昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

運河跡公園

2006-05-12 16:29:06 | Weblog
 5度前後の気温で日がな冷たい雨模様の日の翌日は、まるで前日が違う国の天候だったかのように、ここ道東も道南道央並みの暖かさの一日となった。
 時折り吹く突風並みの風さえ無ければ、断然今年一番の暖かい日となった筈なのに、残念ながら午前中に無かった風が、昼が過ぎた頃から5~6メートルほどにもなり、日が翳り始めた頃には、更に強くなった感じで寒ささえ感じた。この時季の気紛れな天気は、まだまだ心許無く安心は出来ない。
 用心のために日頃から持ち歩いている手袋を早々にはめて、今日仕上げのウォーキングの歩を速めた。

 しかし季節の移ろい、花のシーズンは遅々としながらも、間違いなく近付きつつあるようで、毎年先駆けて咲く公園中央の「エゾムラサキツツジ」は、今年もイの一番に咲いて、枯れ色主体の公園内で一際目立っていた。何はともあれ花の傍で一休みとばかりに急ぎ足、一年ぶりの紅紫の彩りと花の香をタップリと楽しんで来た。

遊歩道上には夏雲を想わせる雲が・・・

毎年のように先駆けて咲く公園の・エゾムラサキツツジ



「ヒメマス釣り」水温むK川で

2006-05-10 17:31:24 | 日々の雑記
 五月の上旬が終り、そろそろ釣のシーズン到来である。GWの終盤両日は今年一番の気温を記録した。今年一番の暖かさと云っても、16度そこそこまでの気温だったが、とにかくこの地域では珍しい暖かさだった。

 この暖かさに誘われ、この時季を待ち兼ねていた多くの釣り人が、近くの川に姿を見せた。大半は大人たちであったが、中には母子連れの姿もあった。

 この川でこの時季ならば、釣れるのは産卵で溯上して来た「ウグイ」が圧倒的に多く、大分昔のことになるが会社が終ってから、子どもを連れて良く出掛けたものである。やはりこれも昔のことだが、この川の左岸に水産加工所が多くあって、特に蒲鉾工場の排水溝がある川下は、数日間に限って入れ食い状態なり釣り人で賑わいを見せていた。
 今は何が釣れるのか気になり、釣り人の場所に近付こうとしたが、その辺りは湿地帯でウォーキングシュウーズでは到底無理で諦めたが、折り良く堤防にの車から降りて来た人が、一見して釣り人と見てとれたので、日頃の人見知りを押して訪ねてみた。なんと返されて来た言葉は、全く思い掛けなく「ヒメマス」とのことだった。
 「アメマス」ならば、以前にも偶に釣れたことがあるとは聞いていたが、「ヒメマス」のことは初めてだった。更にこの人は続けて話してくれた。
それによると、釣れる日は面白いように釣れるらしくて、昨夕と今朝方には少しの時間で40~50センチのを5本も釣った人が居たとのことだった。
そう聞けば、吊り上げる場面が見たくて、その後暫しの間粘っていたが、暖かいと云っても、まだまだこの地域は日が傾くに連れて特有の風が出始め、それも川風とあって、ジャンパーだけの身には応えて早々に退散した。

 大人たちの中に母娘の釣り人の姿も在った。

何か連れたようだが遠過ぎて良く分からない。

拡大して見たが今度はボヤケテ余計分からない。



続・夕焼けを追って・・・

2006-05-07 20:51:19 | 日々の雑記
 八十八夜(5月2日)と、立夏(5月6日)が過ぎたというのに、少しも暖かくならない。どうも今年の道東の気象はおかしい。先日関東以南では、軒並みに30度を越して夏日を記録したと言うのに、こちらでは冷たい雨が続き、寒さにふるえあがっていた。しかも道北方面では、時ならぬ五月の雪が降り、住民は戸惑い、観光客を驚かせていたと言う。

 因みに昨年四月の平均気温を調べ、今年のものと比較してみた。

             四月中
    
     ※気温10度を超えた日---昨年10日間・・・今年4日間
     ※ 平均最高気温 --- 昨年4,0度・・・今年2,8度

 
この数字からみてもかなりの温度差であり、今年の気象の異常さは歴然としている。これは5月に入っても変わらず、家の庭の花は福寿草がたったの二輪咲いただけであり、スズランやクロユリが僅かに芽を出した程度で、他のツツジ・シャクナゲなどの木々に至っては、蕾が膨らんで来る気配さえ見せない。

 しかし気温が低い所為か、春特有の靄が掛からず、とにかくK市の夕焼けが美しい、市民は<日本一と自慢する。その夕焼けの見事さに惹かれて、年甲斐も無く晴れてさえいれば、そわそわと落ち着かず、気が付けば己のポイントに車を走らせていた。

 ウォーキングに利用する自転車道路の樹間に沈みゆく夕陽

新釧路川の支流「仁々志別川=ニニシベツ」に沈む夕陽

夕陽を追って訪れるポイント

近くの住宅街の通りからの夕陽


阿寒町自然休養村

2006-05-05 15:24:44 | 日々の雑記
 ゴールデンウイーク中の好天気に誘われて、少し遠出のドライブに出掛けた。
とは云ってみたところで、74歳目前の老ドライバーが、気軽に行ける先は知れたものである。しかもこの地域でのこの時季のこと、近場で春を満喫出来る処はザラに無い。手っ取り早い湿原展望台にしても、先日訪れた春採湖と同様に、まだまだ冬枯れの中だろう。
また鶴居村の丹頂サンクチュアリー鶴居村の丹頂サンクチュアリにしても、ライブカメラを覗くかぎりでは、鶴たちはもう既に繁殖のために湿原の奥に飛び去ったと見えて、殆どその姿を見せていない。

