昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

デジカメの怪?

2007-07-06 18:58:10 | 日々の雑記
 「シャリーン」の電子音で居眠りから目覚めた。その夜の老妻は、昼間の長歩きのせいで疲れたからと、好きな海外ドラマを途中で止めて、いつもより早い時間に床に入っていた。
 わたしは、寝る時間までに少し間があったのでブログの下書きでもと、パソコンに向かっていた。しかし老妻と同じように、昼間の疲れでいつの間に寝入ってしまったらしい。
  
 とつぜん鳴った電子音は、いったい何だったろうかとあたりを見たが、判らない。唯一電子音のような音を出すのはテレビなのだが、そのテレビは老妻が寝るときに、すでに切っていたからテレビの音で無いことは確かだ。
 はじめこそ寝ぼけ半分だったが、どうも気になってならないので、こんどは部屋の灯りをつけて部屋中を見まわすことにした。
 そして「シャリーン」という電子音の正体を発見した。それは昼間使ったあと、座卓に置いたデジカメだった。不思議なことに触ってもいないのに、スイッチが入ってレンズが出ていたのだ。
 この部屋にはわたし以外に誰かが居るわけでも無いから、カメラのスイッチは、勝手にひとりでに入ってとしか思われない。今度はあらためて切ってから、ウォーキング用のベストに仕舞いこんだ。
 やがて日付も変わろうとする時刻になっていたので、ブログの下書きは明日に回して、そろそろ寝自宅に取りかかろうとした矢先、ふたたび耳に入ってきたのは、先ほどの「シャリ-ン」だった。
 カメラのスィッチが、ひとりでに入ったのだと判っていながらも、深夜でのことだけに不気味さたとえようも無かった。
 この後、たびたび驚かされるのはもうまっぴらとまた老妻がトイレにたった時にでも鳴ったら、おそらく肝をつぶすだろうと、念のために電池を抜いて置くことのした。

朝になってからから、「シャリーン」の電子音で驚かされたことを家人に告げると、すかさず娘が・・・おもしろおかしく揶揄するように云い出した。
 「オヤジさんは、日ごろから何でもかんでもカメラで撮るから、その中にキット写されたくないものがまじっていたんじゃないの?その得体の知れないものが、カメラから脱出しようとしているんだよ」

 朝ぬなっても治っていなかったので、さっそく電器店へ持ち込んだけっか、直ぐにメーカーに送ることになった。念のために修理にかかる日数を聴くと、早くても2週間ほどはかかるだろうとのことだった。
 毎日のように使っているデジカメなのだから、二週間は痛手である。やむなくこれからのウォーキングには、古いほうの「ソニーサイバーショットDSC-S70」を使うよりほかは無い。
 その前のデジカメは大きさと重さが約三倍もあるのだから、とうてい上着のポケットには入り切らない。今のと比べて煩わしいからと云ってカメラ無しでは、歩く甲斐もまるで無く、その楽しみも半減してしまうと言うものだ。
 それにしても、一年保証が過ぎたころに故障とは、まさにメーカーの思うツボではないかと思うのは、下衆の勘ぐりか、はたまた貧乏人の僻みか・・・。


親子心中におもう

2007-07-04 21:23:03 | 日々の雑記
 子殺しとか親殺しが特に目立つ昨今ですが、二日の朝京都伏見での無理心中は、あまりに悲惨すぎることでした。
 とかく住みづらいこの世に残してゆくのは、いかにも不憫で忍び難いとは、親子心中の親の言い分なのですが、それでは子どもの人格や生存権をどのように考えているのでしょうか。それは親のエゴにほかなりません。
 ましてや今回、あたら尊い命を絶たれた三人のお子さんたちは、ともにそれぞれ高校生と中学生なのですから、もう立派な一人前の大人なのです。
 
 今の世の中がたとえ乱世・末世とも、また人情紙の如しと云われようとも、「親が無くとも子は育つ」とか、「すてる神あればひろう神あり」または「渡る世間に鬼はない」の喩えがあるように、まんざら捨てたものでも無いのがこの世の常なのです。

 さてまったくの余談なのですが、この父親が三人の子どもを道連れにしたのは、妻への嫌がらせだったとか・・・と、そんな見方の人がいるようです。
 その人の曰く、子どもは妻に残してゆきたくなかったからだとか、自分の死後妻が、三人の子どもたちと仲良く暮らすのが、どうにも我慢ならず許せなかったとか・・・、まるで直接聴いて来たような、また冗談ともとれる随分と穿った見方ですね。
 いずれにせよ、この世の男・父親たちが、こんなにだらしなく腑甲斐なくなったのはいつからなのでしょうか。

                       柳町公園で   

 今日のお昼過ぎ所用で街へ出かけたついでに、柳町公園でウォーキングをして来た。最近の天気は、朝から午前中かけて霧雨模様なのだが、昼ころになると必ずと云ってよいほど晴れて暖かくなります。
 今朝も何時降りだしても良いような空模様だったのですが、またいつものように晴れて来るのだろうと、家を出るときにデジカメとウォークマンそれに飲料水を用意したのです。
 案の定公園に着いた頃には、いつもの青空が広っていた。
 ウォーキングといっても、どうせ散歩ていどの歩きしか出来ないから、歩く距離はしれたもので、むしろあっちこっちへの寄り道の方が多いのです。
 例えば、ヒメジョンともハルジョンともとれる花を見つけては、ブログ先輩が教えてくれた方法で確認したり、また遠くに咲く赤い花をわざわざまわり道までしてカメラに納めたりで、いたってのんびりしているのが私たち夫婦のいつものウォーキングなのです。

 ブログの先輩の教えで確認できたヒメジョン

珍しい八重咲きのハマナス

真紅の大輪


若しかして歴史から消されるのでは・・・

2007-07-02 20:41:00 | 日々の雑記
 今、世間を一番賑わしているのは、ある閣僚のとんでもない発言だろう。
「バカは死ななきゃ治らない」と言いますが、一国の閣僚でありながら、いつになっても懲りない面々の、度を超えたというか、際立った馬鹿さかげんに憤りを超えて呆れ果てるばかりです。
 今さらながら、この国の行く末が案じられてなりません。

 こんな調子でゆくと、その内にあれは、「ある真夏の夜の夢にしか過ぎないと」原爆投下という歴然とした事実が、この世の歴史から消されてしまうかもしれません。いずれにせよ、恐ろしくて情けないことです。

              桜の花のあとで・・・

 雨模様が続く前の日に、柳町公園を歩いて来た。
 運良く駐車場が空いていたので、安心してゆっくりと長歩きができ、併せて三つのゾーンを回ってきた。その帰りコースで、桜の花のあとに小さな赤いものが生っているのを見つけた。
 普通は、花の後には実が生り、それが種子に成るわけだが、桜の実と云えばサクランボのはずなのに、いくら見入っていてもサクランボには見えなかった。
 その場でいくら考えても判らず、とりあえずカメラにおさめてきた。いろいろと検索して見たが一向にわからない。
 この公園には、「くしろ八重」のほかにも何種類かの桜があるのだが、どうやらその内の一種類だけのようだった。

桜の花のあとで生っているのは・・・?

同上