前回の記事、電王戦の行方では、いろいろ言いたいことを放電(?)のように書いてしまいました。
この記事についてはギズモさんの記事、《電王戦タッグマッチについての意見表明》の中で取り上げていただきましたね。ありがとうございました。
ギズモさんはこう主張されています。
【とにかく、プロ棋士のみなさんは、まず議論をするべきです 話し合いもなーんにもなくて、ただ川上会長と谷川会長の間だけで、こんな大棋戦が成立しそうな流れになってるじゃないですか
もう連盟のページにも、2016年からこの棋戦を作る、と書いてありますしね
まず、理事会、そして臨時の棋士総会を開くべきです
こんなときのために理事は居るし、棋士総会もあるのでしょう?
棋士のみなさん、今、考えないとダメです 賞金をもらって既成事実ができてしまってからでは、遅いんです
<中略>
利益追求の株式会社ではない存在、日本将棋連盟という公益社団法人を、今こそ、正会員であるプロ棋士のみなさん一人ひとりが守ってください! この一件、本気で考えてください!】
すでにおわかりのように、もともと僕は温厚かつ柔軟な受けの棋風ゆえ、棒銀でガンガン攻めていくのは気が弱くて向いてないです。
なのでいろいろ書きましたが、基本は真っ向から反対意見を述べているのでなく、本当にいいの?この方向で進めちゃって大丈夫なの?と要らぬ心配をしているおせっかいなオジサンなわけです。
そんなことで今回の電王戦のタッグマッチに至る経緯のところで、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。(しつこい。。)
まず、本筋とは別の結構新しいことをやるのであれば、それなりの事前の準備を十分にしたのでしょうか?という疑問。(もちろん十二分にしました、ということなのかもしれないですけど。)
いろんな角度から、リスクやデメリットも検証した上で、どれだけファンが支持してくれそうな棋戦(イベント?)になるのかどうか。
そのあたりのマーケティングも十分にやった上で、関係者の意見も聞いて議論を十分しつくした上での自信を持った判断なのであれば何も言うことはないと思います。
コンピュータがどんどん強くなってきた時点で、連盟としては将棋、あるいは棋士とコンピュータとの親和性について、あるいは関わり方について、どのようなビジョンを描いてきたのでしょうか。
米長前会長がいろいろな指針を出して、基本的な方向を作ったのだとは思いますが、さらに加速度的に強くなったコンピュータとの付き合い方について、まだ議論が足りてないのではないかと思えて仕方ありません。
もともとこの電王戦。
人類対コンピュータの異種格闘技として話題になり、新しいファンが増えたことは間違いない。
しかし、これからのタッグマッチも含め、これを連盟が目指す新たな方向性として位置づけることはどうなのか。
タッグマッチを多額の賞金を誇る棋戦のひとつとしてフィーチャーしていくことはどうなのか。
素朴な疑問なのですが、スポンサーがつく前から、人間とコンピュータの対決をして、異種格闘技のように盛り上げて、新たなファン層の開拓をしたら面白い、普及の大きな柱になるって発想はあったのでしょうか。(米長前会長はそのように描いていたのですかね?)
ドワンゴさんとは関係なく、棋士とコンピュータがタッグを組んでタッグマッチをやったら面白い、それを棋戦の一つにしたら面白い、って以前から考えていたのでしょうか。
どうしたらより普及を進められるかという課題に対して、真剣に議論を重ねていった中で、コンピュータとの関わりを持ち出すことが有力な一手だという結論なのであればまだわかります。
自らやりたいことにスポンサーが理解を示してくれて協賛してくれるのでそれは渡りに船ですから。
でも、そんなこと全く考えてもいなかったけど、たまたまこういうオファーがあったので、面白そうなので乗りました。
お金も入るし、普及にもなるし、という後付け的なことだったのであればそれはどうなのでしょうか。
こんな言葉があります。
「成功する新事業というのは、
どうしてもやりたくてやりたくてワクワクすること。
後ろから羽交い絞めされてもそれをはねのけてまでやりたくて仕方ないこと。」
そういうことであれば結果うまく行くのだ、という金言です。
逆に言うと、それほどの情熱とか、いわゆる使命感がなかったらなかなかうまく行かないということ。
もちろんマーケットやニーズがあることが前提だけど、こうであれば、結果はうまくいく、という話です。
つまり言いたいのは、このタッグマッチというものを本当にどうしてもやりたいことなのかどうかです。
本気度。必死度。
それほどやりたいわけでもないし、いろいろ問題はあるけど、メリットもあるからちょっとやってみよう、というのでは腰が引けてるし結局はうまくいかなくて頓挫することになる。
将棋の発展ということ。
そもそも将棋は何のためにあるのか。
ちょっと広げて言うと、文化は何のためにあるのか。
文化が発展するということはどういうことなのか。
単にファンの人数が増えればいいのか。
将棋の本質的な価値。
将棋のリテラシー。
世の中における影響度、ブランド価値。
日本の伝統文化ということを考えると、サッカーやチェスとは違って、相撲と共通する部分があるのかもしれない。
どんどん世界に出て行って“JUDO”のように変化しながらもインターナショナルな“SHOGI”になっていくことや、どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。
目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。
この記事についてはギズモさんの記事、《電王戦タッグマッチについての意見表明》の中で取り上げていただきましたね。ありがとうございました。
ギズモさんはこう主張されています。
【とにかく、プロ棋士のみなさんは、まず議論をするべきです 話し合いもなーんにもなくて、ただ川上会長と谷川会長の間だけで、こんな大棋戦が成立しそうな流れになってるじゃないですか
もう連盟のページにも、2016年からこの棋戦を作る、と書いてありますしね
まず、理事会、そして臨時の棋士総会を開くべきです
こんなときのために理事は居るし、棋士総会もあるのでしょう?