色々と思案した挙句、また老妻とも図った末に、昨年もこの時季に訪れた事がある、「阿寒町自然休養村」へ行くことに決めた。此処なら、無理な運転はせずとも、一時間もあれば充分である。それに昨年同様「ミズバショウ」は、もう既に咲いているだろう。 
 早速く出掛ける準備をはじめた。但し今年は出掛けるまでには、充分に時間が在ったので、屋外での昼食も乙なものだろうと、食事を持って行くことにした。
昨夜の残り物と冷蔵庫の在り合わせの材料だったが、まがりなりにも「焼き甘塩紅鮭・残り物の煮豚・だし巻き卵・板蒲・リンゴ・etc]の重詰めが出来上がった。

 此処の休養村は、海岸部から30キロほど内陸にあるから、さすがに暖かで何処の施設も人出で一杯だった。樹幹の散策路には老若のカップル、山手のサイクリングロードからも子どもたちの歓声が流れてくる。焼肉コーナーにも数組の家族、それに池の畔には、幾組かの幼児連れ家族が団欒していた。
 それに倣って敷物を広げようと思ったが、さすがに年齢もことを考えると気後れが先立ち、其処からは遠く離れた場所に陣取った。人前での老妻と二人っきり食事には、とかく照れ臭ささが伴ない、少し落ち着くまでは食事の味はしなかった。特に人様が近付くとそれは恥ずかしさに変わった。

 しかしそれも時が経つに連れて平気になっていった。在り合わせの材料と残り物で誂えた弁当で、嘘でも人様には勧められるようなものではなかったが、なにはともあれ柔らかな初夏の日ざしの下での、老夫婦水入らずの楽しい一時は、後々までに残る良い想い出であり、また心から癒やされ満足できたものであった。

 休養村の在る「あかんランド」の案内図


 途中のマリモ国道からの雌阿寒岳

 休養村の池と遊具

花の数こそ少なかったが清らで可憐なミズバショウ


今年初の湿原道路(自転車道路)

2006-05-03 17:11:35 | 日々の雑記

 最近にしてはとにかく穏やかな日であった。それは朝の内から、裏庭の木々の枝葉が少しも揺れないことから分かった。早々に老妻を促がして、約半年ぶりに、正確には昨年の11月初旬以来の湿原道路に出掛けた。

 ある程度予測はして出掛けたのだが、これほどとは思わなかった。先日訪れたあの春採湖でさえも、南向きの草地には僅かながら、コバイケイソウの緑や、エゾエンゴサクの青さが鮮やかだった。それに引き替え此処湿原では、そんな甘い期待は物の見事に裏切られ、冬枯れ一色の湿原がただただ茫々と広がっていた。
 晴天までとは言い難かったが、ある程度青空が見えていたので、出掛ける際に大いに期待していた阿寒連山は、期待していたとおりにその全容を現していた。全体が未だ真っ白な雪に覆われて、春の陽に輝く様はまさに「神のごと遠く姿を・・・」の短歌そのものだった。

 また途中で休む「鶴野休憩所」は、何時もは見苦しいばかりに、枯れ枝枯れ葉が散乱しているのだが、今日は心が和むほどに綺麗に片付けられていた。
 そればかりか、休憩がてらに腰を下すブランコが無くなっていた。辺りを良く見ると、他の「ジャングルジムやシーソーなど」の遊具なども一切姿を消していた。それらの遊具類は確かに所々錆び付いてはいたが、素人目にはまだまだ充分に使え得る物と思えたが、それは甘い判断でかなり老朽化していたたのかも知れない。
 此処の遊具場には休日ごとに、小学生同士がサイクリングに、また親子連れで賑わっていた。この有様に、今年のビジターたちはさぞかしガッカリすることだろう。

「神のごと遠く姿を・・・」現した、今なお真っ白な雌阿寒岳

この場所には昨年秋まで、色々な遊具があった。

上の写真と同じ処に在った色々な遊具




朝鮮ベース・少年の日の想い出から!

2006-05-01 17:04:29 | じゃこしか爺さんの想い出話
               (Ⅱ)朝鮮ベースボール
 
 この遊びは、先日載せた「朝鮮かくれんぼ」と同様で、必ずしも朝鮮から伝わってきたものでは無く、下記の(Ⅲ)三角ベースボール同様、この地域の子どもたちの間に、代々伝えられて来たボール遊びの一つです。ルールの方は長い年月の経過のせいで、全てはっきりと覚えておりません。確か人数なども定まって居らず、一チーム4人以上揃えば良かった筈ですが、4人から10人以内が最適でした。また守備位置は任意で、その打者に合わせて守るのです。ベースは一ケ所で相手の守備陣の隙を突くヒットで進塁して、味方のヒットで帰累出きて点数が入ります。
 
 
 


 この遊びの詳しい決め事は、やはりはっきりと記憶には無く、上記の事柄が覚えている全てです。