今座の人たちの話によれば神主が居る場合は行司と大(お)ずも(相撲)を担う。
いない場合は小(こ)ずも(相撲)となる。
また、警護の弓持ちは大座から一人で今座若しくは千座から一人となる。
相撲の場の蓆両側には「ワキ(脇)」と呼ばれる二人が立つ。
その人たちは紋付の羽織袴姿で登場する。
その選出は弓持ちと同じであって弓持ち、ワキ(脇)ともに2年間勤める。
行司、小ずも、大ずもら5人の演者が揃うと行事を先頭に古墳とされる山ノ神へ参る。
一人はセキハンを中に入れたスグリワラを手にする。
その後に続く人は細かくしたモチ片とセキハンを手にする。
その後ろにもスグリワラを持った人が続く。
式次第を詠みあげる人も後続につく。
山ノ神のお供えを持った人たちだ。
頂上が山ノ神とされる岩。
そこで時計回りにぐるぐると三周する。
そしてモチ片とセキハンをその岩に置かれて一同は拝礼して下っていった。
神主は御幣を手にして階段に立つ。
その前に立ったのが二人の弓持ち。
弓を射る格好で立つが矢は放たない。
真新しい狛犬を挟むように蓆(ムシロ)を敷いた。
その両側に立ったのが脇の殿(千座は脇の当と呼ぶ)。
そうして始まった氏神さんに奉納する相撲。
北村町ではそれを「小ずも」、「大ずも」と呼んでいる。
両ずもの所作には式次第がある。
それに沿って力士が相撲の役目を担う。
最初の是よりすもうの次第とあり、「行司壱人、すもうとり 四人共、土俵へ入り致す 神主、脇の殿(千座は脇の当と呼ぶ) 御前にて、三べん回る 一礼致して楽屋へ引く」所作は行司、小ずも、大ずもが土俵に出てそれをする。
いわゆる土俵入りの儀であろう。
第壱番は「小ずも、手を振り出る 礼を致し 行司共かけ声の次第 手を組み よいよい やーやーと致し楽屋へ引く」とあり、そのように所作をする。
第弐番の次第では小ずもが登場して「太刀をかたげ出る 脇の殿の前にて、腰より抜く手品にて、脇の殿の前に置く 三足後へ引く 神主の右の者かしこまり 左の者まいったと申し肩を壱打つ 相方一礼を致し、手を組み よいよい やーやーと申し 太刀をかたげて楽屋へ引く」とあり、そのように所作をする。
第参番の次第では小ずもが登場して「行司すもうとり 小矢をかみ(神であろう)に差し出る その時、脇の殿 扇を広げ前に置く すもうとり かみにさしたる小矢を 脇の殿 扇に打ち立つ 三足後へ引く 左の者かしこまり まいったと申し 右の者より、背を一つ打ち 一礼を致し 手を組み よいよい やーやーと申し楽屋へ引く」とあり、この次第の通りに小ずもの所作をする。
続いて大ずもの二人が手を振って登場する。
行司のかけ声で手を組んで「よいよい やーやー」の掛け声。
一旦楽屋へ引いて弐番の所作が始まる。
太刀をかたげて出てきた大ずもは腰より抜いて脇の殿の前に置く。
右の者はかしこまり、左の者が負ったと申して肩を打つ。
今度も手を組んで「よいよい やーやー」と申して楽屋へ引く。
なんとも不思議な勝ち負けの動作である。
参番は小矢を耳に挟んで土俵入りする大ずも。
「かみに差し出る」というからに紙ではなく神さんのことであろうか。
扇を蓆に広げて小矢を投げ入れる。
またもや勝負がついて、今度は左の者が畏まり負ったと申して肩を打つ。
そして三度目の「よいよい やーやー」と申して楽屋へ引く大ずもの所作であった。
式次第に書かれていた「これにてすもうの次第 打ち止めといたす」は詠まれなかったが、一連の所作を滞りなく北村町戸隠神社秋の氏神祭りの奉納相撲を終えた。
このように蓆に扇を置いて矢羽根を投げつける所作は奈良市西九条町の倭文(しずり)神社で行われる「角力の矢相撲」と同じような所作と思えた。
また、小ずも、大ずもとも紙片を右耳に挟む所作は奈良市下狭川の九頭神社で行われる「タチハイ(太刀拝)」や同市誓多林町の八柱神社での秋祭宵宮に奉納される相撲と同じようである。
ちなみにそれぞれの座には当屋が決められている。
今座では家の順で決められているものの12月に行われる霜月座でその引き継ぎがあるようだ。
大座帳によればそのときの座の膳はすき焼きに寿司、吸い物がだされる。
そこにはサバの祝い鉢があるらしい。
大座も順は決まっているが家並びでなく不規則だという。
千座といえば2軒しかないことから引き継ぎというよりも毎年交替というわけだ。
なお、座入用帳を判読したが山ノ神に参る件が見られなかった。
また、所作では使われなかった古い鉦と太鼓もそうだ。
これはどういうことなのだろうか。
大座の人の話では昭和四十二年に新調された入用帳とは別にボロボロになったもっと古い文書があるという。
もう少し北村の祭りのことを調べなくてはならない。
