昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

公園のトイレ

2005-11-20 17:23:29 | 日々の雑記
 ウォーキングで、何時ものように家を出てみたものの、私にも老妻にも決まった当てが無く、車を走らせてからこの秋に人伝で知った、市の外れにある団地の公園を目差した。前回訪れたのは確か今月の10日のことだから、余り日が経っていないことになるのだが、この公園の遊歩道は初めて歩いた時以来、私ら二人のお気に入りのコースとなっていた。
 それに此処は遊歩道沿いに住宅や樹木が数多くあって、真夏の日差しはもとより、晩秋から初冬へ掛けての風除けにもなり、特に今頃の季節には打って付けのコースである。
 現に団地の北側の未だに人手の入っていない草地を渡って来る風は、強い上に冷たかったが、一旦遊歩道に歩み入れば、今日は晴れていることもあって、木洩れ日が暖かくてとても心地良い。

 さてトイレのことだが、ここには一定の間隔でトイレが設けられていて、特に老人にとっては、親切でとても有り難い遊歩道である。だから歩き始めた時には、多少の尿意は感じていたのだが、どうせ歩く先にはトイレは幾つも在るからと軽い気持ちでいた。
 しかしトイレは冬期間で既に閉鎖されていた。気温が平年に較べてより暖かかったものだから、迂闊にもそのことをすっかり忘れて仕舞っていたのである。

 人間の身体というか、または気持ちというか、それまである程度の余裕があったのだが、いざトイレが使用出来ないと分かると、これまで以上に一段と尿意が増して来た。
 これまでにも余程切羽詰れば、湿原道路などでは人の来ないのを見越して、また老人であるのを良い事にして、葦原とか木陰に身を隠して用を足したこともは幾度かあった。
だが此処は既に樹木通りが過ぎて、周りには住宅と商店街が並ぶ中の遊歩道であった。たとえ男性で老人であろうと立小便は、到底許されるものではない。
 愈々尿意は予断を許さない所までに切羽詰っていたから、止む無くそこで歩きはそこで中断して、信号が変わったのを幸いに、向かえの生協ストアーに飛び込んだ。
 折り良く店のトイレは入り口の直ぐ傍にあって、無事に小用を済ませることが出来て胸を撫で下ろした。そして一つの教訓を得た。それはこれからはとかく身体が冷えて来る時季で、小用の間隔も今までよりもずうっと狭まり、今日のようなことが多くなるだろう。とにかく用心するにこしたことは無い。

 追記・・・
 これを書き終えたところで、今日正午スタートの東京国際女子マラソンで、Qちゃんこと高橋尚子選手が、2年間のブランクを無事に克服して見事復活優勝した。彼女の笑顔がとても素晴らしかった。Qちゃんおめでとう。

   
     カラマツも散る寸前で寂しくなった遊歩道無人のとテニスコート

             怖いほどに静まりかえった枯れ葦原