人命救助のために日々・昼夜を問わず、走り回る救急車。 「ピーポー」と耳に残るサイレンの音は、1960年代
に関西の中小企業が生み出し、神戸市消防局から全国に広がった。 この独特な音はどのようにして生まれたのか。
「昔は救急車もパトカーも消防車も、サイレン音は同じだった」という。 大阪サイレン製作所(京都府京田辺市)の
”上岡社長”はそう話す。 緊急車両のサイレンは法令で「ウ~」という甲高い単音で統一されていたのだという。
高度経済成長期は自動車の普及で交通事故が増えたことなどで救急車の出動回数が急増した。 例えば1964年
(昭和39年:東京五輪のあった年)の救急出動件数は約30万件。 出火件数の約5万件を大きく上回った。
サイレンが聞えてもほとんどが救急車という状況に、影響を受ける人たちがいた。 火災現場にいち早く駆けつけ
消火活動に当たる地域の消防団員らだ。 「サイレンの音で火事だと身構えて外に出ても空振りになることが多
かっただろう」と総務省消防庁の担当者。 市民からも「同じ音では火事が救急搬送なのか紛らわしい」という
指摘が相次いだ。 救急車が搬送するのは急病人や負傷者たち。 ただでさえ体調が優れない中、「パトカーや
消防車などと同じ音では不安になる」と患者に配慮する声も上がった。
そこで救急車のサイレンの音の改良に乗り出したのが後に大阪サイレンの2代目社長になった“上岡さん”だった。
息子で3代目が「火災や救急に携わる人たちが少しでも働きやすくなるようにしたかったのではないか」と話す。
従来は金属製の風車を回すことで生じる風きり音を利用した「モーターサイレン」が主流だった。 改良に当たっ
て採用したのは発売されたばかりの「電子サイレン」だった。
新たなサイレン音の特徴は、2つの高低音を組み合わせたことだ。3代
目は「フランス視察中に聞いた救急者の音を参考にしたようだ」と明か
す。ソフトな印象を与える音色にこだわり、試行錯誤を重ねた。試作機
は66年、まず神戸市が管理する東灘消防署の救急車に搭載された。消
防業務に携わる関係者のつてをたどってのことだったという。実際に街
中を走ると、当初は「緊張感に欠ける」との指摘もあったが。市民から
の評判は上々だった。神戸から兵庫県内外の消防にも広がっていった。
もともと法令上は「ウー」という従来の音が出せなければ緊急車両とし
て認められなかった。
サイレンを鳴らさずに走ると原則として一般の自動車と同様の扱いとなり、スピード超過や赤信号での緊急走行
などができなくなる。 このため、新旧のサイレン装置を付けて運用していたという。
当時、国も市民からの指摘を受けて、救急車両がサイレン音で判断できないことを問題視していた。 新たなサ
イレン音の登場を受け、70年に全国の救急車を順次、「ピーポー」音に切り替えるよう通知を出し、各地の
救急車に導入された。
大阪サイレンはその後も改良を続けた。 騒音に関する苦情が寄せられると、法定の限界まで音量や音程を下げ
柔らかく聞こえる工夫をした。 病院側から、到着時にサイレン音が突然切れると「職員に心理的なストレス
がかかる」と相談され、徐々に音が小さくなっていくようにしたそうです。
一方、最近は救急隊員からこんな声も寄せられるようになってきた。 「車の運転者にサイレンが聞えず、救急
車に気づかないことがある。 道を譲ってもらえないと現場到着が遅れる」。 救急救命士として約20年活
動した広島国際大教授の”安田先生”らは2019年、車内における救急車サイレンの聞こえ具合について調べ
た。 車内の密閉性向上などで、以前より音が聞えずづらい状態になっているとの論文を発表した。
救急車は一般車両と比べて出合い頭の事故に巻き込まれることも多いという。 交差点で左右に音を集中して伝
える装置の導入や音量基準の見直しをはじめ、「国は時代に合った対応を考える時期に来ているのではないか」
と安田教授は訴えている。
メーカーも対策を始めている。 大阪サイレンは周囲からより注目を集めるため、交差点の通過時などは「ウー」
という音を出せる装置を開発した。 同じく救急車向けのサイレン装置を製造するパトライト(大阪市)は「ギ
ュイーン」という大きな不協和音を鳴らすモデルを発売している。
救急車のサイレンはニーズに合わせて現在の「ピーポー」に変わった。 将来、時代の要請に応じて音色がさら
に変わることがあるかも知れません‥‥ネ‥?
