風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

明日です

2024-11-03 | 神楽・芸能



9月21日から延期となった「花巻ふるさとフェスタ!」は明日開催。
上根子神楽は八幡舞と権現舞をご披露予定です。
そのほかに神楽道具の展示や体験コーナーも実施予定。
普段なかなか見ることのない神楽道具を
見て、手に取っていただけます。
ぜひご来場を。
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2024年のドラフト考

2024-11-02 | スポーツ

今年のNBPドラフト会議が終わった。
自分のことでもないのに、毎年ドキドキしながら中継を見る。
贔屓のチームに新たにどんな新戦力が入るのか、
注目していたアマチュア選手がどこのチームに行くことになるか。
それぞれの選手の人生などにも思いを馳せながら。


この表は、とあるスポーツweb サイトに載っていた
ドラフト前の注目選手一覧番付。
もちろん選手の能力は数字で順番に評価できるわけじゃないし
それぞれの持ち味も、得手不得手も違うから、
一部解説者やスポーツ記者などが勝手に番付化したものだ。
この評価ほどアテにならないものはない。
とはいえ、私のような一般ファンは
全アマチュア選手を見てきているわけじゃないから
「こんな選手たちが候補か」という参考にはなる。

前評判が高く、指名も重複したりした上位4人はもちろんだけど
マニアックな見方をしたいワタシのような者は(笑)
さまざまな情報を総合して、未来のスター選手と勝手に注目し
その進路や、数年後の活躍を追いかけてみたりするのだ。

今年個人的に注目していたのは
渡部、麦谷両大学生外野手、同じく大学生の印出捕手、
そして社会人の野口、石伊両捕手だった。
結果として、渡部、麦谷、石伊の3選手はドラフト指名され、
野口、印出両選手は指名から漏れた。
というか、今年のドラフトは総じて捕手の指名が少なかったな。
絶対的捕手を固定できない巨人、楽天、西武、ロッテ、
主力捕手の高齢化が課題の阪神、SBなど
捕手需要は多いと思うのだが、どうしてなのだろう。
こればかりは現場を知らないので素人考えになってしまうが、
ほかのポジションと違って捕手は求められる能力レベルが高く
(キャッチング、フレームワーク、肩の強さ、リードなど)
他のポジションのような、伸び代よりも
完成度を求められるからなのかもしれない。

さて、今年のドラフト指名選手たちが
例えば3年後、例えば5年後、例えば10年後に
どんな選手になっているかがこれからの楽しみだ。
早くも3年ぐらいで戦力外を申し渡される選手たちにも注目し
野球だけじゃなく、人間模様として見ていこうと思う。
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「蕎麦の世界」

2024-11-01 | 読書

蕎麦は好きだ。
シンプルなざるやもりも良いし、もちろん天ぷら蕎麦も。
実は一番好きなのはニシン蕎麦だったりする。
マルカンビル大食堂で最近のお気に入りはとじ蕎麦だ。
好みの蕎麦は黒っぽい田舎そばで、ずしりと重みのあるもの。
江戸っ子みたいに噛まずに一気に喉越しを味わうなんて
粋な食べ方じゃなくて、しっかり味わいたい。

蕎麦への思い入れはせいぜいその程度なのに
知ったかぶりで「あの店は美味い」などと宣っていた。
仕事がらみで知人にお借りした本書を読み、
タテ(歴史)にもヨコ(種類や食べ方)にも奥深い
蕎麦の世界を知って目からウロコが溢れ出した。
そもそも「蕎麦」という字を何の疑問も持たずに読んでいたが
「そばむぎ」が語源と知って「なるほど」と。
「蕎」という字は「角ばっている」という意味らしく
「実の形が角ばっている麦」という雑穀の一種なのだという。

本書によると蕎麦の原産地は中国西部、
雲南省あたりではないかという。
蕎麦食の歴史は古く、
書物にその名が見出せるのは中国で6世紀、日本では8世紀。
ただし弥生時代の遺跡から蕎麦の実が出土しているらしいから
食していたのはかなり古い時代からのようだ。
稲はもともと熱帯性植物なので
もしかしたら古代日本の東北部などでは
ほかの雑穀とともに、米食より歴史があるのかもしれない。
「カキモチ」的なそばがきが主な食べ方だったものが、
安土桃山時代には「ソバキリ」として
現代のような食べ方もするようになったようだ。

