大座(だいざ)、今座(いまざ)、千座(せんざ)の三つの座がある北村町戸隠(とがくし)神社の氏子たち。
早朝から集まって氏神祭りに使われる道具類を作っていく。
その道具と言うのは午後から行われる相撲のことだ。
村の神主とともに並ぶ二人は警護の役目。
その警護が持つ弓と矢を造る。
弓はシブの木で矢はネソと呼ばれる竹だ。
シブの木は夏の頃に白い花を咲かせるそうだ。
シブの木は毒性があるというNさん。
翌年にお会いしたときにこの木のことを聞いた。
根かもしれないが、と前置きして語られたシブの木は川に入れたら魚が浮くくらいだという。
シブの木で作る弓は毒をもって清める意味があるかも知れないという。
少なくなったシブの木は将来に亘って行事で使うことができなくなると危惧される。
そんな時代がくれば作り物の弓になってしまうかも知れないと話す。
(H24. 3.16 追記)
矢は細い竹で先の方は円錐形で尖らしている。
それは栗の木を細工したもので、竹は交差させて支柱にする。
これには意見がでて「矢を置く台ではなかろうか。持つ位置は逆なのでは」と話す大座と村の神主。
結論は見出せなくてこの年は支柱となった。
この道具を作るのは神主が座中に含まれる座で造られる。
相撲では担いで登場する刀と矢羽根を造る。
刀の材料は弓と同じシブの木である。
羽根は十数センチの長さで白い紙で羽根を取り付けた。
それらの道具は大座の人らが作っていた。
三つの座はそれぞれの座中が座る各々の仮屋(座の館)がある。
その仮屋には座中の名称が書かれてある提灯を掲げ注連縄が張られる。
それを作っているのは今座の人たち。
千座は特に造る様子は見られなかったが、それぞれの座中は氏神さんに供える御供を造る。
千座の場合は枡に詰めたセキハン(赤飯)や栗、リンゴ、スルメの御供だった。
セキハンは4合枡と思われる木の枡にすりきりいっぱい詰め込んで上から蓋を押してできあがる。
それは家で作ってきたそうだ。
神さんが食べられるようにと箸は栗の木を削って造った。
中央は白い紙で巻いている。
折敷に載せてできあがる。
今座の御供もほぼ同様だが魚はカマスで果物は葉付きのカキにエダマメ(大座ではナリマメと称す)だった。
今座ではセキハンのことをモッソと呼んでいた。
千座と同様に枡に押し込んで作ったという。
箸は同じく栗の木だが持つ部分を白い紙で巻いている。
大座の場合はセキハンではなく二段重ねの餅だった。
大きなカシライモ、コヨリで括った二段重ねのナスビにエダマメで果物はナシだった。
半紙に包まれた削りカツオもある。
平成14年まではカツオを削っていたのだが手間がかかるためパックで売っている削りカツオにしたそうだ。
セキハンは大重(重箱)に詰められている。
箸は同じく栗の木だが持つ部分を白い紙で巻いている。
大座のお供えは他にもある。
スグリワラと呼ばれる藁束の中に押し込んだ大きなオニギリのような形のセキハン。
そこへ大きなモチを加えるとスグリワラの中のセキハンは見えなくなってしまった。
これは山の神に供えるというが、年代ものの桶は持っていかない。
それには「新調 東里村大字北 大座中御供桶 明治二十八年十月」の文字が墨書されていた。
また、小さな鋲打ち太鼓や紐で繋がれた鉦があった。
年代を示すものは見つからなかったが相当古いものに違いない。
鉦は鳴る音から「チャウン チャウン」と呼んでいるが両方ともの鳴りもの道具は行事には使われない。
何らかの念仏行事があったものと考えられるが座中の人たちは記憶にないという。
三つの座に共通していた御供には「ヒトシオサバ」がある。
単に「サバ」とも呼ぶヒトシオサバは尻尾のほうに藁を括って本殿に吊り下げる。
三座とも2尾ずつである。
こうして氏神さんに供える御供ができあがったころになれば神事が執り行われた。
