昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

夕焼けを追って

2005-11-26 16:06:53 | 日々の雑記
 このところ夕焼けを追って、毎日のように市内を駆け回っております。
 夕焼けが日本一だと地元住民が、昔から自慢して来ただけに、多少の差こそあれ市内の何処からでも眺められます。
 しかし何処から見ても同じようなものでも、写真撮影にはそれぞれに恰好のポイントが幾つか在って、しかもそれが時季的に色々と変わって来ますから、写真技術の下手は下手なりに、自分勝手な理屈を並べては市内を右往左往する始末です。

 日の出朝日には青年にも似た昂揚感を喚起されて、それはそれで善いと致しますが、70余歳ともなればやはり夕陽夕焼けに安らぎを覚えます。何故にそうなるのかは一向に分かりませんが、或いは私だけの中に、遠いとおい先祖の誰かのDNAが引き継がれているのかも知れません。

 何時ものとおり昼食(1時半頃)と昼寝を済ませると、ちょうど3時近くになりやや陽が傾いて来ます。そして周りの家の屋根や壁が金色に染まり掛けて来る頃になると、もうじっとしては居られません。最近手に入れた薄方の小型デジカメをポケットに、家を飛び出し不良少年ならぬ、まだらボケ老人の市内彷徨が始まるわけです。

 下の写真は、写真撮影など全くの素人が、己の好みに合わせて撮りまくって来た中のものです。ご笑覧頂ければ幸いです。

             鳥取神社記念館と夕焼け

             夕陽に映える鳥取橋

              市内昭和町中央から夕焼け

              湿原の彼方へ沈み行く夕陽

              夕焼け前の釧路港

           米町啄木公園から見た太平洋に沈む落日 

    

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
綺麗ですね (熊子)
2005-11-26 16:59:12
やっぱり釧路の夕焼けは綺麗です。私は出世坂から眺めた夕焼けが大好きで、高校時代はいつも見ていました。真っ赤な夕日は温かいですね。そして気持ちが落ち着き大好きだな。
返信する
熊子さん今晩は (じゃこしか)
2005-11-26 18:48:29
 お早々とコメントを頂き感謝です。

出世坂ですか。今度近い内に訪れてみます。

 熊子さんが仰るとおりで、安らぎと温もりが一杯で、まるで故郷へ帰った気がします。
返信する
夕焼けこやけ (雪の字)
2005-11-26 19:13:02
美しいです。初冬の夕焼けにはえも言われぬ趣がありますね。

私は夕焼けを見ると、「家」に帰りたくなります。必ずしも今住んでいる住居と言う訳ではなく、懐かしいと思うどこかへ(どこであるかは漠然としているのですが)帰りたいと言う感情がこみ上げてきます。これを郷愁と言うのでしょうか?

皆さんの仰る通り、安らぎや温もりを感じるのです。

返信する
突飛な考え (じゃこしか)
2005-11-26 22:15:41
 雪の字さん今晩は。

人は皆夕焼けに郷愁を感じて、ホット安らぎを覚えるのは、私の突飛な考えですが、現人類の黎明期の頃、昼間は食料採集のため散りぢりになっていた家族が、夕焼けに染まりながら無事に戻ったのを喜び合い、一息ついて安らいでいる日常の繰返しが、DNAとなって受け継がれて来たのではないか・・・。



 長々と愚にも付かない事を並べ立て仕舞いました。ご容赦下さい。
返信する
遺伝子に込められた記憶 (雪の字)
2005-11-27 18:38:53
今晩は。お返事有り難うございます。

何百万年の昔、アフリカの平原に沈む夕日の下を、家路に急ぐ遠い祖先達の思い。それが今も私たちの心の中に息づいている…まるで一編の詩の様です。

じゃこしか様は詩人ですね。

美しい夕焼けを見ていると、このお話も「もしや本当に?」と思われてきます。

そうであるならば、私たちが抱いている様々な思いも、遙かな未来の人々へと伝わってゆくのでしょうか…
返信する
遅くなりました (じゃこしか)
2006-01-12 15:10:53
 雪に字さんご返事がすっかり遅くなってしまいました。



 アフリカの一人の女性が、原人類の母親であり、また祖先だと言われております。

 キットその女性が感じた事柄などが、今の私たちのDNAの中に組み込まれたのでしょう。

ですからそれぞれの人の感受性の差こそ在れ、間違いなく未来永劫に伝わって行くものと信じます。
返信する

コメントを投稿