普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

毒カレー事件と裁判員制度

2009-04-23 10:58:25 | 政策、社会情勢

[裁判員に掛かる大きなストレス]
 きょうの阪神・江夏豊投手は打てない--巨人の4番長嶋茂雄選手がベンチで脱帽したとき、川上哲治監督は他の選手のいる面前で叱責したと言う。「お前には江夏のポールを打つだけの給料を払っているじゃないか」。(中略)
 毒カレー事件のような「直接証拠なし、動機不明、全面否認」の難事件で死刑をわが手で選び、わが声で告げる苦悩は言葉には尽くせまい。その苦悩を一身に背負う人だから国民は裁判官を深く尊敬し、重責に報いるだけの給料を払っているじゃないか。裁判員の日当(上限1万円)とは格の違う給料を。
 裁判に市民感覚を反映させることが裁判員制度の目的ならば、目的の達成も安くない給料分の内、プロが精進すれば済むことで素人を煩わす必要はない。
 ひと月ほどして制度が始まれば、「市民参加の歴史的な改革」という常套文句が世に満ちるだろう。かき消されぬうちに、監督の言葉をつぶやいておく。

 これは毒カレー事件の最高裁判決をトップに持ってきた読売新聞の「編集手帳」のコラムです。

 その同じ朝、テレ朝の「スーパーモーニング」で、足利事件のことを取り上げていました。
 これも被告の無罪主張にも関わらず、最高裁で有罪が確定し現在無期懲役で受刑者として服役中に、唯一の証拠とされたDNA鑑定が導入初期の精度が低かったたとして、弁護側の申し出で再鑑定した結果、受刑者のDNAと鑑定された彼が残したとされる体液のDNAが違うことが判ったそうで、もしそれが事実なら、無期懲役の受刑者が一転して無罪にもなろうかと言う、事件だそうです。

 もしこの様な2つ事件に担当した素人の裁判員の立場はどうなるのでしょう。
  たまたまその事件に当たった裁判員は運が悪かったでは済まされない、誤判かもしれぬのに、無期懲役や死刑にさせてしまったことに対する、良心の呵責の重圧を背負って一生を過ごさねばならぬことで、読売の編集手帳が言う金の問題どころでは済まされないことです。

 これ程の難事件でなくても裁判員制度の対象は死刑か無期懲役かの重大な刑事事件で、しかも米国の様に有罪が無罪かの判決だけてなくと、死刑か無期の量刑の判決もしなければならないそうです。
 素人の裁判員が他人の一生を決めることは、彼等の心に何らかの形で大きなストレスになるのは間違いないと思います。
 しかもその重大な決定は僅か約三日でなされねばならぬ事、裁判員になったこと、判断の経過などは終身守秘義務のため誰にも話せずに、自分一人で抱え込んで行かねばならないそうです。
 このような国民の生活やその一生に大きな重荷がかかる重大な問題が、あれよあれとと言う間に決まり、裁判員制度のデモンストレーションなど当然のように行われてとうとう後一ケ月からの本格的な実施になりました。

[裁判員制度の不思議]
考えて見れば裁判員制度には首を捻る事ばかりです。
・何故対象が死刑又は無期の懲役に当たる罪に関する事件なのか
 軽微な刑事事件では何故いけないのか。
 何故、市民感覚や常識が活かせる、しかも問題判決の批判も多い、原発反対、諫早湾締め切り、薬害、公害訴訟の裁判でないのか
・何故専門的な知識のない素人の裁判員が量刑まで下さなければならぬのか
・何故天下の大新聞の編集担当者が今頃になって上記のような溜め息をつくほど、あれよあれよとばかりに、いつのまにか決まり既成事実のように事が進んでしまったのか
・この様な世界でも珍しい制度を誰が思いついたのか
 これで良いのか裁判員制度
にも書いたのですが、「たかじんのそこまで言って委員会」では三宅久之、宮崎哲弥、勝谷誠彦、有田芳生の各氏まで知らなかったそうですが、元最高検察庁検事の土本武司さんは弁護士会の提案だと指摘しました。
 そして当時の Wikipedia によると公式の提案者は公明党だそうです。(現在この部分の記述は消えています。)
・そしてこの制度は定期的に見直すことになっているが、肝心の裁判員経験者の守秘義務のために彼らの意見が反映されない。

 実施前一カ月にもなってまだ裁判所の何度もの説明や模擬裁判でもまだ一般に浸透せないのは何故かと言うのははっきりしています。
  呑まされた理屈が喉を通らない のです。
 詰まり無理な屁理屈を幾ら強制的に呑ませようとしても、納得出来ない理屈が喉に引っ掛かっているのだと思います。
 そしてスタートまで後の一月の21日にまだ裁判員制度に反対の市民が反対集会 

があり約2000人もの人達が集まったそうです。

[裁判員制度の発想の不純さ]
 これから先は私の勘繰りですが、上記の疑問点から考えると、ほぼ的を得ていると思います。
  弁護士会を牛耳っている死刑制度反対の勢力と公明党の提案の目的ははっきりしている。
 両者とも死刑制度反対だが、当時の世論調査では国民の70~80%は同制度を支持していた。   。
  だからいくら民意に訴えても、死刑制度廃止は出来ない。
 然し、素人が判決に参加すれば、たとえ極悪人でも死刑宣告に二の足を踏むだろう、それが結果的には死刑賛成の国民の世論に関わらず実質的の死刑廃止に繋がるだろう
と言う事です。

  この公明党の提案に対して、その集票力に頼っている小泉自民党がそれに乗り、当時の圧倒的な与党多数と、国会やマスコミの論議は小泉改革やイラク問題に集中しているどさくさの間に、当時は国民の関心の殆ど無かったこのような問題の制度が決まってしまったのだと思います。(*注記)
 私が考える様な発想だから制度そのものに無理があり、幾ら説明しても国民が納得出来ないのいのは当然だと思います。
 私は与野党とももう一度この制度を原点に帰って、見直す必要があると思うのですが。

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注記:当時の日本の動き
2003年(平成15年):イラク戦争勃発。自衛隊イラク派遣が始まる。
2004年(平成16年):イラク日本人人質事件。年金未納問題。新潟県中越地震。
 同年5月 裁判員制度成立
2005年(平成17年):兵庫県尼崎市でJR福知山線脱線事故が起きる。郵政解散による総選挙で自民党大勝。

参照:裁判員制度 - Wikipedia 
        
裁判員制度の導入 
        
裁判員制度と後期高齢者医療制度
        
裁判員制度反対