住宅街の中にある馴染みの牧場では、今年も無事に仔馬が生れたようで、先日買物帰りに通りかかったら、親馬に寄り添っている仔馬を眼にした。
前に通ったときには、親馬のお腹が大分大きくなっていたので、今年もやはり仔馬が生れるのだと思っていたのだったが、もうすでに外に出るほどに大きくなっていたのかと、少なからず驚くとともに無事誕生の声を掛けたくて、車を停めて近寄った。
いったいに子どもと云うものは、とかく好奇心の強いもののようで、この仔馬も、乳よりも一瞬私に興味を持ったのか柵の方へ寄ってきたが、見映えもしない老爺だと気付くと、また直ぐに親馬の懐に首を突っ込んだ。
なお今年の仔馬の鼻筋には白い模様がついていた。この白斑を流星と呼ぶのだそうです。
ともすれば、生れ落ちてすぐに否!生れる前から、すでにエスかレター式に送り出されるこの世とやらは、自己中(自分さえ良ければ・・・)と拝金主義などの手前勝手な風習が蔓延して、子殺しや親殺しが平然と行われて殺伐としてとかく住みづらいところです。
このお馬の親子を眺めているかぎりでは、そんなことは別な次元のことのように思えてなりません。
テレビの「ダーウインが来た」は、好きな番組の一つで、毎回録画録りで見ているのですが、このお馬の親子の場合ように教えられることの、何と多いことか。
久々に心からほのぼのとさせられた・・・お馬の親子!
微笑ましい授乳風景
前に通ったときには、親馬のお腹が大分大きくなっていたので、今年もやはり仔馬が生れるのだと思っていたのだったが、もうすでに外に出るほどに大きくなっていたのかと、少なからず驚くとともに無事誕生の声を掛けたくて、車を停めて近寄った。
いったいに子どもと云うものは、とかく好奇心の強いもののようで、この仔馬も、乳よりも一瞬私に興味を持ったのか柵の方へ寄ってきたが、見映えもしない老爺だと気付くと、また直ぐに親馬の懐に首を突っ込んだ。
なお今年の仔馬の鼻筋には白い模様がついていた。この白斑を流星と呼ぶのだそうです。
ともすれば、生れ落ちてすぐに否!生れる前から、すでにエスかレター式に送り出されるこの世とやらは、自己中(自分さえ良ければ・・・)と拝金主義などの手前勝手な風習が蔓延して、子殺しや親殺しが平然と行われて殺伐としてとかく住みづらいところです。
このお馬の親子を眺めているかぎりでは、そんなことは別な次元のことのように思えてなりません。
テレビの「ダーウインが来た」は、好きな番組の一つで、毎回録画録りで見ているのですが、このお馬の親子の場合ように教えられることの、何と多いことか。
久々に心からほのぼのとさせられた・・・お馬の親子!
微笑ましい授乳風景
しかし、この頃の世の中は、特に人間界は、その流れが可笑しくなって来ているようです。
動植物の生き方に、根源的なところを学ばなければなりませんね。我が家も毎週日曜日の夜にはダーウインがきたを観ています。
連休で里帰りした都会からの孫達は、牛、豚さんたちを毎日飽きずに見ていました。
ぐずりだすと、牛さんの所に行こうと言うと喜びます。
今ではあまり見られなくなった人間界のことを思えば、動物の親子関係には感動させられてしまいます。打算と本能の違いだと割り切るには、寂しさが先立ちます。
それにしても、この殺伐した世の中はもう救いようが無いのでしょうか。
テレビなどでは良く見ることですが、動物の親子関係は常に一心同体で離れることはありません。
子離れが短いせいかも知れませんが、そこに違いがあるのでは、とも思われます。
とかく慾に目が眩み、他人はもとより親子でも見境が付かなくなり、暴走してしまうのでしょう。
連休中は多くのお孫さんたちに囲まれて楽しく過ごされてnonnさんの姿が、文中から窺われました。
子ども達には、牛や馬たちの存在が・・・自然が良い手本なのでしょうね。