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波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

腹ペコ日記(残り1回)

2017年03月11日 | 【保管】腹ペコ日記

条件(第149回)

 「一緒に楽しく食事をできるかどうか」が、結婚相手を決めるときに大事な条件だ、と、とある新書に書いてあった。「結婚する」ということは、これから先の生活を共にするということ。そして、楽しい生活を共に構築できるかどうかを確認するポイントとして、結婚前に確かめられるのは「食事」、ということだった。そう考えると、我々コンビはまったく問題がなかったように思う。むしろ問題がなさすぎて、コンビ活動開始と同時に食べ過ぎてふっくらしてしまった、という黒歴史すらあるほどだ。

                      
                                          

 「結婚」に関わらず、「ごはんを美味しく食べられる」かどうかは、その時々の生活を反映している気がする。腹ペコの場合は、特にそれが顕著だ。「最近ごはんが美味しいなあ」と感じるときは、楽しく暮らせている場合が多い。一方で、ちょっとくらいの難問なら「おいしいごはん」で乗り越えることもできる。できるだけ「美味しいごはん」を食べ続けられるように、4月からも「ほどほど」をテーマにがんばりたいと思う。

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腹ペコ日記(残り2回)

2017年03月05日 | 【保管】腹ペコ日記

そばにいること(第148回)

 学生時代を振り返ってふと思うのは、「人って自分のことを心配している人の話ほど聞かないな」ということだ。「その人は絶対君の事を考えてくれていない」という人の話は聞くのに、どうしてなのだろうと、当時の自分について考えていた。

 

 思ったのは、「少しでもたくさんの人にそばにいてほしい」という気持ちの表れだったのかな、ということだ。そこまで関係のできていない人だと、言うことを聞かないときっと離れていってしまう。一方、親身になってくれている人は、言うことに耳を貸さなくてもきっとそばにいてくれる。そんな「甘え」がこうした行動をとらせていたのかも、と思う。

 

 大事なのは、そばにいてくれる人の「数」なのか、それともそばにいてくれる「人」なのか。それに気づくのに、腹ペコは6年ほどかかった。今、当時の自分に会えるとしたら、「そうやって甘えられる人がいるという事実をもっと大事にしてね」と伝えたいなと思う。

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腹ペコ日記(残り3回)

2017年02月25日 | 【保管】腹ペコ日記

自己肯定観2(第147回)

(前回から続く)貧困が社会問題化する今、「頼る」という社会性をどのように育てるのか、その在り様が問われている。その際重要なことは、「他者への信頼」と「自己肯定観」だろう。助けてくれる人がいるという「他者への信頼」、そして、「自分は助けてもらう価値のある人間である」という「自己肯定観」だ。その視点からすると、この映画の母親は、どちらも欠けている人物として描かれている。子どもへの愛情は間違いなくあった。でも、「自立」した大人にはなれていなかった。

 

大事だと感じるのは、「自己肯定観」は「完璧な自分を求める」こととは違う、ということだ。そうでないと、「自己肯定観」は「自立(と共生)」に結びつかない。「自己肯定観」というのは、できる自分もできない自分も認められるということであり、「優越感」とは異なるのだ。

 

 「自己肯定観」がちょっぴり低めで「優越感」丸出しの腹ペコだからこそ、まめたには「自立」した大人になってほしいと願っている。腹ペコの手の届く範囲なんて、社会のほんの一部かもしれないけれど、「自立した大人」を育てる社会の担い手になりたいと思っている。(結)



残り3回の「腹ペコ日記」。イラストが少しづつ変化していますが最後は…公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」更新しました。

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腹ペコ日記(残り4回)

2017年02月20日 | 【保管】腹ペコ日記

自己肯定観1(第146回)

 先日、憲法の授業で映画「誰も知らない」を見た。親になってみて、改めて気づくことがたくさんあった。特に目をひいたのは、引っ越しの際に、子どもたちがおもちゃを片づけている場面。「母親一人の給料で、こんなにたくさんおもちゃや絵本を与えていたのか」と衝撃を受けた。母の子どもたちに対する愛情が、こういう形で描かれていたのだ。
                    

 学生が感想で、「この母親の一番の問題は、子どもを育てる能力と覚悟がなかったことじゃなくて、育てられない自分をうけとめ、まわりに助けを求められなかったことじゃないか」と書いてくれた。そう読み取ってくれたことを嬉しく思った。                    

 この国の特性か時代状況の反映か、その立場になった瞬間から完璧を求められる傾向がどこかにある。自分に対しても完璧を求めがちだ。でも、そんなの無理だ。「できない自分」を認め、その「できない分」を頼れる他者を見つけることが「自立」にはきっと必要で、その意味で「自立と共生」はセットなのだと思う。つまり、「共生」という環境があるから、「自立」っぽく見える、という関係性だ。(続)

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腹ペコ日記【残り5回】

2017年02月13日 | 【保管】腹ペコ日記

啓蒙【第145回】

スマホ育児を手酷く批判する記事を見ると胸が苦しくなる。腹ペコ家では、スマホ率はそこまで高くないが、それでもときどき撮った写真や動画を子どもに見せている。そして、子どもが生まれるまで飾り状態だったテレビを毎日つけるようになった。

 

見せる理由は簡単で、家事をする時間を捻出するためだ。包丁や火を使っているときに、構ってほしがって近づいてこられると危ない。何より家事が進まない。相方さんも必ずいるわけではない。ひとり遊びもそこまで続かない。そんなとき、大人しくしてもらえるものが我が家ではテレビだ。

 

子育てにスマホやテレビを使わないように、という啓蒙活動は、なんだか自分の育児を責められているようで、つらい。子どものために、できる範囲でがんばっているつもりなのだけどなぁ。その気持ちをどこに訴えても自己弁護みたいになってしまうことが、一層腹ペコの気持ちをややこしくしている。

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