昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

余生は手抜きで行こう

2005-11-22 15:01:28 | 日々の雑記
 今日の午後、先日受けた市の「元気健診」の結果を訊くために、月に一回通っている病院へ出掛けた。
 前回はコレステロールと血糖値が若干ながら標準値を超え、また肝臓のγGPTの数値が余り芳しくなかったので、内心不安を抱きながら医師の前に座り言葉を待った。それによるとγGPTだけが前回と同じで、血糖値など他の数値は全て標準値内にあった。これも日頃の摂生に努めた所為の効果なのだろう。

 更に「今回は頑張りましたね」と医師から労いの言葉を掛けられ、この数日間を検査結果のみを気にして待っていただけに、この言葉は殊の外有り難くほっとしていた。
 更に医師の言葉が続き、「今後もこの調子を続けて下さい。ただ心配なのはあんたの場合、こまめ過ぎる上に人の思惑ばかりを気にするようだから、心臓病を起こし易い典型的なA型性格と思われます。とにかくのんびり過ごして下さい。」そして最後に「とにかく余生は手抜きで行きましょう」と提言して呉れた。
 全く医師の云う通りで、何事にも気にする性格は生来のもので、その事は以前から、友人や同僚たちに良く云われて来たものであった。

 私の場合は30歳過ぎて、小規模の同族会社に就職した。初めは平の事務職員としてスタートしたのだが、前職の経験を活かしての活躍が認められ、事務を統括する役に就き、更に職の範囲は営業分野までに及び、銀行折衝から小売店・スーパー廻りに、量販店のバイヤーとの商談までに至った。
 やがて幸いなことに業績が伸びて、その努力が認められて役員に推され、遂には雇われトップにまで至った。

 特に無縁故の上に、平職員からの雇われトップの身の悲しさ、明けても暮れても周りへの気配りと気遣いが、私に課せられた仕事のようなもので、その結果自他共に認める猛烈会社人間になっていた。
 その時受けた強いストレスが、肝臓の一部の障害と糖尿予備軍の、最たる要因となって今に至っているらしい。
その期間に身に付いた性格は一朝一夕で消える訳も無く、未だにしっかりと身に沁み付いて中々離れて呉れない。しかしこれでは折角の余生、即ちおまけの人生の価値が無くなってしまう。医師の云うとおり、徹底的に手抜きの生活に専念しようと思う。最低限の社会性を保ち、他人には絶対に迷惑を掛けないことを前提に、好きなように叉自分が思ったとおりに暮らして行こうと思った。それには先ず余り外聞体裁を気にしないことである。それには「三猿の戒め」もまた一つの方法かも知れない。

 早速く明日からでも始めよう、その手始めに外出の予定さえ無ければ、朝寝はし放題洗顔や髭剃りそれに朝晩の血圧測定などの日課は適当にして、後はダラダラゴロゴロと日がなテレビなどで過ごす。
 そう考えただけで肩の荷を綺麗サッパリと降ろしたようで、一編に気が軽くなって来た。余生の人生おまけの人生こそは、肩肘はらずに手抜き万々歳である。