「統幕・維新の政治活動の中心になった面々は、ペリー来航(1853年)の時に20代か10代だった。倒された側の代表、徳川慶喜(一橋慶喜)は17歳、近藤勇が20歳、越前藩の橋本佐内はやはり20歳だった。
これらの人物と密接に関係しながら明らかに彼らとは違う世代に属している、もうひとつの人物群の存在に気づかされる。佐久間象山、緒方洪庵、藤田東湖、横井小楠が40代、島津斉彬、三条実万、徳川斉昭は50代である。志士たちはこの世代の師弟にあたる。」 松浦玲著「勝海舟」(中公新書)から引用の上改竄。
勝海舟は、ペリーが来航した年に数えで31歳だった。