波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その参拾玖】(さんじゅうく)

2020年06月23日 | 【保管】言葉のケイコ

 

人間は楽園に帰ることができるのか(下)


村田沙耶香さんの『消滅世界』において、「ヒトの妊娠・出産は科学的交尾によって発生」する。つまり、人工授精だ。この世界では男女は思春期の頃に避妊処置をされるため、性行為において子どもを授かることはほぼない(全く、ではないのがポイント)。今の私たちの世界とは、性行為そのものの意味も大きく違う。夫婦間で性行為が行われることはなく、恋は夫婦以外とするものということが常識だ。恋愛、結婚、家族の意味が徐々に失われていく世界。さらにそこには新しいシステムにより子どもを産み育てる実験都市が存在する。それはまさに管理され尽くした「楽園」。そこでは一切の性行為も家族さえも存在しない。誰もが子供の「おかあさん」であり、誰もが大人の「子供ちゃん」である。まるでアダムとイブが追放された楽園のように、穏やかで平和だ。これは異常だ、と今に生きる私は思う。たとえ平和であっても、こんな世界は私たちの世界ではない、と。けれど一体正常とは何だろうか。文中の「正常ほど不気味な発狂はない。だって、狂っているのに、こんなにも正しいのだから。」という言葉に、私は苦しめられる。

村田さんは常に、平和な世界のあり方を模索しているのではないかと私は思う。性別も家族も超えた、新しい「正常」な楽園。誰も傷つけられることのない、苦しむことのない世界。人間が楽園に帰る方法が、そこには確かに存在する。それが正常か異常かはわからない。


【波風氏談】ケイコさんのブログで『地球星人』読み、『コンビニ人間』読んでいたから小説世界についていけたと思う。『消滅世界』や『殺人出産』ではさらに異常通じた普遍のありかを感じ続けるのだろうなあ。読書会で話聞けるのが楽しみだ。

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65歳からできるようになる

2020年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

琲を淹れること、木を切ったり繋いだりすること、「手伝い」でなく「家事」をすること、ウドンを作ること、読書の意識持って読書すること。他にもあるけれど、これからも続くのはたぶんこれ。どれも、自分以外の人との関係で始まったこと。

とか工作は前から、無意識の読書も小さい頃からの習慣。「10年やって駄目ならあきらめて別のことをしたらいい」という言葉は、高校生の時に聞いた篤農家の叔父の言葉。仕事のことだが、自分の暮らし方として考えるようになった最近。このブログもあと半年で10年。波風氏は一旦始まると長い。

の頃思うのは、「○年からできなくなること」。「△年になったら止める」ことはいくつか考えてるが、「できなくなること」は身体の内側から静かに近づいている。泳いだ最後は40代後半、スキーは50代前半、昨年自転車に乗ったらヨロヨロした。「何かあったら」の思いが無理を諌める。やっぱり、ピアノ挑戦しようかな。


一輪だけ咲いた花。寒い日だったから墨で急いで描く。去年は2つ咲いたけど描き逃した 村田沙耶香著『宇宙星人』読む。こう来たか、こうなるよな、飛び抜けてるママヨさんと散歩し久しぶりの8000歩。昼寝しないで畑仕事。

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言葉のケイコ【その参拾捌】(さんじゅうはち)

2020年06月16日 | 【保管】言葉のケイコ


人間は楽園に帰ることができるのか (上)


芥川作家・村田沙耶香さんの小説を読むようになった。もともとは、受賞作の『コンビニ人間』がスタート。波風食堂の読書交流会でも一大ブームとなった『コンビニ人間』。それ以外の作品も読んでみようと思い、まず『星が吸う水』を手に取る。『コンビニ人間』のイメージで読むと、少し戸惑う。男女の性について、独特な視点から描かれ、過激な言葉の使い方はあるもののするすると読めてしまう。ただ、正直理解が追いつかないところもある。それもあり、しばらく村田さんの本はいいやと思って時間を空けたら無性にその世界観に触れたくなり、『地球星人』を読む。ヒトの営みを超えた世界がそこには広がっており、感想としては「気持ち悪い」。それでも村田さんの世界の構築の仕方は見事としか言いようがない。いつまでも頭のどこかに残り続け、しばらく時間を空けるとまた読みたくなる。そこでいつか読もうと思っていた『殺人出産』と、2月発売の『丸の内魔法少女ミラクリーナ』を読む。どちらも頭の先から足の先まで突き抜けるような感覚。特に『殺人出産』の衝撃は凄まじかった。10人産めば1人殺せるというシステムが構築された世界。生と死、愛と性、正常と異常、そういった概念が根本から覆される。理解などできなくてもいい。脳を揺さぶられるこの感じこそ、読書の醍醐味だと教えてくれる。