(H23.10.10 EOS40D撮影)
早朝から集まって氏神祭りに使われる道具類を作っていく。
その道具と言うのは午後から行われる相撲のことだ。
村の神主とともに並ぶ二人は警護の役目。
その警護が持つ弓と矢を造る。
弓はシブの木で矢はネソと呼ばれる竹だ。
シブの木は夏の頃に白い花を咲かせるそうだ。
シブの木は毒性があるというNさん。
翌年にお会いしたときにこの木のことを聞いた。
根かもしれないが、と前置きして語られたシブの木は川に入れたら魚が浮くくらいだという。
シブの木で作る弓は毒をもって清める意味があるかも知れないという。
少なくなったシブの木は将来に亘って行事で使うことができなくなると危惧される。
そんな時代がくれば作り物の弓になってしまうかも知れないと話す。
(H24. 3.16 追記)
矢は細い竹で先の方は円錐形で尖らしている。
それは栗の木を細工したもので、竹は交差させて支柱にする。
これには意見がでて「矢を置く台ではなかろうか。持つ位置は逆なのでは」と話す大座と村の神主。
結論は見出せなくてこの年は支柱となった。
この道具を作るのは神主が座中に含まれる座で造られる。
相撲では担いで登場する刀と矢羽根を造る。
刀の材料は弓と同じシブの木である。
羽根は十数センチの長さで白い紙で羽根を取り付けた。
それらの道具は大座の人らが作っていた。
三つの座はそれぞれの座中が座る各々の仮屋(座の館)がある。
その仮屋には座中の名称が書かれてある提灯を掲げ注連縄が張られる。
それを作っているのは今座の人たち。
千座は特に造る様子は見られなかったが、それぞれの座中は氏神さんに供える御供を造る。
千座の場合は枡に詰めたセキハン(赤飯)や栗、リンゴ、スルメの御供だった。
セキハンは4合枡と思われる木の枡にすりきりいっぱい詰め込んで上から蓋を押してできあがる。
それは家で作ってきたそうだ。
神さんが食べられるようにと箸は栗の木を削って造った。
中央は白い紙で巻いている。
折敷に載せてできあがる。
今座の御供もほぼ同様だが魚はカマスで果物は葉付きのカキにエダマメ(大座ではナリマメと称す)だった。
今座ではセキハンのことをモッソと呼んでいた。
千座と同様に枡に押し込んで作ったという。
箸は同じく栗の木だが持つ部分を白い紙で巻いている。
大座の場合はセキハンではなく二段重ねの餅だった。
大きなカシライモ、コヨリで括った二段重ねのナスビにエダマメで果物はナシだった。
半紙に包まれた削りカツオもある。
平成14年まではカツオを削っていたのだが手間がかかるためパックで売っている削りカツオにしたそうだ。
セキハンは大重(重箱)に詰められている。
箸は同じく栗の木だが持つ部分を白い紙で巻いている。
大座のお供えは他にもある。
スグリワラと呼ばれる藁束の中に押し込んだ大きなオニギリのような形のセキハン。
そこへ大きなモチを加えるとスグリワラの中のセキハンは見えなくなってしまった。
これは山の神に供えるというが、年代ものの桶は持っていかない。
それには「新調 東里村大字北 大座中御供桶 明治二十八年十月」の文字が墨書されていた。
また、小さな鋲打ち太鼓や紐で繋がれた鉦があった。
年代を示すものは見つからなかったが相当古いものに違いない。
鉦は鳴る音から「チャウン チャウン」と呼んでいるが両方ともの鳴りもの道具は行事には使われない。
何らかの念仏行事があったものと考えられるが座中の人たちは記憶にないという。
三つの座に共通していた御供には「ヒトシオサバ」がある。
単に「サバ」とも呼ぶヒトシオサバは尻尾のほうに藁を括って本殿に吊り下げる。
三座とも2尾ずつである。
こうして氏神さんに供える御供ができあがったころになれば神事が執り行われた。
(H23.10.10 EOS40D撮影)