連休明けからおし寄せる仕事の波に備えてウォーミングアップを始める。重要なのは経験の再点検ではなくて理念の構築だ。辻太一郎著「就活革命」(NHK出版 生活人新書)を読む。本著は、大学制度と学生の就職について、どこが問題なのかをわかりやすく解説している。
『企業にとって重要なのは大学ではなくて「大学入試」だ。企業が大学での成績をあまり問題にしないのは評価基準があいまいで不透明だから。また大学入試を重視する理由は、入試には一定の基本的な能力(記憶力や理解力、忍耐力etc)が求められる。進学希望者のほぼ全員が全力で入試に臨んでいるので、一生懸命のレベルが高く学生個々の基本的な能力が反映されていると考えられる。大学は偏差値によって厳然とランクづけされているので個々の学生の出身校で基本的な能力を推測しやすいということだ。
日本の大学が企業に評価されない理由は、①大学での勉強が仕事に関係ないと思われている。②成績の評価基準があいまいで参考にならない。畢竟、入学試験にうかれば日本の大学は勉強しなくても済むようにできている、そこが問題だと解明する。』 「就活革命」の一部要旨
ただ留意すべきは、著者が京都大学工学部卒の元リクルートの社員である点だ。一般に学校歴エリートはものごとを図式化・単純化しがちで非学校歴エリートのしたたかさや心情に疎い。理性ともなればなおさらだ。世は情で動いているのであって理屈で動いているのではない。
実務の分野では、専門学校(中等教育と高等教育の中間点に位置する)による教育の専門性そのものに疑問を投げかける。仮に、大学が専門学校のように学生に点取り虫的な競争を促しただけで企業が求めるような人材の育成が可能になるかどうか大いに疑問だ。一般学生はこの事実を嗅ぎ分けている。
しかも著者は、他国の超エリート校と比較して日本の大学生が「自分の頭で考える力」が不足していると指摘する。自分の頭で考えることができる学生を受け入れるほど日本の企業には余裕がない。企業が求める即戦力は「自分の頭で考える力」の対局にあることを一般学生は知っている。「自分の頭で考える力」は、「理屈っぽい奴だ」というレッテルを張られることと紙一重なのだ。
大学自体が、「自分の頭で考えることができるようになるまで勉強せい。(自分の頭で考える力を育成する。)」 というドグマに囚われてしまうと企業の下僕を育成するための養成機関に堕してしまう恐れがある。では大学ではどのような教育をすればよいか、浅薄にして軽薄なあたしにゃわからない。禄を食む大学の先生方が「自分たちの頭」で考えて、その成果を実施すればいい。
以上がささやかな読後感ということになる。
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