即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

大義のためには

2008年01月27日 22時37分02秒 | 将棋
なんだかまたきな臭いことになってます。

こんなに早くまたこんな記事書くことになるとは思わなかったです。

王位・女流王位合同就位式も含めて、米長会長のいろいろな場での発言では、

『残念ながら、別の団体にはなってしまったけど、お互い切磋琢磨し、将棋の普及発展にがんばってほしい。』
という基本線ですし、今までのいろんな経緯、確執などは、ほぼ氷解したのだと思っていました。
そして、当分は何事もなくこのまま進むのかな、と思っていました。

女流棋士同士は、あんまりもうそういうことも意識せず、LPPG(連盟女流棋士会)もLPSAもなく、普通に仲良くもしゃべっているでしょうし、お互いの活動や企画に関しては、いい刺激をし合って、いい意味で競争しあって、がんばっている(もちろん棋力向上もですが)と理解していました。

突然来たLPSAのメルマガ、そしてその詳細が『第34期女流名人位戦第2局・倉敷イベントについて』

要は、決まっていた3人の出演がキャンセル。
その理由は、
《日本将棋連盟より「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」との申し出が主催者側にあり出演がキャンセルされることとなりました。》

決まっていたのに、横槍です。
「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」
なんですか?これ。

対局で一緒になることはかまわない。(ふーん、今後は対局もだめってこともあるのかな?)
それ以外は、別の団体の女流棋士同士が一緒になっちゃいけない。
交流しちゃいけない。

shogitygooさん女流名人位戦の倉敷イベントについて 他 で、書いてます。

一部引用させてもらいますが、
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それどころか、最近は、関係改善が水面下で進んでいるのかもしれないと甘い考えを抱き、余計なことを言って邪魔をしたりすべきではないと思い、細かい問題を意図的に書かないようにしてきたくらいです。今回の一見は、完全にそんな気持ちに水をさすものでした。こうして、冷静風を装って書いてはいますが、正直な気持ちでは、もっと率直な書き方をしている他の一般の方々と全く変わりがありません。
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ほんと、ここ同感です。

こんな風に書いてるとますます腹がたつので、できればこんな記事は書きたくないんです。

仲良く、うまくやってくださいよ。

だって、お互い普及面での第一義は、
ファンが喜ぶ、ファンに将棋を身近に感じてもらう、将棋の魅力を味わってもらう、ということですよね?

間違いないですよね?

それであれば、どこが主催のどんなイベントであろうが、よりファンに喜んでもらうならば、両団体から、分け隔てなく女流棋士に出てもらったほうがいいに決まってます。

そういう目的とか趣旨とか、もっと言えば大義のようなことを、今回の横槍は完全に無視しています。
自分の手で、大切な将棋というものを貶めています。

完全に暴挙ですね。
こんな馬鹿げたことをやってたら、将棋の普及発展は妨げられますよ。

ファンが減って、スポンサーも減って、メディアも取り上げてくれなくなり、そのうち誰もやる人いなくなりますよ。

昔の女子高の男女交際の規律じゃあるまいし、
他校の男子とは、口をきいてはいけません、交際してはいけません、みたいな。

誰がこんなこと言ってるんですか?

百歩譲って、もしそうするのなら、最初からそういう風に標榜して、そういう付き合い方にすればいいでしょ?

一度決まったものを、覆すなんて。

ファンのがっかりした顔、目に浮かびませんか?

公式対局以外はだめ、というのなら、
将棋まつりでも、TV番組でも、全部だめってこと?

じゃあ、どこかのTVの企画で、女流のタイトル保持者3人の対談が企画されたら、NGってことですね?
将棋のメディア露出のチャンスロスになろうがかまわない、ということですね?

ふーん、そうなんですね。

もう一度言いますが、

そんなことで争ってる場合でなく、危機感を感じる現状の中で、将棋の普及を進めていかないと明るい未来はない、という認識ではないのですか?
待遇に満足なんかしないで、もっともっと給料増やすために、将棋の価値を上げ、ファンを増やし、スポンサーも増やさないでいいわけですか?

