昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

「朋有り稚内より来る、亦楽しからずや」

2006-05-24 11:53:34 | 日々の雑記
 先夜のことだった。稚内市から、約70年来の友人N君が訪ねて来た。小学校入学時点の同級生だから、言うなれば幼馴染の間柄である。その彼が、ライオンズ・クラブの周年大会への参加目的で、稚内市の所属会員と共にバスを仕立てて来たのであって、このたびは約5年ぶりの再会であった。
 
 以前は二年毎に道内各地で開いていたクラス会であったが、お互いに70歳を越す様に成ってからは、加齢に因る体調の衰えや病勝ちが昂じて、延び延びとなって何時しか5年が経って仕舞った。
 これまでは道内各地の級友が交替で受け持って開いて来たのだが、70余歳の年齢と成ってからは、とかく地方での開催は移動手段に無理があった。やはり鉄道便でも航空便でも札幌が最適地だった。しかしこれまでの何度かの札幌開催で労を尽してくれたA君が、2年程前に内臓手術をしてからは、それを押してまで彼に頼み込む訳にもゆかず、そのままになっていたのである。

 前日の電話で約束した7時キッカリに、彼が待つ駅前のホテルのロビーに着いた。彼と同行して来たライオンズ会員たちで、当然混み合っているだろうと思ったが、階上のレストランは意外にもひっそりとしていた。
どうやら彼もまた、私同様に体調から酒席はご法度らしくて、周年大会の式典の宴席会場を早々に抜け出して来たようである。

 会えば直ぐに出る言葉は、お互いに同じ
 「お前・・・少し太ったんじゃないか」
 の一言だった。そして夫々返す言葉も
 「まぁーな・・・」
と何と無く言葉尻を曖昧にした返事も全く同じだった。

 そしてその後はお互いの近況を話し合うも、いつしか話題は少年の頃にかえっている。これらの話題は今回に限らず、誰彼の区別無く私らの仲間であれば、会うその度に必ずと云っても良いほどに出て来る話である。

 やがてレストランから彼の部屋に場所を替えて、更に話し込みそれは実に三時間にも及ぼうとしていた。同郷の友との出会いは全く良いもので、特に小学校時代の同級生ともなれば、お互いの立場になんら損得打算も無く、まさに腹を割って好きな事が話し合うことが出来る。
 
 中でも小学生時代の開墾作業でのストライキ、援農での悪戯、それに何と云っても話の尽きないのが、終戦時と戦後のことである。こうした共通の話題が、この5年間の隙間を確実に埋めてくれる。そして後の残るものは唯々懐かしいの一語に尽きてしまうのである。 
 未だ現役(家業)ですこぶる元気だと云いながらも、彼の顔に長いバスでの疲れが見て取れたので、話は尽きないのだが、そろそろ潮時と引き揚げることのした。

 彼の話の内容から、彼も亦私同様に「自分史」なるものを纏めつつあるらしいことを知って、それぞれ出来上がったら交換しようと約し、次回の再会を約して別れて来た。

 ホテルのロビーでの写真をPCに納めたが、脳裡に焼き付いて中々消えない。N君との5年ぶりの再会の興奮が猶冷め切っていないようである。どうやら今夜は眠れぬ夜になるらしい。