波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

ものたちと

2022年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から何となく続く)
自分と自分以外
との還暦後の距離のとり方を前回書いた。自分以外というのは広く言えば『世間』。世間を「(自分と)世界との間合い」と考えると興味深い。近すぎても疲れ、遠すぎたら淋しく、丁度良い間合いで暮らせることは幸せそのものだろう。他者からは波風君が世間なわけで、良い関係がずうっと続くとのは気持ち良い「間隔の感覚」が似通っているからなんだろうなあ。

ママヨさんの
「自分はどうして自分なのだろう?」という疑問は、歳をとるに従って疑問でなくなったそうだ。表現は色々でも同じ疑問を持っている人がたくさんいることがわかったからだと言っております。世間を観察していて得た結論なんですね。引っ込み思案で余計なことを言わないママヨさん、その気質の根底にこんな哲学的疑問を持って世間との距離を測りつつ「自分とは何か」を静かに収めているのは面白いなあ。性格的に真逆の波風氏に「人は自分とは違う生き物なんだなあ」を日々感じさせる得がたい人だ。

自分との間合いがまず大事だと思う。世間と細々とつながるほどそうだで、外側に向かってと内側に向かっての両方の間合いがある。自分の精神状態は考えてきたが、自分の身体に注目するようになってまだ半年。今まで、自分(=精神+身体)を随分と邪険にしていたと思う。それは病気の他人に対して優しく無かったことにつながるとつくづく思う。昨年から、同じような年齢の知人が病気で2名亡くなり、この年末には救急車で2名が運ばれた。身体に対して前と違う気持ちが今ある。身体のことが精神・意識のことを左右するのだ。


今日の詩『ものたちと』は衝撃的、ここでの「もの」はすべて人の手で作られた物。山や川や空とは違う。その分、物悲しさが一層強いのはなぜかな。「こころやさしい   ぬのきれが一まい」って・・・なんなんだよお(涙)  老人の男の暮らし方はこの国では未だ商売に、文化になっていない。図書館の家事や老後生活のアイデアはどれも女の人が主役。ハゲや杖の楽しみ方や一人暮らしの面白さなんて本は一冊も見当たらない。

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