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戦争までの経緯(いきさつ):暗君と暴君

(前回から⇒)
日本史の教科書では、
日露戦争の前哨戦のような扱いにもなっている日清戦争。
(1894年8月~)
・・・などと、以前に記したこともあるけど。


日清戦争に敗れた清(中国)は、下関条約(1895年)により、
朝鮮の独立を認め、清と朝鮮王朝との冊封関係は消滅してしまう。
ここから、日本は、朝鮮への影響を強めていく。
こんな状況が面白くもなかった朝鮮の王妃、閔妃(ミンビ)は、
南下政策をとっていたロシアへと接近していくけど。
日本側の思惑によって、暗殺されてしまう。
※ちなみに、王妃、閔妃は、夫にかわって政治を執り行っていたが、
その体制は、恐怖政治だったとある。
国王、高宗(コジョン)は、ロシアの公使館に避難して、政治を行い。
1897年、国号を大韓帝国と改める。
高宗は、自身は皇帝であり、
清や日本とは対等だと示せたつもりだったのだろう。



19世紀後半の日本には、
極東へと進出してきた欧州の列強への強い危機感があった。
朝鮮半島の背後には、シベリア鉄道の終点となるウラジオストクもあり。
東アジアへの進出を狙っていたロシアを、とくに警戒していた。
朝鮮半島がロシアの影響を受けることは、対岸の火事などではなく。
1902年、日本は大英帝国と同盟を結び(日英同盟)、ロシアに宣戦する。
※当時、大英帝国は、ボーア戦争によって余裕がなかったもの、
ロシアの南下政策に、危機意識を感じていた。
1904年、日露戦争。
この戦争によって、日本とロシアは、お互いに疲弊していったことから、
ポーツマス条約(1905年)を結び。
日本は、朝鮮半島に対し、優越権を持つことが了承される。
朝鮮半島は、日本の保護国となり、外交権を奪われてしまう。
こんな状況を、大韓帝国の皇帝、高宗は納得するハズもなく。
万国平和会議に日本の侵略を訴えるが、受け入れられることもなかった。

・・・と、これだけ聞けば、
朝鮮半島は、日本とロシアとの政治的な意図に振り回されただけで、
日本の行動は侵略としか思えない。
しかし、高宗は、王妃に恐怖政治を行なわせたままにするなど、
自身の政治的な責任を果たしてなく。
極東に勢力を拡大しているロシアを招き入れれば、
周辺諸国の動揺を煽ることにも考えついていなかった。
自国の領土内とは言え、他国の公使館に逃げ込みながら、
「自分は、この国の主権者である皇帝だぞ!」と言っても、
説得力などある訳もなく。

高宗は退位、軍は解散させられてしまう。
もう一言、加えるのなら…。
朝鮮半島では、自国の問題を、他国に丸投げしておきながら、
不都合なことが起きれば「自分たちは、哀れな被害者だ」となるのは、
100年以上前からの伝統政策なのだろうか?
なんか、最近でも似たようなことばかり…と、話が逸れたけど。
こうして日露戦争は終わったもの。
その後、ロシアは、第一次世界大戦もあって、
経済が破綻したことから、共産主義の国家になっていく。
日本は、戦争の犠牲に比べ、賠償金も得ることもなかったので、
暴動が起きてしまう(なんと戒厳令が発動されるほど!)。
この日露戦争後、日本は大陸へと勢力を伸ばしていくことになり。
その後の戦争への呼び水になっているようにも見えてくる。

歴史の教科書にも記されているエラい人たちの愚行が、
現在にまで及んでいることには、ウンザリしてくる。

学生時代、ビリから数えた方が早いほど成績は悪く、
ロクに勉強もしていなかった。
自身が体験したことすら、正しく伝えきれているかも分からないのだから、
正しい歴史観を持っていると約束できない身ではあるけど。
ひとつ言えるのは「やっぱり教養って、大事なの、ね」と言うこと…。



蛇足:
この文中では、ロシアの脅威を象徴するようにシベリア鉄道を記したけど。
日本も、敦賀から、ウラジオストク、そして、シベリア鉄道を用いて、
ヨーロッパとの貿易を行っている。

ネット上での情報(他人の受け売り)となるけど。
現在でも、シベリア鉄道は交通機関として運営されているらしく。
世界最長の鉄道路線などと聞けば、ロマンをかき立てられる。
しかし、オリエント急行のような豪華な旅程は組まれてないとのこと。
(あしからず!)
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