旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

三島由紀夫著「太陽と鉄」

2008年08月14日 10時43分59秒 | Weblog
ノーベル賞の候補に挙げられるまでの名声を得た壮年作家が小説というフィクション世界の閉塞性に気がついた。彼は剣道の稽古に励み、ボクシングのトレーニングを積み、自衛隊に体験入隊して肉体を通じて自分の世界を広げようと試みた。そして鍛え上げた肉体が発する言語こそが本物の言語であると確信するに至り、「太陽と鉄」という「仮面の告白」に続く自伝的な作品を書きあげた。(その3年後に自決した。)

漢学の専門家たちは、陽明学の理解がきわめて浅い三島由紀生は「知行合一」という陽明学の基本的なスローガンを「言行一致」の意味程度にしか捉えていなかったのではないかと危惧すらしている。三島由紀夫全集に当たって彼と陽明学との関わりについて考察してみる予定だ。

三島の自決に先立つ1967年には島田虔次著「朱子学と陽明学」(岩波新書)が出版されて以降版を重ねている。陽明学の研究者が、せめて三島がこの新書を読んでいれば彼の行動は違うものになっていたであろうと解説している。「朱子学と陽明学」は質が高くしかも平明な文章で書かれた入門書である。

この新書「朱子学と陽明学」の「第1章 新しい哲学の出発」は朱子の先駆者のひとり、張横渠の有名な言葉(不幸にして私は知らなかったが・・・。)「天地ノタメニ心ヲ立テ、生民ノタメニ命ヲ立テ、往聖ノタメニ絶学ヲ継ギ、万世ノタメニ太平ヲ開ク。」(近思録)という書き出しで始まる。

この書き出し部の最後の部分、即ち「万世ノタメニ太平ヲ開ク」は終戦の詔勅「然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス」の最後の部分に符合する。