地元のFM曲は、毎日かどうか知りませんが、午前中、訃報情報を流します。
必要あるのかな、と思いつつ聴いていますが、たぶん、要望があったのかな、とも考えます。
午前中、友人から電話があって、共通の友人の父親が亡くなったと言われました。
よくぞ教えてくれました、と。
聴けば、新聞のお悔やみ情報に載っていたとのことで、詳しく載せる新聞があるものだと感心していたら、なんと、うちでも取っている新聞でした。
今朝、しっかり読んだはずだったのですが、お悔やみ情報を見ていませんでした。
知らせてもらったから良かったものの、知らせがなかったら、義理を欠くところでした。
おかげで、通夜に出席してお参りをすることができました。
返す返すも、知らせてくれた友人に感謝したところです。
で、思ったのは、お悔やみ情報は目を通さなければならない、ということです。
ちょっと前でしたら、というより10年ほど前でしたら、地元のミニコミに載っている誕生情報には目を通していました。
知り合いや、同級生に、子供ができたという情報を知りたかったからです。
そういう期間が過ぎてボーとしていたのですが、これからは、お悔やみ情報に目を通さなければならなくなったわけです。
同級生の親御さんが亡くなったとか、知り合いが亡くなってしまった、ということが珍しくなくなったということです。
となるならば、紙面においても、ラジオの放送で流されるのも、必要があるからだ、となるのです。
それはすなわち、この地方も、老齢化が顕著になっている、ということの証だといえるかもしれません。