ちょこまか擦ったりということは何度かあるが
これまでの人生で経験した交通事故は3度。
一番金額的に苦しかったのは大学時代。
借りた車で東京から茨城の友人を送って行った帰り道。
当時の私はテレビ局のADの仕事で毎日早朝から仕事をしていて
慢性寝不足状態だったのだが、とうとう眠気に負け
ひとりの帰り道で渋滞最後尾のタクシーに追突してしまった。
大それた事故ではなかったが
友人の車の修理代、タクシーの修理代に営業補償と
学生にとってはかなりの出費となってしまった。
借金しながらなんとか返済した記憶がある。
一番大きな事故は、就職1年目の年明け、仕事始めの日。
花巻から盛岡への田んぼの中の1本道。
道路は圧雪だったが、降ったばかりで快調に走らせていた。
と、横道からの車が雪で止まれず飛び出してきた。
そのままだと横腹にぶつかるからハンドルを少し右に切った。
しかし対向車が来ているので、正面衝突だけは避けたい。
ブレーキをかけると雪道でコントロールを失う。
とっさにハンドルを右に切ったままアクセルを踏んだ。
車はそのまま反対側の2mほどのノリ面下の田んぼに転落。
フロントを田んぼに突っ込み、1回転して雪原に着地。
エンジンが止まり、雪煙が舞う車内で、
かかったままのカーステレオからユーミンの歌声が聴こえていた。
♪ブリザード ブリザード〜♪
ネタのような話だが😅ホントの話だ。
「おー生きてた」と、震える手でとりあえずタバコに火をつけ
車から降りたら、上の道路脇に心配したたくさんの人が。
「すみません💦大丈夫です」(本当にかすり傷ひとつなかった)
と平謝りし、携帯電話もない時代なので
人家を探し、電話を借りるべく2kmほどの雪道を歩いたのだった。
車はもちろん廃車。
今でも思い出すと、よく生きていたなと振り返る事故は
やはり大学時代のことだ。
バイト代を貯めて買った原付バイクで環状7号線を走っていた。
アルバイトの帰り道、給料をもらい気分上々だった。
当時はまだ原付でのヘルメットは義務化されていなかったから
ノーヘルで、でもスピードはせいぜい30km/hぐらいだったと思う。
突然横道から自転車が一時停止せずに入ってきた。
そのままぶつかり、バイクから投げ出された。
とっさに頭を庇ったまま道路を10mほどころがった。
顔をあげてみると環7の片側車線のど真ん中。
しかし手前の信号で車は止まっていたから助かった。
そうじゃなかったら簡単に跳ね飛ばされていただろう。
この時もたくさん人が集まったが
そういう時は痛さよりも恥ずかしさの方が勝る。
「すみません、すみません💦」と
動かぬバイクを押して、500mほど先のアパートに帰った。
部屋に入った途端、体がもう動かなくなる。
全身が痛い。
怪我というより、瞬間的な強張りで
体のコントロールが効かなくなったようだった。
怪我らしい怪我といえば、左の肩と肘の裂傷。
骨はなんともない。
ただ、ぞっとしたのは髪の毛がボソッと抜けたこと。
腕で守ったものの頭を擦ったのか、
それともショックで抜けたものなのか、
手で梳い他だけでこわいほどの本数が抜けた。
それから数日は動かぬ体でなんとか生活した思い出。
それ以来、原付といえどバイクには乗っていない。