こんなに素晴らしい将棋の魅力を、より多くの人に伝える努力をする方が、派閥争いなんかしてるよりよっぽど大切だとは思いませんか?

WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログの魔人ブウ*さんが、将棋SNSの記事《江戸時代の鎖国感覚はさすがに時代錯誤と思われる》で詳しく分析しています。

一部引用させてもらいます。
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「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」
このスタンスは、日本将棋連盟の所属女流棋士をLPSA所属女流棋士から隔離したいという意思に他なりません。ところが、実際にはこの両者は各所で交流しています。例えば先日の深浦王位、石橋女流王位合同就位式では、両組織の女流棋士同士が普通に会話していました。つまりは、普通の女流棋士たちにとっては政治的な問題は関係ないわけです。ところが、恐らくは日本将棋連盟女流棋士会の理事会にとってはそうではないのでしょう。彼達は何をそんなに恐れているのでしょう。自分達の領土を侵されたくない。自分達の価値観を侵されたくない。自分達の同僚を切り崩されたくない。そういったことを考えているのでしょうか。
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      《中略》
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時代は江戸時代とは異なり、ボーダーレス化は進む一方です。そうした中において、日本将棋連盟の女流棋士会が、ファンが期待するような発展をする可能性は、非常に小さい気がします。外堀を埋められてしまい、狭い社会の中で自分達の価値観を確認しあい、仲間の顔を見て安心する。こんな内向きな組織が果たしてファンの支持を得ることができるのでしょうか。
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関係者から聞いた話ですが、今までいろんな連盟の仕事をやっていた人が、一度LPSAの何かの仕事を引き受けたりすると、もう連盟からは仕事が来なくなる、って。
そんな嫌がらせみたいなこと、いまだにありえるんですかね?
もしそんなことしていたら、自分がいやにならないですかね?

さっきの男女交際の例えじゃないですが、
いろんな場での交流を認めてしまうと、
仲良くつきあってしまって、転校する女子生徒が出るかもしれないので、
それを防がなきゃいけない、という魂胆ですか?
(千駄ヶ谷高校には、駒込高校への転校禁止の張り紙、貼ってあるんでしょうか?)

戦時中じゃあるまいしさ。

魔人ブウ*さんが去年の11月に書いた《女流棋士会はなぜ分裂したのか?》と言う記事も必見です。

今の将棋界にとって、何が重要なのか、再度考えてくださいね。

ファンの顔を、ちゃんと具体的にイメージしてくださいね。

またこういう記事書かなくてもいいように、よろしくお願いします。
コメント (9)
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先ちゃんワールド

2008年01月27日 16時20分07秒 | 将棋
山手線内回りのゲリラ―先崎学の浮いたり沈んだり
先崎 学
日本将棋連盟

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週刊文春のコラム「先崎学の浮いたり沈んだり」の中からの60編。(2003.11~2007.5)

なんと、これ、日本将棋連盟の発行なんですね。
将棋連盟発行のものはほとんど技術書、解説書で、こんな感じの軽い読み物はほとんど史上初と言ってもいいのでは、と思ってしまいました。

ほんと、先ちゃんワールド炸裂ですね。
1話1600字と、さくっと読める軽いエッセーなわけだけど、
軽妙洒脱というのか、独特のユーモアに満ち満ちている。

そして、普段あまり表には出ていない棋士たちの日常、一面、人間関係などもいろいろ窺い知れて楽しいです。

彼の文章の素晴らしいところはいろいろありますが、
まず、つかみ、がうまいですね。

こういう短いエッセーは、タイトルと出だしの部分で、ほとんど決まりです。
これが面白ければ、最後まで読むし、これがいまいちだと、飛ばされちゃうし・・・。

「世界は謎に満ちている」
将棋指しにとって世の中は謎だらけである。
とくに経済というものが、決定的にわからない。

「スランプ百景」
当たり前のことだが、勝負の世界、勝ち星の数だけ負け星がある。

「計算ずくで席を立つ」
将棋の対局室というのは、おそろしいまでに浮世離れしたところである。

などなど、どれもこれも秀逸で、ひきこまれちゃいます。
こういのが、将棋ファン以外orほんと多少の将棋ファンという人たちと、将棋(界)の魅力というものをブリッジさせているんじゃないかと思いますし、そういう意味でも、今回(最近とみに普及に力を入れている)日本将棋連盟が発行している意図があるのではないかと思います。