庶民の味として蕎麦が一般的になったのは
江戸幕府成立に伴って、江戸のまちづくりのために
全国から集まった職人たちの、簡単な食事、
いわゆるファストフードとして広がっていったのがきっかけ
という話がとても興味深く面白かった。

本書にはほかにも蕎麦の種類、食べ方、のれん、職人から、
蕎麦打ちの道具、蕎麦にまつわる俳諧、川柳、落語に至るまで
とにかく徹底して蕎麦の世界をオーソライズしている。
マニア本とはここまで徹底されているのかと。
しかも内容が面白いからページを繰る手が止まらない。
世の中にはまだまだ知らない世界があるんだなぁ。
1985年刊。

「蕎麦の世界」新島繁・薩摩夘一共編 柴田書店


 
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味噌漬け大根

2024-10-31 | 食べ物・お店

全国的にはどうなんだろうか。
花巻では(というか岩手では)ごく一般的な漬物であり
極端な話、どこの家にもあるのではなかろうか。
漬物は冬の間、採れない時期の貴重な野菜。
保存食なのだ。
だからこそ雪国にはさまざま、豊富な漬物の種類がある。
いぶりがっこも、松前漬けも、野沢菜も。

この味噌漬け大根は私の大好物で、思い出もある。
子どもの頃、もちろん電子レンジなど無い時代、
おやつは冷えた残りご飯にお湯をかけた湯漬けにこれだった。
最近は塩分を抑えなければならない食事制限により
あまり食べなくなったけれど
これさえあれば他に何もなくてもご飯が食べられた。
我が家や実家では作っていないが
各家庭の味として手作りをストックしている家も多いだろう。
買ってくるにしても、食品工場で作った平均的なものより
どこかのおばあちゃんの手作りが断然うまい。

食品衛生法改正により
相当な設備投資をしなかれば販売できなくなる由。
いぶりがっこも、野沢菜も、味噌漬け大根も
個人で作った販売してきたおばあちゃんたちの味が
「そったに金かげられねぇから、もうやめる」ということで
食べられなくなる。
漬物は大切な食文化だと思うのだが
それが無くなってしまうのは地域文化の喪失に違いない。

政治家の方々は、経済安全保障を声高に言うが
ウクライナ紛争を見ているとよくわかる。
本当に大事な経済安全保障は食料自給率を上げること。
今輸入に頼っている食料が輸入できなくなるとどうなるのか。
特に都市の食を支えているのは地方だから
地方の食文化こそ守るべきものではないだろうか。
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歴史が今を形作っている

2024-10-30 | 世界・平和

世界史が面白い。
ルパンシリーズを読んでいたせいか、
小学生の頃からフランス革命前後に興味を持っていて
のちの大学受験でも世界史を選択したが、
中学、高校の授業では「●年に▲が起きた」という事象ばかりで
ほぼ暗記を強いられる内容だったからつまらなかった。
「世界史はヨコの繋がり、日本史はタテの繋がりを学ぶ」
と言われていて、その通り受け取っていたが
実は世界史もタテの歴史が重要であることを大人になって知った。

例えばユダヤ人の歴史。
ユダヤ人とは民族ではなく、基本的にユダヤ教信者のこと。
それはキリスト教やイスラム教の元となった宗教で、
旧約聖書が元となっている。
ヘブライ人たちは現在のイスラエルの地から
エジプトやローマ帝国に翻弄されて世界各地に散らばっていった。
「約束の地に帰ろう」がイスラエル建国につながっている。
しかしその「約束の地」パレスチナはアラブ人が住んでいた。
そこに無理やりイスラエルが建国されたわけだが
欧米各国がユダヤ人たちの後ろ盾だったことで複雑になった。
元来パレスチナの人々とユダヤの人々は同根らしいが
ユダヤとイスラム、ふたつの宗教に分かれてしまっている。
現代における中東紛争は、
そういう意味では国同士、民族同士の争いではなく
宗教戦争ともいえる状況なのだ。
そんなことは授業では教わってこなかった。
一神教は、他を認めないことに繋がりやすい。
八百万の神をいただく日本は、
多様性を受け入れる素地があるのではなかろうか。