4月のウオーキング集計(30日)
歩いた日 26日 歩けなかった日 4日 (すべて雨)
に関西の中小企業が生み出し、神戸市消防局から全国に広がった。 この独特な音はどのようにして生まれたのか。
「昔は救急車もパトカーも消防車も、サイレン音は同じだった」という。 大阪サイレン製作所(京都府京田辺市)の
”上岡社長”はそう話す。 緊急車両のサイレンは法令で「ウ~」という甲高い単音で統一されていたのだという。
高度経済成長期は自動車の普及で交通事故が増えたことなどで救急車の出動回数が急増した。 例えば1964年
(昭和39年:東京五輪のあった年)の救急出動件数は約30万件。 出火件数の約5万件を大きく上回った。
サイレンが聞えてもほとんどが救急車という状況に、影響を受ける人たちがいた。 火災現場にいち早く駆けつけ
消火活動に当たる地域の消防団員らだ。 「サイレンの音で火事だと身構えて外に出ても空振りになることが多
かっただろう」と総務省消防庁の担当者。 市民からも「同じ音では火事が救急搬送なのか紛らわしい」という
指摘が相次いだ。 救急車が搬送するのは急病人や負傷者たち。 ただでさえ体調が優れない中、「パトカーや
消防車などと同じ音では不安になる」と患者に配慮する声も上がった。
そこで救急車のサイレンの音の改良に乗り出したのが後に大阪サイレンの2代目社長になった“上岡さん”だった。
息子で3代目が「火災や救急に携わる人たちが少しでも働きやすくなるようにしたかったのではないか」と話す。
従来は金属製の風車を回すことで生じる風きり音を利用した「モーターサイレン」が主流だった。 改良に当たっ
て採用したのは発売されたばかりの「電子サイレン」だった。
新たなサイレン音の特徴は、2つの高低音を組み合わせたことだ。3代
目は「フランス視察中に聞いた救急者の音を参考にしたようだ」と明か
す。ソフトな印象を与える音色にこだわり、試行錯誤を重ねた。試作機
は66年、まず神戸市が管理する東灘消防署の救急車に搭載された。消
防業務に携わる関係者のつてをたどってのことだったという。実際に街
中を走ると、当初は「緊張感に欠ける」との指摘もあったが。市民から
の評判は上々だった。神戸から兵庫県内外の消防にも広がっていった。
もともと法令上は「ウー」という従来の音が出せなければ緊急車両とし
て認められなかった。
サイレンを鳴らさずに走ると原則として一般の自動車と同様の扱いとなり、スピード超過や赤信号での緊急走行
などができなくなる。 このため、新旧のサイレン装置を付けて運用していたという。
当時、国も市民からの指摘を受けて、救急車両がサイレン音で判断できないことを問題視していた。 新たなサ
イレン音の登場を受け、70年に全国の救急車を順次、「ピーポー」音に切り替えるよう通知を出し、各地の
救急車に導入された。
大阪サイレンはその後も改良を続けた。 騒音に関する苦情が寄せられると、法定の限界まで音量や音程を下げ
柔らかく聞こえる工夫をした。 病院側から、到着時にサイレン音が突然切れると「職員に心理的なストレス
がかかる」と相談され、徐々に音が小さくなっていくようにしたそうです。
一方、最近は救急隊員からこんな声も寄せられるようになってきた。 「車の運転者にサイレンが聞えず、救急
車に気づかないことがある。 道を譲ってもらえないと現場到着が遅れる」。 救急救命士として約20年活
動した広島国際大教授の”安田先生”らは2019年、車内における救急車サイレンの聞こえ具合について調べ
た。 車内の密閉性向上などで、以前より音が聞えずづらい状態になっているとの論文を発表した。
救急車は一般車両と比べて出合い頭の事故に巻き込まれることも多いという。 交差点で左右に音を集中して伝
える装置の導入や音量基準の見直しをはじめ、「国は時代に合った対応を考える時期に来ているのではないか」
と安田教授は訴えている。
メーカーも対策を始めている。 大阪サイレンは周囲からより注目を集めるため、交差点の通過時などは「ウー」
という音を出せる装置を開発した。 同じく救急車向けのサイレン装置を製造するパトライト(大阪市)は「ギ
ュイーン」という大きな不協和音を鳴らすモデルを発売している。
救急車のサイレンはニーズに合わせて現在の「ピーポー」に変わった。 将来、時代の要請に応じて音色がさら
に変わることがあるかも知れません‥‥ネ‥?
4月のウオーキング集計(30日)
歩いた日 26日 歩けなかった日 4日 (すべて雨)