渡辺竜王新刊という記事で『帰りの電車の中で読んだのですが34ページからの記述には思わず笑ってしまいました』と書いてます。

このエッセー(前からですが)、佐藤棋聖、いや通称「康光君」についての記述が実に多い。何かと登場します。
先ちゃんにとっては、弄りやすい、弄りたい対象NO.1なんだと思います。

以前は「モテ光君」、今回は「デレ光君」、というように、いいように遊んでますね。
ほんとこの部分、吹き出したり、ニタっとしたりのところずいぶんあります。


それから下の欄外に小さな字でちょこっと入っている注釈が、なんとも面白い。

「先ちゃんと康光君との会話・・・・・」(※)
※どんな文章にも多少の誇張はつきものだが、以下の会話はすべて事実である。

「怒られたことがあった。」(※)
※ホントに怒って、ふざけんなと詰め寄られた。

「あるサイコロ」(※)
※島八段が買ったそうである。ヘンなヒト。

「痛飲した。」(※)
※飲むのはいいが、加減がわかっていないのである。

「悪夢のような事実」(※)
※とはいえ、たいしたことがあったわけではない。
ただ馬鹿にされながら飲んだだけである。

「なんでもすぐに勝負だと考え、ムキになる性分なのだ。」(※)
※そばをゆでていて、お湯が吹きこぼれるとそばに負けたような気になる。

もともとこの注釈は、将棋を知らない人のための説明を入れるはずのものだったと思う。
それが、もちろんそういう注釈もあるけど、ほとんどは先ちゃんのやりたい放題になっていて、この部分のさりげないトボケタ表現が最高に面白いです。

栄枯盛衰・前途洋洋先崎学八段の『山手線内回りのゲリラ』を読むという記事でも詳しく感想が書かれてます。

一部引用します。
「昨年11月になくなった真部一男九段邸で師匠である米長永世棋聖と真部九段の囲碁の話も「真部邸の惨劇」という物々しい題で語られている。(この話題は『将棋世界』2008年2月号の真部九段追悼記事の中で、米長永世棋聖自身も書いており、両方読み比べるのもおもしろい)」

はい、両方読みましたが、面白いです。
そして突然夜中に酔っ払いたちに押しかけられたものの、いやな顔ひとつせず歓待する真部九段の人柄も偲ばれ、感慨深いものがありました。
(先日の真部九段のお別れ会、行くつもりでいましたが、行けませんでした。あらためてご冥福をお祈りします。)

家庭を持ち、パパにもなり、以前よりも温厚に丸くなったというのはあるのでしょうけど、今も文章の中にどこか、破滅型、自己崩壊型、と言える様なニュアンス、感じます。
まあ、古くから知ってると、そこが先ちゃんぽくていいわけですけど。

すぐ酒を飲んでしまう、ポカをしてしまう、恥をかく、
そして、
自分を冷笑する、嘲笑する。

そんな風に、クールで客観的な目で自分を見ている。
棋士や棋界を見ている。

もちろんその底にあるのは、将棋や仲間の棋士に対する深くて大きな愛情。

当然、将棋界全体のことも考える年頃なわけだし、
もとより世間のこと、裏のこと、人生の機微のことなど、
先ちゃんしかわからないこと、できないこともたくさんあるはず。

昨日の記事フェアルックトのこと書いたけど、エッセー界のフェアルックトとして、今後ともますます僕らを楽しませてほしいと思っています。

そして、書き手としてだけでなく、順位戦をはじめとした各棋戦でも「先ちゃんらしさ」を縦横無尽に発揮してがんばってほしいと心から思っています。
コメント (4)
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