中国においてもタテの歴史は重要。
数十年前のことだが、ランチの際に隣り合った
中国からの岩手大留学生と会話を交わしたことがある。
彼に「中国3千年の歴史はすごいね」と言ったら
「清は漢民族の国ではありませんでした。
 漢民族の国の歴史は高々まだ百年程度なのです」
と言われたことを今も忘れられない。
安易にCMのコピーを流用した自分が恥ずかしかった。
一方で、漢民族のアイデンティティの強さと
当時まだまだ多民族国家であることを認めていない価値観が
とても気になった出来事だった。

世界の歴史は人種や宗教、文化、民族共生の歴史。
人種差別をなくすためにも、暴力の連鎖を止まるためにも
世界の歴史を学ぶことはとても重要だと今改めて思う。
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稲を干す

2024-10-29 | 文化
一時の米不足も、新米が市場に出始めて
高値ながら解消されつつあるようだ。
10月も末になると稲刈りもほとんど終わり、
稲を干す光景も見なくなった。

ところで、最近は機械乾燥が一般的のようだが
稲刈り後の田んぼで天日干しする農家もまだまだある。
この天日干しの方法について
以前から不思議に思っていることがある。
いわゆる「はせがけ(はぜがけ、はさがけと言う地域も)」と
ここいらでは俗に「ほにょ」という2種類はどう違うのか。

「はせがけ(はぜがけ、はせがけ)」

「ほにょ」

「ほにょ」とは不思議な言葉だが
漢字にすると「穂仁王」とか「穂鳰」とか書くらしい。
確かに見た目は穂の「仁王」にも見える。
このやり方の違いはどこにあるのだろうと思い
農家の方に聞いたことがある。

昔は「旧南部藩はほにょ、旧伊達藩ははせがけ」と
どこかで聞いた気がするのだが
どうやら狭い田んぼでは「はせがけ」できないので
タテに棒を立てた「ほにょ」にするというのが本当のようだ。
確かに旧伊達藩は広い北上平野に田んぼが広がり
旧南部藩である当地あたりは小さな田んぼが点在していた。
(土地改良事業により、今ではほぼ広い田んぼになっている)
実家そばの小さな田んぼに「ほにょ」が立ち並び
その間で鬼ごっこして遊んだ思い出がある。

昔ながらの農家には「はせがけ」や「ほにょ」の棒が
田んぼの脇などに重ねて置いてあり
中学時代の体育祭で応援のパネル張りに借りてきたものだった。

刈った後の稲束は案外重い。
これをひとつひとつ干していくのは重労働だから
機械乾燥ができる現代は便利になったが
それでも籾殻を燃やす煙がたなびいている中に
稲が干してある風景はまさしく故郷の秋の思い出の1場面。
脱穀した後の藁が(発酵させて肥料にするために)積まれた上で
プロレスごっこしたりした思い出も含め
(家に帰って風呂に入ると身体中チクチクしたものだ)
懐かしく今も思い出されるのだ。
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叔母の葬儀

2024-10-28 | 生活の風景

埼玉に住む叔母が先月亡くなったのだが
母方実家の長男である亡き叔父が
花巻にある祖父母の墓に入っているので、
花巻に住んだことのない従兄弟たちの計らいで
叔母の葬儀も昨日花巻で行われた。
土地勘も、地域の風習もわからない状態で、
遠隔地から段取った従兄弟たちは大変だったと思う。
地元にある我が家ができるだけ手伝おうと考えていたのだが
どこまで役に立っただろうか。

ところで、コロナ禍を経て
当地の葬儀の仕方も大きく変わった。
受付でお香典を出した後は参列せずに焼香だけする
という形が一般的になってきたが、
何よりも葬儀後の忌明け法要がほぼ無くなったのが
もしかしたら一番大きいかもしれない。

