旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

村上春樹訳「グレート・ギャツビー」

2008年08月15日 02時41分05秒 | Weblog
映画「華麗なるギャツビー」でロバート・レッドフォードが演じた夜の庭園に佇むギャツビーの哀愁がようやく理解できた。蔵書している英文と邦訳のセットと文庫本と合わせて3冊2組の本の題名は「偉大なるギャツビー」「華麗なるギャツビー」そして今回読んだのが村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」である。

英文小説の翻訳には信じられないほどレベルが低いシロモノが多い。下手な邦訳を読むくらいなら英文で読んだ方がましなので「ゴッド・ファーザー」に始まって「カポーティ」に至るまで原著の方を読む機会が多い。ところが原著に挑むのは良いが挫折を繰り返している。知らない単語や熟語に遭遇するとぐっと読書のスピードが落ちる。読書には自ずと時間的な制約があるので結局下手な翻訳に甘んじざるを得なくなるのである。

今日たまたま寄った本屋に村上春樹翻訳の「グレート・ギャツビー」があった。その昔、日本語訳をまず読んでから原著に挑戦して、例の如く挫折した経験がある。今回は、ビールにチューハイを飲んでからいきなり読み始めたものだから、読みとおすまでとにかく時間がかかった。

それにしても、村上春樹の小説は内容が重いにもかかわらず文章が平明で読みやすいように、この「グレート・ギャツビー」もまた、翻訳であるにもかかわらず翻訳に固有の日本語離れしたような硬さがない。全くない。アルコールで麻痺しかかった目と頭で読んだにもかかわらずすんなりと設定やら光景やらが心と頭に入ってくる。お見事!と喝采したくなるほどであった。

訳者あとがきで村上は、「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な3冊をあげろ」と言われたら、このフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」であると述べている。「一冊だけにしろ」と言わわれると、迷うことなく「グレート・ギャツビー」なのだそうだ。理由は訳者あとがきに詳しい。「The Great Gatsby」の著者であるFrancis Scott Key Fitzgeraldは27歳の若さでこの円熟した作品を発表している。