(H23.10.10 EOS40D撮影)
いない場合は小(こ)ずも(相撲)となる。
また、警護の弓持ちは大座から一人で今座若しくは千座から一人となる。
相撲の場の蓆両側には「ワキ(脇)」と呼ばれる二人が立つ。
その人たちは紋付の羽織袴姿で登場する。
その選出は弓持ちと同じであって弓持ち、ワキ(脇)ともに2年間勤める。
行司、小ずも、大ずもら5人の演者が揃うと行事を先頭に古墳とされる山ノ神へ参る。
一人はセキハンを中に入れたスグリワラを手にする。
その後に続く人は細かくしたモチ片とセキハンを手にする。
その後ろにもスグリワラを持った人が続く。
式次第を詠みあげる人も後続につく。
山ノ神のお供えを持った人たちだ。
頂上が山ノ神とされる岩。
そこで時計回りにぐるぐると三周する。
そしてモチ片とセキハンをその岩に置かれて一同は拝礼して下っていった。
神主は御幣を手にして階段に立つ。
その前に立ったのが二人の弓持ち。
弓を射る格好で立つが矢は放たない。
真新しい狛犬を挟むように蓆(ムシロ)を敷いた。
その両側に立ったのが脇の殿(千座は脇の当と呼ぶ)。
そうして始まった氏神さんに奉納する相撲。
北村町ではそれを「小ずも」、「大ずも」と呼んでいる。
両ずもの所作には式次第がある。
それに沿って力士が相撲の役目を担う。
最初の是よりすもうの次第とあり、「行司壱人、すもうとり 四人共、土俵へ入り致す 神主、脇の殿(千座は脇の当と呼ぶ) 御前にて、三べん回る 一礼致して楽屋へ引く」所作は行司、小ずも、大ずもが土俵に出てそれをする。
いわゆる土俵入りの儀であろう。
第壱番は「小ずも、手を振り出る 礼を致し 行司共かけ声の次第 手を組み よいよい やーやーと致し楽屋へ引く」とあり、そのように所作をする。
第弐番の次第では小ずもが登場して「太刀をかたげ出る 脇の殿の前にて、腰より抜く手品にて、脇の殿の前に置く 三足後へ引く 神主の右の者かしこまり 左の者まいったと申し肩を壱打つ 相方一礼を致し、手を組み よいよい やーやーと申し 太刀をかたげて楽屋へ引く」とあり、そのように所作をする。
第参番の次第では小ずもが登場して「行司すもうとり 小矢をかみ(神であろう)に差し出る その時、脇の殿 扇を広げ前に置く すもうとり かみにさしたる小矢を 脇の殿 扇に打ち立つ 三足後へ引く 左の者かしこまり まいったと申し 右の者より、背を一つ打ち 一礼を致し 手を組み よいよい やーやーと申し楽屋へ引く」とあり、この次第の通りに小ずもの所作をする。
続いて大ずもの二人が手を振って登場する。
行司のかけ声で手を組んで「よいよい やーやー」の掛け声。
一旦楽屋へ引いて弐番の所作が始まる。
太刀をかたげて出てきた大ずもは腰より抜いて脇の殿の前に置く。
右の者はかしこまり、左の者が負ったと申して肩を打つ。
今度も手を組んで「よいよい やーやー」と申して楽屋へ引く。
なんとも不思議な勝ち負けの動作である。
参番は小矢を耳に挟んで土俵入りする大ずも。
「かみに差し出る」というからに紙ではなく神さんのことであろうか。
扇を蓆に広げて小矢を投げ入れる。
またもや勝負がついて、今度は左の者が畏まり負ったと申して肩を打つ。
そして三度目の「よいよい やーやー」と申して楽屋へ引く大ずもの所作であった。
式次第に書かれていた「これにてすもうの次第 打ち止めといたす」は詠まれなかったが、一連の所作を滞りなく北村町戸隠神社秋の氏神祭りの奉納相撲を終えた。
このように蓆に扇を置いて矢羽根を投げつける所作は奈良市西九条町の倭文(しずり)神社で行われる「角力の矢相撲」と同じような所作と思えた。
また、小ずも、大ずもとも紙片を右耳に挟む所作は奈良市下狭川の九頭神社で行われる「タチハイ(太刀拝)」や同市誓多林町の八柱神社での秋祭宵宮に奉納される相撲と同じようである。
ちなみにそれぞれの座には当屋が決められている。
今座では家の順で決められているものの12月に行われる霜月座でその引き継ぎがあるようだ。
大座帳によればそのときの座の膳はすき焼きに寿司、吸い物がだされる。
そこにはサバの祝い鉢があるらしい。
大座も順は決まっているが家並びでなく不規則だという。
千座といえば2軒しかないことから引き継ぎというよりも毎年交替というわけだ。
なお、座入用帳を判読したが山ノ神に参る件が見られなかった。
また、所作では使われなかった古い鉦と太鼓もそうだ。
これはどういうことなのだろうか。
大座の人の話では昭和四十二年に新調された入用帳とは別にボロボロになったもっと古い文書があるという。
もう少し北村の祭りのことを調べなくてはならない。
(H23.10.10 EOS40D撮影)