ちょっと前、知人の市内寺院住職と話したのだが
この忌明け法要が無くなったというのは
喪主側にとっては面倒が無くなった楽になった反面、
親戚関係の希薄さの加速化に繋がっているという。
故人のおかげで久しぶりに顔を合わせる親戚同士が
無事を確認し合い、旧交を温め合う。
子どもたちも参列させ、紹介し合うことで
親戚付き合いの世代交代をスムーズに行うことができる。
これは現代の核家族化に逆行するかもしれないが、
実は地方の人口減少、少子高齢化対策として有効だと思う。
人間関係やコミュニティが
現代の諸問題解決のキーワードだと思うのだ。

ということなのかどうかわからないが
昨日は久しぶりに忌明け法要まで段取ってもらった。


母世代の叔父、叔母、従兄弟、従姉妹たちとも
本当に久しぶりに顔を合わせ話ができた。
人はもれなく歳をとるし、誰しも命は有限だ。
会える時に会わないと後悔する。

葬儀というお別れの儀式は悲しいけれど
それがきっかけで久しぶりに親戚と会うのは楽しい。
件の住職の言うとおり
個人のお陰で楽しい会話が交わせる。
とても大事なことだと思うんだ。
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伝統的エディブルフラワー

2024-10-27 | 食べ物・お店

秋だなぁ。
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お別れ

2024-10-26 | マチココ



突然の訃報を聞いたのは10/21の月曜日。
観光協会での会議前だった。

浅沼さんは早池峰賢治の会の会長で早池峰と賢治の展示館館長だった。
以前から展示館や賢治まちづくり委員会席上などで
ちょくちょく浅沼さんとは会話を交わす機会はあったが、
マチココ前号の特集「大迫」取材における8/7の下調べの際に
展示館にていろいろご教授いただき
また宮沢賢治学会イーハトーブセンター定期大会における
9/23のエクスカーションにて
大迫町内の賢治にまつわる場所の案内などお願いして
大変お世話になったばかり。
だから突然の訃報にはとても驚いた。

エクスカーション時、火の又分教場跡地の帰り道で
かつて周辺にあったという金山の痕跡の説明に興味を持ったので、
もっと詳しいお話を後ほどゆっくりお聞きしようと思っていた。
その機会を逸してしまい、とても残念だ。
旭ノ又地域、猫底集落、猫山、大償神楽などについてなど
まだまだお話を伺いたかったが、もう叶わない。

昨日が告別式。
そっと心の中でここ数ヶ月のお礼を述べた。
合掌
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花巻ふるさとフェスタ!

2024-10-25 | 神楽・芸能


当初は9/21(土)に開催予定だった花巻ふるさとフェスタ!が
天候により延期され、11月4日(月・振替休日)に改めて開催が決定。
上根子神楽は花巻中央広場ヒルズエリアのステージイベントに
11:20から出演するとともに、
下の花巻中央広場で10:00〜15:00に神楽体験も開催することとなりました。
神楽の前にはThis my JAMのダンスや
さまざまな体験コーナー、キッチンカーも多数。
なお、13:40からの「まきまき花巻PRタイム」には私も登壇します。
ぜひご来場ください。
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「月下の告白」

2024-10-24 | 文化

       青山二郎に

劃然とした石の稜
あばた面なる墓の石
虫鳴く秋の此の夜さ一と夜
月の光に明るい墓場に
エジプト遺蹟もなんのその
いとちんまりと落居てござる
この僕は、生きながらえて
此の先何を為すべきか
石に腰掛け考えたれど
とんと分らぬ、考えともない
足の許なる小石や砂の
月の光に一つ一つ
手にとるようにみゆるをみれば
さてもなつかしいたわししたし
さてもなつかしいたわししたし

   (1934.10.20 中原中也)
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素朴なギモン

2024-10-23 | 社会
どうしてもわからないことがある。
平均賃金の上昇以上に物価が高騰している。
給与を上げても可処分所得は減る。
政治家の皆さんは「もっと最低賃金を上げる」と言う。
企業では人件費が上がった分コストが増え
それが価格に転嫁される。
物価が上がり、また可処分所得が減っていく。
さらなる賃金UPを国から強要される。
・・・その繰り返し。

