畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
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田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

「THE DAY AFTER TOMORROW」

2009-12-14 18:06:58 | 暮らし
12月14日(月)  のち  のち 

昨晩、9時過ぎころから、雨になった。その雨は、朝まで続き、7時過ぎには、降りやむが、その後は曇り空。午後遅くに、ようやく太陽が、顔を出す。
こんな気候でも、大豆の収穫はしなくてはならない。それには、乾燥させる場所を作らなければならない。例年は、ハウスの一角にシートを敷いて、刈り取ってきた大豆の株を、立てかける程度でよかった。充分に乾いていたから。
しかし、今年はそうもいかない。大豆の株は、茎も莢も乾いていないものを、刈り取ってくることになりそうだ。充分広いスペースを取って、ハウス内で、乾燥するのを、待つことになりそうだ。ハウスのポリシートも古くなっているし、パイプに止めている所は、雨漏りする。ハウス内に、もう一枚ポリシートを張り、ダブルにして、雨漏りを防ぐように、細工をする。曇天なので、ハウス内の作業も、汗をかく必要はなかった。

昨日、テレビで、映画を見たことに触れた。このタイトル。日本語では、全くタイトルにはなりえないと、思う。「あさって」「明後日」というタイトルでは、何の想像もできない。明後日と云う日が、明日を通り越して、単独の日として、示されるから。明後日が何なの、出過ぎてしまう。
しかし、英語では、「あす」はあっても、「あさって」はないことが幸いして、明後日は、明日と続く時間的流れとして、表現されるから、このタイトルが、生きている。けして、「あさって」では、だめなのだ。
「TOMORROW」は、過去から今日までの、人間の営みによって、破壊された、自然、地球の壊滅、文明の終焉の日。しかし、「THE DAY AFTER 」「次の日」は、人間が、今一度、自然や、地球、文明を見直し、新たな復活、再生の日。と云うことなのだろう。
だけど、人の欲望は強い。そして、一度手にした、楽さ、便利さ、豊かさを、手放すこと、捨てて、もう一度、戻ることは、難しい。人の、感情は、長続きしない。
「明日の次の日」も、「明日」になってしまえば、また、「明日」、でしかない。
どう思いますか。

コメント
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