棋士のみなさん、今、考えないとダメです 賞金をもらって既成事実ができてしまってからでは、遅いんです
<中略>
利益追求の株式会社ではない存在、日本将棋連盟という公益社団法人を、今こそ、正会員であるプロ棋士のみなさん一人ひとりが守ってください! この一件、本気で考えてください!】
すでにおわかりのように、もともと僕は温厚かつ柔軟な受けの棋風ゆえ、棒銀でガンガン攻めていくのは気が弱くて向いてないです。
なのでいろいろ書きましたが、基本は真っ向から反対意見を述べているのでなく、本当にいいの?この方向で進めちゃって大丈夫なの?と要らぬ心配をしているおせっかいなオジサンなわけです。
そんなことで今回の電王戦のタッグマッチに至る経緯のところで、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。(しつこい。。)
まず、本筋とは別の結構新しいことをやるのであれば、それなりの事前の準備を十分にしたのでしょうか?という疑問。(もちろん十二分にしました、ということなのかもしれないですけど。)
いろんな角度から、リスクやデメリットも検証した上で、どれだけファンが支持してくれそうな棋戦(イベント?)になるのかどうか。
そのあたりのマーケティングも十分にやった上で、関係者の意見も聞いて議論を十分しつくした上での自信を持った判断なのであれば何も言うことはないと思います。
コンピュータがどんどん強くなってきた時点で、連盟としては将棋、あるいは棋士とコンピュータとの親和性について、あるいは関わり方について、どのようなビジョンを描いてきたのでしょうか。
米長前会長がいろいろな指針を出して、基本的な方向を作ったのだとは思いますが、さらに加速度的に強くなったコンピュータとの付き合い方について、まだ議論が足りてないのではないかと思えて仕方ありません。
もともとこの電王戦。
人類対コンピュータの異種格闘技として話題になり、新しいファンが増えたことは間違いない。
しかし、これからのタッグマッチも含め、これを連盟が目指す新たな方向性として位置づけることはどうなのか。
タッグマッチを多額の賞金を誇る棋戦のひとつとしてフィーチャーしていくことはどうなのか。
素朴な疑問なのですが、スポンサーがつく前から、人間とコンピュータの対決をして、異種格闘技のように盛り上げて、新たなファン層の開拓をしたら面白い、普及の大きな柱になるって発想はあったのでしょうか。(米長前会長はそのように描いていたのですかね?)
ドワンゴさんとは関係なく、棋士とコンピュータがタッグを組んでタッグマッチをやったら面白い、それを棋戦の一つにしたら面白い、って以前から考えていたのでしょうか。
どうしたらより普及を進められるかという課題に対して、真剣に議論を重ねていった中で、コンピュータとの関わりを持ち出すことが有力な一手だという結論なのであればまだわかります。
自らやりたいことにスポンサーが理解を示してくれて協賛してくれるのでそれは渡りに船ですから。
でも、そんなこと全く考えてもいなかったけど、たまたまこういうオファーがあったので、面白そうなので乗りました。
お金も入るし、普及にもなるし、という後付け的なことだったのであればそれはどうなのでしょうか。
こんな言葉があります。
「成功する新事業というのは、
どうしてもやりたくてやりたくてワクワクすること。
後ろから羽交い絞めされてもそれをはねのけてまでやりたくて仕方ないこと。」
そういうことであれば結果うまく行くのだ、という金言です。
逆に言うと、それほどの情熱とか、いわゆる使命感がなかったらなかなかうまく行かないということ。
もちろんマーケットやニーズがあることが前提だけど、こうであれば、結果はうまくいく、という話です。
つまり言いたいのは、このタッグマッチというものを本当にどうしてもやりたいことなのかどうかです。
本気度。必死度。
それほどやりたいわけでもないし、いろいろ問題はあるけど、メリットもあるからちょっとやってみよう、というのでは腰が引けてるし結局はうまくいかなくて頓挫することになる。
将棋の発展ということ。
そもそも将棋は何のためにあるのか。
ちょっと広げて言うと、文化は何のためにあるのか。
文化が発展するということはどういうことなのか。
単にファンの人数が増えればいいのか。
将棋の本質的な価値。
将棋のリテラシー。
世の中における影響度、ブランド価値。
日本の伝統文化ということを考えると、サッカーやチェスとは違って、相撲と共通する部分があるのかもしれない。
どんどん世界に出て行って“JUDO”のように変化しながらもインターナショナルな“SHOGI”になっていくことや、どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。
目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。