おまけに働き方改革で、人員が足りない分は非正規で補充。
給与UPと人員増で、ますます人件費の総額が増える。
またその分価格に転嫁される。
自社のみならず、仕入れや流通の価格も上がっていくから
倍々ゲームでコストがUPしていく。
物価が上がり、また可処分所得が減っていく。
さらなる賃金UPを国から強要される。
・・・その繰り返し。

企業では賃金UPだけではジリ貧になるだけなので
売上のますますのUPを毎年図ろうとする。
仕事は増えるが、働き方改革で就業時間は限られる。
生産性を向上させようとしても限度がある。
新しい分野や販路に進出して活路を見出そうとするも、
その分また人員が必要となる。
そして、根本的に、給与は全産業一斉に上がるわけではない。
まして自営業やフリーランスはどうするのか。

こんなことをいつまで続けるのだろう。
・・・というか、いつまで続けられるのだろう。
ものがなかった頃からの高度経済成長時代にかけてなら
それでうまく経済が回って良かっただろうが。
これからの成長分野は限られているし、
切り開くことができる会社ばかりじゃない。
歴史があり、生活に密着した産業も大切な存在だ。
資本主義とは本来そういうものではないのではと思う。

自分が経験した昔話を持ち出すのはおっさん臭くて嫌だけど
昭和40年代の高度経済成長期の家庭生活は
実はとても質素で、電話すら「電話代がかかる」と言って
必要最小限、できるだけ短く済ませたものだった。
外食は特別なことで、それもラーメンなどがほとんど。
バブル前は、結婚しても狭いアパート暮らしで
将来の生活グレードアップを夢見て頑張った。
その感覚が残っているので
現代の若い世代が「結婚する余裕がない」と言うのを
不思議に感じたりもしていた。
その感覚が消えてしまったのはバブル期だと思う。
あの時代、価値観が大きく変わり
金が全てになってしまったのではなかろうか。
「金を得た者が勝ち組」という価値観が
もしかしたらブラックバイトの強盗殺傷事件や
金権政治にも繋がっているのかもしれない。
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「極悪女王」

2024-10-22 | 映画・芝居・TV

プロレスには全く興味を持ったことはないが、
それでも20代前半の頃に人気だったビューティーペアや
その後のクラッシュギャルズの名は知っている。
もちろんダンプ松本も、ジャガー横田は今もタレントだし。
この作品も最初はあまり興味が沸かなかったが
何かと話題となったのを見、
地上波では見られないスケールのネトフリドラマでもあるので
ちょっとだけ見てみようかと選んでみた。

各役者さんたちが1年かけてトレーニングしたという
プロレスシーンの迫力もすごいが
ダンプ松本の壮絶な生い立ちがメインのヒューマンドラマに
途中で辞められないほど惹きつけられた。
エンドロールのスタッフの人数にも大変驚いた。
こりゃヘタな映画より金も人数もかけて作られている。
民放の場合は地上波ドラマの予算が限られ、
NHKの地上波ドラマもBSドラマも視聴者の目を気にする。
契約者のサブスクにより予算が豊富で
しかも世間の目を気にする映画なんかより制限がなく
こんな作品を作ることができるNetflix恐るべし。

とはいえちゃんとインティマシーコーディネーターも入り
役者の方々も安心して演技できるだろう。
こんなドラマを見たら(「地面師たち」や「全裸監督」なども)
もう地上波の民放ドラマはちゃっちく感じてしまう。
(カンテレ制作のドラマは脚本やテーマなかなかいいけど)
企画・脚本の鈴木おさむ氏も見事。
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交通事故の思い出

2024-10-21 | 風屋日記

ちょこまか擦ったりということは何度かあるが
これまでの人生で経験した交通事故は3度。

一番金額的に苦しかったのは大学時代。
借りた車で東京から茨城の友人を送って行った帰り道。
当時の私はテレビ局のADの仕事で毎日早朝から仕事をしていて
慢性寝不足状態だったのだが、とうとう眠気に負け
ひとりの帰り道で渋滞最後尾のタクシーに追突してしまった。
大それた事故ではなかったが
友人の車の修理代、タクシーの修理代に営業補償と
学生にとってはかなりの出費となってしまった。
借金しながらなんとか返済した記憶がある。

