岡山市議会議員/おにきのぞみの虹色通信

〈いのち・みどり・平和〉を大切にする
 政治や暮らしをつくっていきたい。

10月8日-2 〝コットン古都夢〟の「おしゃべり会」で、ステキなゲストお二人とご一緒しました

2022-10-08 | おにき日記
 
 
 
 10.8には、〝コットン古都夢〟の「おしゃべり会」で、ステキなゲストお二人とご一緒しました。
 〝一般社団法人 岡山市ひとり親家庭福祉会〟会長の景山敦子さんと理事の松本梢さんです。
 8月から、ゆうあいセンター内(岡山市北区南方 きらめきプラザ2階)に、「さえずりカフェ」という、ふっと立ち寄れる居場所、困りごと•悩みごとにも寄り添ってくださる場をオープンされました。
 はじめに、会の歴史とこれから、そして皆さん方の想いを綴ったパワポからスタート。
 私はひとり親家庭で育ったので、「子どもたちに寂しい想いをさせていないのか」など、私の母は、こんな想いを抱きながら、私たちを育てていたのかなぁと。凛として、何一つ嘆きごとを言うことのなかった姿を思い出し、涙腺が緩んでしまいます。
 同じひとり親の立場で、温かくお話を聞いてくださいます。
 お二人も、「おしゃべり会」参加の皆さんも、傾聴力は素晴らしい。なんか温かさが何倍にも膨れあがり、ほっこり心が満たされる癒される時間でした。
 私はひとり親家庭で育ちましたが、お二人と同じ立場の方、娘さんがひとり親になられた方など、それぞれにいろんな想いが重なります。
 今や「ひとり親」はカテゴリーの一つという言葉を聞いて、そういう仕組みづくりが求められていると思いました。
 ひとりで抱え込まないで話を聴いてもらい、いろんな人に支えてもらえたから、それが力になる。お二人の経験した確信から、必要な方に活動の輪を広げたいと願っておられます。
 私は、ゆうあいセンターに行ってドアが開いていると、挨拶だけにも伺います。おしゃべりだけでも大丈夫ですよと。「ひとりじゃないよ」と心を広げてお待ちです。お立ち寄りくださいね。
 くわしくは 添付のチラシをご覧ください🤗
 古都夢さんの会は、お花と美味しいもので、いつもいっぱい。ありがとうございます💚
 
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10月8日-1 夫の母が、9月16日に亡くなりました。享年90歳で天寿を全うしました。

2022-10-08 | おにき日記
 
 10.7の夜は鏡野に。写真は2人の母とです。
 小柄な方が夫の母で、丸顔が私の母。
 今の私よりは、2人とも年齢が若い頃の写真です。真ん中は、誰かわからないという声が聞こえてきそうです。
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 夫の母が、9月16日に亡くなりました。享年90歳で天寿を全うしました。
 四十九日までの7日ごとの法要に鏡野に帰ってきています。
 入院先の病院から、9月14日に、「明日、面会ができますよ」と声がかかり、翌15日、私は質問日で、本会議を終えて、鏡野へ。午後4時に、夫と面会をしました。
 看護師さんによると、ご家族の方が面会に来られますよと言うと、お母さんの目から涙がポロリとこぼれたそうです。
 20分ほどの面会時間、私たちが来ているのはよくわかり、お母さんは夫をずっと見ていました。
 素人の私たちは、もうしばらくは大丈夫かなぁと思い、お母さんに、また、会いに来るからねと、本心から声をかけました。
 お母さんの病床にと、コスモス🌸のカードを購入。そして、その深夜、電話が入りました。
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 明るく聡明な働き者。農業に携わりながら、撚糸工場などでずっと働いてきました。
 とてもよく動き、知恵をいつも働かせて、暮らしのなかで、感心することしきりでした。
 俳句を嗜み、卓球も楽しみ、花を育て、グランドゴルフでは、ボールより先に走って行っていると、皆さんから聞きました。
 地域のいろんなお役や楽しみの場に積極的に出かけていき、皆さんに、「信ちゃん、信ちゃん」と慕われ頼りにされていたように思います。
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 私たちの地産地消やエコな暮らしは、頭とかけ声が先行。お母さんたちは、何も言われはしませんが、米、野菜•豆、お花などを育て、鶏も飼っていました。椎茸も作り、干していましたね。
 毎日、食卓に玉子があり、ときに鶏肉が。まさに自給持続的な暮らしです。お墓のお花や花枝をお店で買うことはありませんでした。
 お味噌を作るのは毎年のことで、お正月に買うのは、ブリ、鰹節、カマボコ、カズノコ 、お出汁のスルメと海のもの。と、コンニャクくらいでした。
 お洋服もほとんど自分で仕立てていました。
 私をずっと尊重してくださり、アレコレと言われる方ではなく、楽しくいろんなことを教えていただきました。
 書き出したら、止まりそうにありませんが、2011年に脳溢血で倒れてからは、病院と施設暮らしでした。施設の皆さんにも本当によくしていただき、安心と感謝でいっぱいでした。
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 私の母は、米子から、病院にも施設にも、よく夫の母に会いに来ていて、それは我が母ながら、感心していました。
 コロナになってからは、会う機会が限られ、窓ガラス越しです。最期の面会のとき、コロナ以後、はじめて手を撫でました。
 2人の母とも、コロナが蔓延しているなかで、亡くなり、いろんな想いがよぎります。
 でも、どんな状況のなかでも、自分自身の生きる姿を通して、精一杯、私たちへの子育てをしてくれたのだなぁと、感謝の言葉がありません。
 夫もお母さんが倒れてから、初めはお父さんの介護もしながら、長く、がんばってきたなぁと思います。
 多くの皆さまのご厚情に心から感謝をします。
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