※ あゝもして こうもしてやれば 良かったと
しみじみ想う 妻の亡き後
※ 在りし日の 妻を偲べば 悔い多し
涙ながらに 謝りて居り
生前の妻の願いは・・・いったい何だったろうかと、あれこれと考えることがあります。色々考えた結果、それは姉さんに会いに行くことでした。
妻より三歳年上で、埼玉に住んでいるのですが、5年ほど前に病気で倒れ、現在施設に入っております。
妻が私も一緒でしたが、この姉さんと最後に会ったのは、やはり妻の妹さんの葬儀が名古屋で行われた時でした。
それ以来九年にもなりますから、以前はけっこう会って居りましたから、今回の年月はきっと長く感じていたのでしょう。
妻はもうかなり前から膝が悪くて一人旅は無理でしたから、どうしても私無しでは、飛行機はもとより汽車旅でも無理でした。
しかしその私は未だ職に就いていたので、引退したらゆっくり会いに行くことにして、妻はそれを楽しみにしていたのです。
いざ引退してこれからという時になって、私が大腸ガンに侵され、更に狭心症が見付かりました。
それ以来安全を期しての生活の年月が、早くも二年も経ってしまい、ようやく自信が付いて来た今年の秋でもと、話していた矢先の妻の発病でした。
こんな訳で、妻の一番の願いが適わなかったのです。妻が何気なく手帳に書いて居たのでしょうが、死後それを目にした時の、私の驚きと辛さ悲しさは例えようもありませんでした。
例え私が手術の後だったからと云っても、何か良い方法があったのでは無かったのかと、今は後悔するばかりです。
本当に済まなかったと、ただただ遺影に涙して詫びるのみです。・・・ごめんね!
しみじみ想う 妻の亡き後
※ 在りし日の 妻を偲べば 悔い多し
涙ながらに 謝りて居り
生前の妻の願いは・・・いったい何だったろうかと、あれこれと考えることがあります。色々考えた結果、それは姉さんに会いに行くことでした。
妻より三歳年上で、埼玉に住んでいるのですが、5年ほど前に病気で倒れ、現在施設に入っております。
妻が私も一緒でしたが、この姉さんと最後に会ったのは、やはり妻の妹さんの葬儀が名古屋で行われた時でした。
それ以来九年にもなりますから、以前はけっこう会って居りましたから、今回の年月はきっと長く感じていたのでしょう。
妻はもうかなり前から膝が悪くて一人旅は無理でしたから、どうしても私無しでは、飛行機はもとより汽車旅でも無理でした。
しかしその私は未だ職に就いていたので、引退したらゆっくり会いに行くことにして、妻はそれを楽しみにしていたのです。
いざ引退してこれからという時になって、私が大腸ガンに侵され、更に狭心症が見付かりました。
それ以来安全を期しての生活の年月が、早くも二年も経ってしまい、ようやく自信が付いて来た今年の秋でもと、話していた矢先の妻の発病でした。
こんな訳で、妻の一番の願いが適わなかったのです。妻が何気なく手帳に書いて居たのでしょうが、死後それを目にした時の、私の驚きと辛さ悲しさは例えようもありませんでした。
例え私が手術の後だったからと云っても、何か良い方法があったのでは無かったのかと、今は後悔するばかりです。
本当に済まなかったと、ただただ遺影に涙して詫びるのみです。・・・ごめんね!
早く、元気になってください。
Poroさんのコメント本当にとても元気付けられました。
その内此方からもお伺いさせて頂きます。