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戦争までの経緯(いきさつ):支配と侵略

(前回から⇒)
産業革命以降、欧米諸国では、資本主義が急速に発展していく。
その資源の調達や投資市場を求めて、
アジアやアフリカなどに進出(植民地に)していった。
いわゆる帝国主義の時代、
そのような列強の存在が、驚異と感じていた日本にとって、
朝鮮半島へと勢力を伸ばしていたロシアは、とくに無視できなかった。
日本政府は、先に主導権をとり、朝鮮半島を独立させて、
ロシアなど列強に対抗しようと考えた。
これに対し、朝鮮半島を属領としていた中国(清)は、
政治や外交の権限(宗主権)を主張する。
朝鮮半島内でも、清との関係を維持しながら近代化していくものと、
日本の明治維新に見習って近代化していくものとの意見で分かれており。
日本の軍事顧問団を受け入れながらも、それに反発する勢力が暴動を起こし、
日本公使館を襲撃するなどとの事態となっていく(1882年:壬午事変)。

朝鮮半島の政府は、日本との関係に距離をとっていたもの。
1884年、日本の協力を得ていたグループによって、
クーデターが起こる(甲申事変)。
これに対し、清は、朝鮮半島に軍隊を送ることで鎮圧する。
このような日清関係の状況を改善するため、
交渉が行なわれ、天津条約(1885年)が結ばれる。
1894年、朝鮮半島の南部で、
大規模な農民の反乱が起きてしまう(甲午農民戦争)。
この事態を収めるため、清が出兵したことから、
日本も出兵させることになる。
これが火種となって、日清両国は、交戦状態となっていく…のだけど。



現代人の感覚で言えば、
どう考えても内政干渉や主権侵害もいいところ。
そもそも朝鮮半島の政府が、まともに機能していれば、
起こり得ないことだったとも言えるけど。
これは、21世紀以前の19世紀末の話。
日本にとって(だけでなく極東において)、
ロシアの脅威が、それだけ大きく。
現代とは、国際社会の認識も、まるで違うものだったとも言える。

1894年8月、日本は、清に宣戦を布告。
この日清戦争で、日本は圧倒的な勝利となる。
これによって、中国を頂点としてきた伝統的な東アジアの国際秩序は、
崩壊することとなる。



蛇足:
この国の教科書問題にまで、内政干渉してくる“お隣さん”たちが、
自国の歴史を、どのように認識しているかは知らないけれど。

これらの経緯を面白くもないと思っているらしく。
報道番組や歴史番組では、妙に“歯切れの悪い言葉遣い”をするときがある。
その意図が判然としないところは、薄気味悪く。
無視できないところが、イヤなところ。
(続く⇒)
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