岩波の「日本思想体系 藤田東湖 藤田幽谷」では歯が立たなかったので、その解説だけを読んで「日本の名著 藤田東湖」の口語訳から水戸学に進む予定であった。ところが、「日本の名著 藤田東湖」の中には。東湖の父親幽谷の「修史始末」や幽谷の弟子にあたる会沢正志斎の「新論」が収録されている。
「新論」はその書き出しからして実に過激である。その正志斎が著わした「新論」のテキストは、私が蔵書している岩波「日本思想体系 53 水戸学」である。思想体系では会沢の「新論」は原漢文の訓点をそのまま翻刻したとある。維新の志士間においてこれに通じないものは肩身を狭くしたと伝えられる。「日本の名著」の口語訳で読むか、「日本思想体系」の原漢文読み下し文で読むか悩んだ。
会沢正志斎の「新論」は「謹んで按ずるに、神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。固より大地の元首にして、万国の綱紀なり。誠によろしく宇大に照臨し、皇化の曁ぶ所、遠邇あることなし。しかるに今、西荒の蛮夷、脛足の賤を以て、四海に奔走し、諸国を蹂躪し、眇視跛履、敢へて上国を凌駕せんと欲す。何ぞそれ驕れるや。」という書き出しである。
書き出し文中「元気の始まるところにして」を、「日本の名著」では「万物を生成する元気の始まるところであり」と口語訳しており、「日本思想体系」では「元気とは、万物の根源をなす気、周易に乾元、坤元の2元気があって、万物を創造成育せしめるとある。」と訳注が付いている。質の差が歴然としているので、「新論」については日本思想体系で読むことに決めた。
「新論」はその書き出しからして実に過激である。その正志斎が著わした「新論」のテキストは、私が蔵書している岩波「日本思想体系 53 水戸学」である。思想体系では会沢の「新論」は原漢文の訓点をそのまま翻刻したとある。維新の志士間においてこれに通じないものは肩身を狭くしたと伝えられる。「日本の名著」の口語訳で読むか、「日本思想体系」の原漢文読み下し文で読むか悩んだ。
会沢正志斎の「新論」は「謹んで按ずるに、神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。固より大地の元首にして、万国の綱紀なり。誠によろしく宇大に照臨し、皇化の曁ぶ所、遠邇あることなし。しかるに今、西荒の蛮夷、脛足の賤を以て、四海に奔走し、諸国を蹂躪し、眇視跛履、敢へて上国を凌駕せんと欲す。何ぞそれ驕れるや。」という書き出しである。
書き出し文中「元気の始まるところにして」を、「日本の名著」では「万物を生成する元気の始まるところであり」と口語訳しており、「日本思想体系」では「元気とは、万物の根源をなす気、周易に乾元、坤元の2元気があって、万物を創造成育せしめるとある。」と訳注が付いている。質の差が歴然としているので、「新論」については日本思想体系で読むことに決めた。