一番大きな事故は、就職1年目の年明け、仕事始めの日。
花巻から盛岡への田んぼの中の1本道。
道路は圧雪だったが、降ったばかりで快調に走らせていた。
と、横道からの車が雪で止まれず飛び出してきた。
そのままだと横腹にぶつかるからハンドルを少し右に切った。
しかし対向車が来ているので、正面衝突だけは避けたい。
ブレーキをかけると雪道でコントロールを失う。
とっさにハンドルを右に切ったままアクセルを踏んだ。
車はそのまま反対側の2mほどのノリ面下の田んぼに転落。
フロントを田んぼに突っ込み、1回転して雪原に着地。
エンジンが止まり、雪煙が舞う車内で、
かかったままのカーステレオからユーミンの歌声が聴こえていた。
♪ブリザード ブリザード〜♪
ネタのような話だが😅ホントの話だ。
「おー生きてた」と、震える手でとりあえずタバコに火をつけ
車から降りたら、上の道路脇に心配したたくさんの人が。
「すみません💦大丈夫です」(本当にかすり傷ひとつなかった)
と平謝りし、携帯電話もない時代なので
人家を探し、電話を借りるべく2kmほどの雪道を歩いたのだった。
車はもちろん廃車。

今でも思い出すと、よく生きていたなと振り返る事故は
やはり大学時代のことだ。
バイト代を貯めて買った原付バイクで環状7号線を走っていた。
アルバイトの帰り道、給料をもらい気分上々だった。
当時はまだ原付でのヘルメットは義務化されていなかったから
ノーヘルで、でもスピードはせいぜい30km/hぐらいだったと思う。
突然横道から自転車が一時停止せずに入ってきた。
そのままぶつかり、バイクから投げ出された。
とっさに頭を庇ったまま道路を10mほどころがった。
顔をあげてみると環7の片側車線のど真ん中。
しかし手前の信号で車は止まっていたから助かった。
そうじゃなかったら簡単に跳ね飛ばされていただろう。
この時もたくさん人が集まったが
そういう時は痛さよりも恥ずかしさの方が勝る。
「すみません、すみません💦」と
動かぬバイクを押して、500mほど先のアパートに帰った。
部屋に入った途端、体がもう動かなくなる。
全身が痛い。
怪我というより、瞬間的な強張りで
体のコントロールが効かなくなったようだった。
怪我らしい怪我といえば、左の肩と肘の裂傷。
骨はなんともない。
ただ、ぞっとしたのは髪の毛がボソッと抜けたこと。
腕で守ったものの頭を擦ったのか、
それともショックで抜けたものなのか、
手で梳い他だけでこわいほどの本数が抜けた。
それから数日は動かぬ体でなんとか生活した思い出。
それ以来、原付といえどバイクには乗っていない。
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達谷窟

2024-10-20 | 
この記事は「旅」扱い。
先日、ちょっと用事があり、
10年ぶりぐらいに平泉町の達谷窟へ。
ここはアテルイをはじめとした蝦夷討伐のため
平城京から平安京へと遷都した桓武天皇の命により
軍を進めた坂上田村麻呂建立の毘沙門堂とされている。
その後、源頼義、義家親子が寺領を寄進したり
藤原四代が伽藍を建立したりして崇敬を集めてきた国指定史蹟。
しかしどうやら田村麻呂がやってくる前から
蝦夷にとっての祭祀の場所だったらしい。
だから今、蝦夷の末裔たる地元民が
田村大将軍の本地を毘沙門天神として祀っているのは
個人的には多少違和感がある。
そもそもが天台宗の仏教(西光寺が別当)なのに
鳥居があったり、神を祀ったり・・・神仏混淆の名残か。


この石の鳥居は江戸時代に作られたものとのこと。


日本大第九の窟毘沙門堂。
内部は撮影禁止。


毘沙門堂の横には岩刻大仏の顔が。


金堂には平安時代作の2体の観音像が公開されていた。
仏像や古社などを割と客観的に見がちな私でも
自然に首が垂れる荘厳さだった。

帰りにはふと思いついて道の駅平泉へ。


もちろんここにしかない金ごまミルクのソフトクリームを。



母へのお土産は黄金餅。
ここのスイーツはなんでも金だ😆
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