攻撃を命じる場所だそうだ。
地下には弾薬庫があり滑車で弾薬を引き上げていたとみられる・・推測
4つの砲座の中央地下には兵舎があって、ここは兵隊さんの休憩所だったそうです・・?
レンガ造りで天井や壁にはしっくいが塗られ、中に入るとひんやりするそうですョ・・・。
出入り口の両脇には彩光窓がある。明治時代は照明が貧弱だったため、少しでも自然光を
採り入れられる設計にしてあったようだといわれているそうです。
走水低砲台には演習の際、指揮官や砲兵など数十人が集まったが、平時は守衛のみだったという
日清・日露戦争に備えるなど需要な拠点だったが、1923年の関東大震災で被災。
その後一度は修復されたものの、34年に陸軍施設から除籍され実践施設としての役目を終え、
演習施設として終戦まで利用されていたんだそうです。
走水低砲台跡からは砲台を備えた人工島、「海堡(かいほう)」が見え、近くには別の軍事遺産も
集まっている。併せて回り、日本の近代化の歩みを感じてみては・・どうでしょうか。
走水低砲台跡を見学するには、猿島公園専門ガイド協会やNPO法人よこすかシティガイド協会
などに申し込む必要があります。
また近くには観音崎砲台跡や猿島砲台跡などが集まっています。
現在は米軍が使っている旧横須賀鎮守府庁舎なども含め、市内に点在する軍事遺産は
今年4月、文化庁の日本遺産に認定されました
10月のウォーキング集計(31日)
歩けた日 25日 歩けなかった日 6日 (雨・4日 治療休養・2日)
今年5月から跡地の公開が始まった!
1886年に完成した砲台は一度も実戦で使われなかったことから、保存状態が良いと評判・・だ
全国から見学者が訪れ、市も新たな観光資源にと期待を寄せているんだそうです・・
左の図参照 京浜急行電鉄の馬堀海岸駅からバスで約15分。
旗山崎公園内の木が生い茂る小高い丘が走水低砲台跡です
入り口には鍵がかけられていて、見学するには猿島公園専門ガイド
協会などのガイドの同行が必要になっています。
そうは言うもののこんな方もいらっしゃる」んだそうです。
ズ~っと横須賀に住んでいますが、こんな所に砲台があるとは・・
知らなかったと?なんと同協会の“小西会長”・・?
これまでは危険だと公開していなかったそうです・・が、昨年3月に市内の「猿島砲台跡」などが
国の史跡に指定されことを受け、市は走水砲台跡も観光資源として活用することにしたそうです。
道や階段、柵などを整備し、安全に見学者を受け入れられるようにしたんだそうです。
戦前、国内には26カ所の要塞があり、中でも東京湾要塞は東京を敵船から守るための最重拠点
だったとされ、走水周辺は東京湾が最も狭まる場所にあり、明治政府は早くから砲台建設を計画
着工から1年で完成させた?1万平方㍍を超える敷地内には4つの砲座や弾薬庫・兵舎・観測所
などを備えている物だったそうです。
砲座には直径27㌢㍍の弾を発射する加農(カノン)砲が設置されていたそうです。
現在は取り付けていたボルトが直径約3㍍の円を描いて残るのみだそうですが、周囲の防護壁は
「きれいな状態で残っていますョ」“小西会長”は話しているそうです。
砲座と砲座の間には指揮官が立つ「小隊長掩壕(えんごう)」があるんだそうです。
観測所から敵船情報を受け、砲台に攻撃を命じる場所だそうだ。
地下には弾薬庫があり滑車で弾薬を引き上げていたとみられる・・推測
4つの砲座の中央地下には兵舎があって、ここは兵隊さんの休憩所だったそうです・・?
レンガ造りで天井や壁にはしっくいが塗られ、中に入るとひんやりするそうですョ・・・。
出入り口の両脇には彩光窓がある。明治時代は照明が貧弱だったため、少しでも自然光を
採り入れられる設計にしてあったようだといわれているそうです。
走水低砲台には演習の際、指揮官や砲兵など数十人が集まったが、平時は守衛のみだったという
日清・日露戦争に備えるなど需要な拠点だったが、1923年の関東大震災で被災。
その後一度は修復されたものの、34年に陸軍施設から除籍され実践施設としての役目を終え、
演習施設として終戦まで利用されていたんだそうです。
走水低砲台跡からは砲台を備えた人工島、「海堡(かいほう)」が見え、近くには別の軍事遺産も
集まっている。併せて回り、日本の近代化の歩みを感じてみては・・どうでしょうか。
走水低砲台跡を見学するには、猿島公園専門ガイド協会やNPO法人よこすかシティガイド協会
などに申し込む必要があります。
また近くには観音崎砲台跡や猿島砲台跡などが集まっています。
現在は米軍が使っている旧横須賀鎮守府庁舎なども含め、市内に点在する軍事遺産は
今年4月、文化庁の日本遺産に認定されました
10月のウォーキング集計(31日)
歩けた日 25日 歩けなかった日 6日 (雨・4日 治療休養・2日)