昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

朝鮮かくれんぼ・・・少年期の想い出から

2006-04-25 17:52:07 | じゃこしか爺さんの想い出話
 < 夏の遊びから >

 夏の遊びとしては、「パッチ(メンコ)、ビー玉、釘さし、竹馬、コマ、ケン玉、陣取りetc…」が一般ですが、他にチーム別に分かれて遊ぶものとして、「朝鮮ベース、三角ベース、軍艦遊戯」などがありました。

(Ⅰ)・・・朝鮮かくれんぼ・・・
 
 当時の私たち子どもの遊び場所は、家の近くの長屋と長屋との間に、ちょうどテニスコートの二つ分ほどの空き地があって、そこが当時の私たちの遊びに使われ、休日や夏休みなどのに良く利用したものです。

 この「朝鮮かくれんぼ」は、当時私たちが良く遊んで居たものの一つで、代々子ども達に伝えられて来たものです。なおこの遊びがこの地域だけのものだったのか、或いは樺太全体での遊びであったのどうかは、未だにはっきりとは分かりません。

 その頃の遊びの中には、他に「朝鮮ベース」というのも在りました。それらの名前からして、朝鮮人が名付けたのか、また朝鮮人によって持ち込まれた遊びのかどうかは、全く分かりませんでしたが、とにかくその当時は朝鮮人とかの区別無く、夏休みなどには毎日飽きること無く一緒に遊んだものです。

 さてそれはどんな隠れん坊かというと、普通の隠れん坊は鬼と子に別れて、ジャンケンで負けた者が鬼になり、その鬼が目を瞑って一定の数(ダルマさんがコロンだ)を数える間に、子達は一目散に散って隠れるのものですが、この隠れん坊の場合は、予め一尺(約30セン)ほど棒(木の枝)と、缶などのようになるべく音の響くものを用意します。それからジャンケンで一人の鬼を選び出し、子になった者の内の一人がその棒を出来るだけ遠くへ投げ、鬼がそれを拾いに行っている間に、子たちは一斉に隠れるのです。鬼が子を見付けた場合には、急いで缶のところへ戻って、「○○君見付けた」と大声で叫んで缶を叩くのです。

 この鬼の棒の投げ方如何で、遊びの雰囲気が違って来ます。棒を投げる役目は子側にあるのですが、手許狂って近い処に落ちた時などは、ゆっくり隠れる時間が短くなり、隠れ場所が見出せぬままに、ウロウロしている内に見付かってしまいます。その反対に遠くへ飛ばせた場合には、隠れる側に余裕が出来て有利に身を隠せるのです。そして鬼が探しあぐねて居る隙を狙って、子たちが棒を取り上げることも出来、それで空き缶を叩けば子たちの勝ちとなり、鬼は再び鬼役になり遊びが再開されるのです。
 こうして延々と遊び続けますが、飽きて来ると次の遊びに移るのです。この場合みんなで話し合って、遊びの種類を決めていました。

 ・続く・