普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

小中学校の英語教育について

2009-04-03 17:44:10 | 教育

 昨夜のNHKのクローズアップ現代「どこまで必要 日本人の“英語力”」の放送があり、立教大学大学院教授・同時通訳者で有名な鳥飼玖美子さん、英会話の教育を受けないままいきなり海外は派遣された経験を持つリコー専務取締役の中村 高さん、それと、海外の大学で授業した経験を持つ「国家の品格」で有名な藤原正彦さんなどが出演し、ビジネスやネットの世界で英語と触れ合う機会が増えている。国際TV電話会議や英文メールのやりとりなど。多様化する英語と、日本人はどう付き合えばよいのか、について放送がありました。

[どこまで必要 日本人の英語力]
  その中で出た出演者の話の主なこととそれに就いての私の経験と意見を書いて見たいと思います。
鳥飼、藤原:会話力より先に話す話題を持つこと
藤原:英語力も大事だかその前に日本のことを良く知るための国語力の強化が必要

・私が赴任していた南米のある地域で、大きな石油化学コンプレックスの建設の話があ り、重工業部門では日本でも有数な巨大企業がそのメンテナンスに参画する計画が有り、私の会社もその支援のため、私の元の同僚も現地に派遣されて来ましたが、最終的にはその計画は失敗に終わりました。
 噂ではその理由は、そのプロゼクト・マネージャーが現地側との会議で、一言も喋らなかったために、そのプロゼクト自体の実力がないと判断されたそうです。
 そのマネージャーがメンテナンスの経験はないのは致し方ないことですが、サブ・マネージャーとしてのメンテナンスではベテランの私の同僚も不幸にも英語が出来なかったので、初めての英語の会議の雰囲気に呑まれて、彼に代っての充分な発言が出来なかったのでしょう。
・私の勤めていたボランティア・グループで本人から聞いた話です。
 彼は国連の婦人関係のグループの長として働いていたのですが、あるパーティーで参加した時、女性たちが犬や猫などのペットの話で盛り上がっていたのに、その知識があまりないことと、重要な話でもないのでひたすら聞き役に廻っていたそうです。
  パーティーの終了後、彼の秘書から彼がもって積極的に会話に参加すべきだと叱られたそうです。
 私などは正に技術一本槍で、パーティーなどではいつも「壁の花」状態になりいつも反省していたことを思い出します。

鳥飼、中村:先ず思い切って話す勇気が必要、間違っても相手が問いただしてくれるからお互いに理解できるよになる
鳥飼:英語の読み書きができねば、会話が薄っぺらになる。

・私の属している英字新聞輪読会に70歳台の人がいます。
 彼は英会話には非常に熱心で、週に4回は別の教師に習っていますが、新聞を読むのは全くの苦手で、会員から何度も英語の本を読めとか、時には英文法を勉強してはめとか言われるのですが、老いの一徹(私も老人ですが)聞き流すだけです。
 それで彼の会話は10年以上やっても、依然として日常の挨拶や自己紹介の範囲しか出てない様で、それ以上のコミュニケーションは多分取れないだろうと思うのですが、彼はそれなりに満足しているようです。

・鳥飼さんの話と少しずれていますが、私が元居た会社では一流の大学の卒業生とか取らないのですが、その人達も現地に赴任直後はまったくの片言しか喋れませんが、一週間もすれば何とか現地人とも通じるようになります。
 それは厳しい入試のために、英語の読み書きの基本的な実力があるからです。
 一方、私が出向していた建設会社では大卒の作業員もいましたが、所謂三流大学卒ばかりで、厳しい入試の洗礼を受けてない人達ばかりです。
その人達、何とか現地の人と話は通じるようにはなりますが、何年経っても片言の英語ばかりです。
・外国では文書によるコミュニケーションが普通ですが、その中で基礎的な文法的のエラーがあれば、軽蔑されるだけです。
 外国の人達と仕事をする時に、会話だけでなく文章の作成能力も大切な要素になると思います。
 受験英語が良く攻撃されますが、その果たした功績は大きいと思います。

[小中学校の英語教育の問題点]
 私は06年の8月の英語屋さん振り回される初等英語教育
に、
 延べ約5年間の私の海外出張の経験から言えば、海外の人とのコミュニケーションで大切なのは、次の順だと思っています。
 本人の品性→話す題材の知識それを相手に判らせる意欲その道具として言語力(読み書きの能力)→会話力(会話を円滑に進めるためのテクニック(ユーモア、雑学等の知識を含む)→リスニング、スピーキングのスキル)))

と書きました。
 私の意見はNHKに出た人達の意見とどこか似ているようです。
 今の中小学校でやっているのは、私が言う最下位のリスニングやスピーキングのスキルのトレーニングが重点の様です。
 私が言う2位の話す題材の知識に就いては一般学科に当てられているようですが、英語の授業でその時間を取られるようでは虻蜂取らずに終わりそうです。
 普通の海外旅行や日本に観光に来た来た外国人の応対で、鳥越さんや中村さんの言う様に、少しはもたもたしても何とかなっている実情を考えると、英語教育のために、そんな目的で大切な時間を取られるのは勿体ないと思います。
 やはり鳥飼さんの藤原さんの言う様に、外国人に伝えることの教育のもっと重点を置くべきだと思います。
 それは外国人が日本について興味を持っている事、そして日本人として彼らに伝えたいこと、例えば日本文化、日本の歴史、日本の国情など外国人との交際に不可欠なもの教育だと思います。
 それには藤原さんの言う様に、日本の本をもっと読ませることです。
 中学高学年から高校になるにつれて、鳥飼さんの言う様に、英語の原書を読ませたり、日記などで英語の文書をもっと書かせる訓練を増やしたり、大学では英語で授業したり、英語でレポートを書かせるべきだと思います。(それが判っていれば高校生はもっと英語の勉強に力を入れます。)
 中小学校で英語教育をするのなら、その目的をもっとはっきり示し、重点の置きかたや時間の配分をもっと適切に行うべきだと思います。

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