マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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古川町の農神祭

2016年10月31日 08時56分20秒 | 橿原市へ
北海道、東北では雪が舞う。

奈良の朝の気温は9度。

前日よりもぐんと下がって6度。

冷え込むうえに風がきついし手はかじかむぐらいの気温。

体感温度は否が応でもサブイ(寒い)を連発する。

晴れ間が見えたときだけ温かさを感じるが、風が吹けば桶屋が儲かるではなく、冷たい風が肌を通り抜ける。

記録では最高気温が16度であるが、防寒具が欲しかったと思う日だった。

古川町の農神祭を訪れるのは実に8年ぶり。

前回は平成20年4月29日だった。

産経新聞のアーカイブでも取り上げた橿原市古川町の農神祭である。

下見に初めて訪れた日は平成19年4月30日だった。

前日に行われた農神祭に供えたゴゼンサン(御膳)はここに残してあるから見てみるか、と云われて・・・・。

腰を抜かすぐらいにびっくりしたことを思いだす。

このときは一眼レフカメラを持ち合わせていなかった。

当時の下見はだいたいがそうであった。

あるのか、ないのか、実態を知る聞き取りが主だった。

人の顔をした野菜造りのゴゼンサンはメモ代わりのケータイ画像で撮っておいた。

その画像を新聞に載せるとは予想もしていなかった。

掲載された誌面。講中の奥さんから電話があった。

新聞を見た人たちから「あんたらこんなえーことしてはんねんな、と、そこらじゅうからあったんやで。ありがたいし、うれしいし」の言葉に誌面を飾ってほんまに良かった今でもそう思っている。

かつては5月3日にされていた古川町の農神祭は平成14年より4月29日に行われている。

古川町の農神祭がどの場所でどのように行われているのか。

この行事を存じている人はどこにおられるのか、である。

判らないことは地元の人に尋ねるしかない。

そう、思ってやってきたのは平成19年4月30日だった。

畑を耕していた人に尋ねれば、その行事は前日の4月29日だったという。

「詳しいことはトーヤさんに聞いたらえーで」と教えてもらった家を訪ねる。

訪ねた家はM家。

午後5時ころだった。

玄関から出てこられたのは婦人。

「そーですねん。昨日でしたわ」と、いう。

農神祭は前日に終わっていたが、なぜかお供えが、家にまだ残っているという。

奥から玄関に運ばれたお供えはなんと、なんとの野菜で作った「顔」だった。

普段なら行事を終えたら始末する。

始末といっても野菜だけに調理されて口に入る。

そう話していたお供えは「御膳さん」と呼んでいた。

玄関入ったところでは暗がり。

もっと明るい処で撮るためには場を移動しなければならない。

了解をいただいて塀の下に置かせてもらってシャッターを押した。

撮ったカメラはケータイ電話だが、とっぽな口が特徴のダイコン顔が鮮明に撮れた。



この野菜の御膳には、今年の流行り言葉でいえば「びっくらぽん」、である。

とにかく強烈なインパクトで迫ってくるダイコンで作った人面顔は平成19年の4月30日に撮ったものである。

トーヤによっては作り方・飾り方が毎年違う。

そのときに旬の野菜で形作ると話していたことを思いだす。

農神さんを祭る祠は大正二年に建てた瓦葺。

重さに耐えかねて銅板葺きに仕替えた。

そのときに取り換えた古瓦はすぐ傍に置いている。

風雨に晒されても傷みは見られない。

その瓦材で作られたのが祠前に立つ灯籠である。

「大正二年 松田商店」と「五月吉日 細工人瓦留」だ。

当時、講中であった一人が火鉢屋の松田商店に作ってもらった瓦製灯籠。

あまり見ない形式である。

数年前までは6軒の講中であったが、やむをえず脱退されて5軒の営み。

平成20年に取材させていただいたこともある行事である。

送迎ドライバーの仕事をしていた3年前の平成25年のときだ。

行事当日の12時40分ころにMさんから電話があった。

今からノガミ塚に参るけど・・・という電話だったが、今から追っかけるには無理がある。

その後も仕事で重なった29日の祝日。

送迎の仕事は退職した。

いつでも出かける状況になった。

電話をもらったこともあって古川町の農神祭を久しぶりに拝見したくなって出かけた。

早めに着いた古川町。

農神祭に供える御膳作りは公民館で行われる。

早く着いても扉は閉まっている。

まずは数年間も失礼しているMさんにご挨拶だ。

久しぶりの顔を見られた婦人が云う。

そろそろ講中が集まるから・・・。

ついさっきまでは閉まっていた扉が開いている。

お声を掛けて上がらせてもらったら、

御膳の調整が始まっていた。

懐かしいお顔の講中に変わりはない。



仕掛り中の御膳を拝見しながら撮らせてもらう。

中央に皮付きのタケノコを配してキュウリやナスビを立てる。

赤いニンジンに緑のピーマンも立てる。

正面はコーヤドーフに串挿しのシイタケだ。

形作りは特に決まりはない。

当番の人の創意工夫で作る立て御膳である。

そういえば平成20年に寄せてもらったときの同じような作り。

講中によれば毎年がこういう形になっているというに対して思わず発した声は「えっ」である。

平成19年にMさんが見せてくれた御膳はダイコンを立てたとにかくユニークな顔だったことを伝える。

そうすれば「そんなことはない。

それはダイグウサンに供えたときのんとちゃう」と云う。

ダイグウサンの行事はこれまで2度、取材したことがある。

一つは平成19年5月16日

もうひとつは平成19年7月16日

月一回の廻りで参る家は違うが、御膳の形は2度とも立て御膳ではなく寝かせていた。

まして、ダイコン顔の御膳を拝見したのは4月30日。

ダイグウサンは毎月の16日である。

2週間以上も経った30日までそのままの状態で残せることは不可能だと思うのだ。

何かの思い違いの勘違い。

産経新聞に紹介した記事にウソ有りになってしまいそうだが・・・これ以上のツッコミはしない。

御膳さんが出来あがればノガミ塚に向かう。

前回に訪れたときは作った御膳は三方ごと抱えて歩いた。

神饌ものは一輪車に乗せて運んだ。

久しぶりに訪れた今年は車に積み込んで運んだ。

ノガミ塚周りはすっかり変貌していた。

北、東側にはつい数年前に新設された広い農道もある。

当地は国有地の0番地になるという。

毎月の清掃があるノガミ塚。

雑草がはびこれば刈り取る。

ゴミが落ちていれば拾う。

祭っているサカキは入れ替える。

オヒカリのローソクに火を灯して手を合す。

それが月当番の役目だという。

大きくなったヨノミの木は伐採したが、すぐにニョキニョキと若葉があがってくるらしい。

着いてすぐにこれまでと同じように御膳さんはノガミの祠に置く。



前にはテーブルを組み立ててそこに神饌や御供を置く。

ローソクに火を灯す。



そうしてノガミさんの前に並んで般若心経を唱える出雲講の女性たち。

冷たい風が吹きぬくなかでの唱える心経は手が凍えそうになった。

(H28. 4.29 EOS40D撮影)


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