来月の7月21日に講演するストーリーを練っていた。
主宰の奈良民俗文化研究所代表からお願いされて決めた講演テーマは「橿原(市)の年中行事」。
伝承されてきた民俗行事を紹介するストーリーにどうしても現状を見ておかねばならない場がある。
場所は橿原市地黄町である。
行事は大和における野神祭り行事の一つである地黄町のススツケ祭であるが、平成22年を最後に中断したまま現在に至る。
中断したワケは旧村の子供が激滅したことによって、中断せざるを得ない状況にあった。
新参の子どもを入れることも考えられたかどうか存知しないが、保存会会長の決断で中止を決められた。
ただ、中止をしたのは人磨神社境内でしていた煤(現行は墨汁だった)ツケの行為だけである。
映像は平成21年5月4日に撮ったもの。
この年が最後になったときの行事スケジュールである。
これもまた貴重な記録になってしまった。
本来の野神祭りは地黄町集落外にある野神神社に参ることである。
そのお参りは明け方前の午前3時半ころと聞いている。
旧村の子どもが牛耕している農耕の様相を絵馬に描いて神社に奉納する。
その際持ち込むのが藁で作った蛇であり、魚の鰤である。
鰤は丸太の一本ではなく、頭と尾だけを奉る。
蛇は御幣を挿した形状で野神神社に供える。
ススツケ行事は中断したが、野神行事は継続しているのかどうかは奉納された痕跡の有無でわかる。
有れば継続しているし、なければこれもまた中断である。
シナリオストーリーを執筆していてどうしても確かめたくて立ち寄った。
野神神社の前は東西に繋ぐコンクリート道。
散歩する人や自転車で闊歩する人も多いが、神社の様相を拝見することもないだろう。
何故なら神社は旧村にとっては大切な神社であるが、近年は地黄町旧村集落を囲むように新築移転者が圧倒的に増えている。
居住地の建物を見ればすぐにわかる民家の様相である。
旧村の人であれば野神神社に参る。
新規に移転した人たちには関係のない場。
参ることはない。
神社前に車を停めて鬱蒼とした神社地に入る。
辺りはやや暗いが、なにやら形的なものが見える。
野神祭りをしていた痕跡があった。
行事日は5月4日。
1カ月以上も経過していたが、崩れもせず綺麗な形で遺っていた。
思わず手を合わせた野神さんである。
大蛇を彷彿させようと思える藁はとぐろを巻いている。
青竹に取り付けた御幣もある。
何枚も重ねた御幣は紅白の水引で括っていた。
青竹の御幣は2本だ。
その前に青竹のオーコがある。
両端にあるのが板書に描いた農耕絵馬であるであるが、気にかかるのは牛耕姿の描写である。
平成16年の5月5日。
つまり奉納したその日である。
13年前に奉納した描写とまったく同じであった。
(H21. 5. 4 SB912SH撮影)
(H29. 6.18 EOS40D撮影)
主宰の奈良民俗文化研究所代表からお願いされて決めた講演テーマは「橿原(市)の年中行事」。
伝承されてきた民俗行事を紹介するストーリーにどうしても現状を見ておかねばならない場がある。
場所は橿原市地黄町である。
行事は大和における野神祭り行事の一つである地黄町のススツケ祭であるが、平成22年を最後に中断したまま現在に至る。
中断したワケは旧村の子供が激滅したことによって、中断せざるを得ない状況にあった。
新参の子どもを入れることも考えられたかどうか存知しないが、保存会会長の決断で中止を決められた。
ただ、中止をしたのは人磨神社境内でしていた煤(現行は墨汁だった)ツケの行為だけである。
映像は平成21年5月4日に撮ったもの。
この年が最後になったときの行事スケジュールである。
これもまた貴重な記録になってしまった。
本来の野神祭りは地黄町集落外にある野神神社に参ることである。
そのお参りは明け方前の午前3時半ころと聞いている。
旧村の子どもが牛耕している農耕の様相を絵馬に描いて神社に奉納する。
その際持ち込むのが藁で作った蛇であり、魚の鰤である。
鰤は丸太の一本ではなく、頭と尾だけを奉る。
蛇は御幣を挿した形状で野神神社に供える。
ススツケ行事は中断したが、野神行事は継続しているのかどうかは奉納された痕跡の有無でわかる。
有れば継続しているし、なければこれもまた中断である。
シナリオストーリーを執筆していてどうしても確かめたくて立ち寄った。
野神神社の前は東西に繋ぐコンクリート道。
散歩する人や自転車で闊歩する人も多いが、神社の様相を拝見することもないだろう。
何故なら神社は旧村にとっては大切な神社であるが、近年は地黄町旧村集落を囲むように新築移転者が圧倒的に増えている。
居住地の建物を見ればすぐにわかる民家の様相である。
旧村の人であれば野神神社に参る。
新規に移転した人たちには関係のない場。
参ることはない。
神社前に車を停めて鬱蒼とした神社地に入る。
辺りはやや暗いが、なにやら形的なものが見える。
野神祭りをしていた痕跡があった。
行事日は5月4日。
1カ月以上も経過していたが、崩れもせず綺麗な形で遺っていた。
思わず手を合わせた野神さんである。
大蛇を彷彿させようと思える藁はとぐろを巻いている。
青竹に取り付けた御幣もある。
何枚も重ねた御幣は紅白の水引で括っていた。
青竹の御幣は2本だ。
その前に青竹のオーコがある。
両端にあるのが板書に描いた農耕絵馬であるであるが、気にかかるのは牛耕姿の描写である。
平成16年の5月5日。
つまり奉納したその日である。
13年前に奉納した描写とまったく同じであった。
(H21. 5. 4 SB912SH撮影)
(H29. 6.18 EOS40D撮影)