もっ村田さんの世界を感じたい。そう思って間を置かずに手に取った『消滅世界』。人間は楽園に帰ることができるのか。(次回に続く)


【波風氏談】このケイコさんの書評を読み、「そうだ、村田沙耶香を読もうと思っていたんだ。」と思い出した。新聞書評(小野正嗣)『村田沙耶香が書いているいるのは〈偉大なる世界文学だ〉』で、衝撃的な『コンビニ人間』で何かわかったような気になっている場合ではない。

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恩師のお使い

2020年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 中 学時代の恩師の家に1年ぶりに顔を出した。先生から30年ぐらい間に教えた生徒の木版画の原版を返したいので協力してくれないかと頼まれた。家はママヨさんの育った近所で親が住んでいるはずらしく、先生はすぐにでも行きたい感じだった。とても丁寧に彫られた木版で授業の参考作品にしたのだろう。

 る途中の場所だから、そこに伺い先生の気持ちをまず伝えることになった。家は直ぐに見つかり、表札をじいっと見ていたママヨさんが、「ケイコちゃん?」と呟きながら戸を開け、出て来られた奥さんに旧姓を告げて挨拶した。家の中の人が「ママヨちゃん?」と呼んだ。小学校6年間、女子4人だけの学級児童の53年ぶりの再会。互いに、面影はもうありませんね、と笑っていた。

 の恩師と波風氏の再会も中学卒業33年後の1本の電話が機縁。波風氏も中学校時代に「授業で使いたいから貸して欲しい」と言われた絵を15年ほど前に返してもらい感激したことがあった。ママヨさんが、「このお使いがなければケイコさんに会うことはなかった。とても感謝したい」と言う。近いうちに、先生と波風夫妻がママヨさんの友だちを訪れて息子さんの作品を返しに行く。


今回のふるさとへ行く途中で見た不思議な感じの雲。超現実主義のサルバード・ダリ『内乱の予感』を思った家に帰ってきてママヨさんが「互いに面影がありませんね」と笑いながら小学校時代のアルバムに見入っていた。

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絵を描く 文章家

2020年06月11日 | 読書

見山暁治(1983~現在)の文章が好きだ。今まで読んだ『四百字のデッサン』『とこしえのお嬢さん』『空のかたち』『アトリエ日記』、どれにも驚き愉快になる。人も景色も空気も頁から立ち上がる。「達意の文」とはこういうものか、高峰秀子氏と志村ふくみ氏の文書(随筆)もそうだ。「言葉使い」の達人は絵も演技も染織も達人。


だが、絵の方はどれもわからない😄実物見たことないが、頭はボーッとなり、身体の方が妙に熱くなる気がする。下の動画は参考で貼り付けたが、画廊の売り絵だからこじんまりしている。それでも火山噴火の兆しぐらいは感じる。絵とは何かを考えさせられる。

 


「手品師がポケットから鳩を何羽も出してくると不思議でしょう。『今度は富士山を出すよ』と言ってその形の模型が出てくると何でも無い。単なる模造品だもの。でも、ポケットから一瞬にして『あの大きさ』が出てきてごらんなさい。その強さや迫力、宇宙に対してグワッとした存在感が出てきたら、そのときには富士山であろうとなかろうと構わない。だれも『富士山とは違うよ』とは言わない。うわっと驚く。世に言うかたちなんてどうだってよくなる。それがほんとうの`かたち`なんだ。」(野見山暁治著「のこす言葉 人はどこまでいけるか」:平凡社から)

余談だが、山口薫後任の芸大教授が野見山暁治。山口は豪農、野見山は炭坑経営という家の生まれ。芸術に生きるのは今でも大変だが当時はこういう環境で無ければ無理だったのだ。
そういうこともあるのか、二人の画家の、絵が売れないとか、もうすぐ死ぬだろうとかの言葉もどこかのんびりというか、のびのびしている。本業の絵もスタイルは全然違うがそんな感じがどこか共通している。


陶酔と覚醒』(沢木耕太郎〈訊いて、聴く〉:平凡社)読む。建築家・安藤忠雄、登山家・山野井泰史と妙子が印象に残る一昨日コメントくれた『きたきつね』さん、我が家はママヨさんがルーペで点検したところ異常なしでした。

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