昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ある日河畔にて

2008-05-20 18:14:43 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 風は少しあったが、前日まで続いた三月下旬から四月初めの低気温が一気に快復した日の午後、家だけの歩きを補おうと河畔に出かけることにした。
 午前中に家事をあらかた終えた老妻が、久しぶりに一緒に行くことになった。老妻の場合はもともと膝に故障をもっているから、歩くのが主というよりは、お陽さまに当るのが目的の一つなのである。
 河原の遊歩道を半分ほど歩き終えてから老妻は車に引揚げた後は、今度は私一人で残りの川上のコースに向かった。

 暖かい陽を浴びながら気持よく歩いている時だった、急に冷たい川風を背に感じて振向くと、何時の間にか海霧(ガス)が川筋一杯に広がっていた。
 先ほどまでは、川下の海岸近くまで見渡せていたのに、意外な早さであった。それにあれほど明るかった空は素早い海霧に蓋われて、まるで夕暮れだ。
 とっさに、直ぐにでも引き返そうかとためらいながらも、またどうせ直ぐに霽れるだろうと、とにかく歩を進めることにした。
 思ったとおりに程なくして海霧は消えてしまい、空は元の明るさを取り戻し、ふたたびヒバリの囀りが天から聞え、スズメなどの小鳥たちも飛び立ち始めた。
 
あっと言う間に海霧が迫ってきた。

薄暗くなったのも束の間、再び晴れ上がりヒバリが天で囀る

立ち枯れたオオハナウドで囀るノビタキ(夏羽)

さっきの海霧が嘘のように晴れ上がった空に{お相撲さん}のような雲が・・・


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4 コメント

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じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2008-05-20 22:26:26
写真を眺めると、なるほど不気味な海霧ですね。これがグングンと押し寄せてきたらそれこを不安が先に立つでしょう。でも、結果的に、すぐに晴れて、ヒバリが鳴き、ノビタキの囀りを撮ることができました。
ピントがしっかりしているようだから、トリミングで引き延ばしが可能でしょう。
最後の写真の雲は、もう真夏のようです。そちらにも、いよいよ楽しい夏の到来です。奥様を大切に!
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懐かしいなー。 (nonn)
2008-05-21 09:18:37
子供の頃の記憶の一つはガスです。こちらで誰かに言っても不思議そうに余り反応してくれません。その言葉、neeminnguからかも知れないと海霧というと、どんな字と聞いてくれるので、そこから話は始まります。ガスと繋がるのはバーバリーコートです。朝晩、高校に通学するのに着用が義務ずけられていました。色、形は自由で大体は紺色でしたが私のは薄いピンク、ブルーの玉虫色のもので大層お気に入りでした。大して教養もなく教育的でもなかった生きる為にがむしゃらに働いていた亡き祖母、母のことを暫し思い出してしまいました。霧笛が聞こえてくるように思いました。
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poloさん今晩は (じゃこしか)
2008-05-21 18:31:52
 コメント有難うございます。
海霧発生の仕組みの詳しいことは分かりませんが、まさに「一転にわかにかき曇り」の様変わりには本当に驚かされます。
 こうした現象が起るのも、いよいよ夏が近付いてきた証しでありましょう。
 なおノビタキは、以前poloさんのブログで拝見したことがあって直ぐに判りました。 
 有難うございます。

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nonnさま今晩は (じゃこしか)
2008-05-21 18:33:46
 コメントいつも嬉しく拝見しております。
 海霧をガスと呼ぶ釧路の言葉には、私も釧路に来た当時は不思議に思ったものでした。
 それにもう一つの霧を「ジリ」と呼ぶことですが、今はある程度理解出来ました。ジリは空から降るのでは無くて、まるで地面から湧いて来るようで、傘などは全く用を為さず閉口したものです。
 nonnさまが仰るとおりで、バーバリコートーは欠かせませんでした。余談ですが、今の車の便利な間欠ワイパーは、釧路のジリ対策がヒントだそうす。
 またnonnさま想い出の釧路崎灯台の霧笛(大正14年9月~挽歌で一躍有名)も、GPSの普及により年内で無くなって仕舞うとか・・・寂しいですね。
 
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