memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

海洋の酸化が進む (1)

2009-03-16 00:30:24 | 水産・海洋
人類の活動により二酸化炭素排出量が増えそれが海の酸化をもたらしていることを海洋学者が警告を発している(BBC 3月11日)
プリムス海洋研究所のCAROL TURELY博士は海洋生物がいかように対応するかについては不明だが、多くの海洋生物種が生き残れないのではと危惧している。研究者によれば産業革命以降二酸化炭素の排出により、海洋を30%以上酸化してしまったという。事態を悪化させているのは21世紀の温室効果ガスであるという。同博士は「現在存在する海洋生態系への影響を心配する」と。「われわれはたぶん大量絶滅の方向に向かって進んでいる。海洋でのこのような比率の変化はダイノザウルスの昔から見られなかったものだ」 「このことは食料問題に大きな影響を与える。CO2の排出を抑えなければならない」 TURLEY博士は海洋の酸化についてコペンハーゲンの気候変動会議で発表した。

海洋の酸化
+過去200年間で燃やされた化石燃料のCO2の50%以上が世界の海洋で吸収された。
+このことにより海水のPH値(酸性かアルカリ性かの指標)を0.1下げた。
+ほとんどの液体はPH=0(強酸性)とPH=14(強アルカリ性)の範囲にあり、7が中性とされる。
+海水は弱アルカリ性で中性に近いPH=8.2である。
+IPCCは海洋のPHがこの21世紀には0.14~0.35の範囲で低下、産業革命以前からの低下である0.1に加算されると。

最も激しい影響を受けるのは石灰による殻を形成する貝類である。実験室での結果によれば、二酸化炭素の排出がこのまま続けば21世紀のうちにヒトデ類が消滅するとされる。 またムール貝についても生き残ることは難しいと科学者は見ており、カキはその影響が少なく、養殖物のカキは天然物よりもさらに影響が少ないと見ている。
「ひとつだけ確実なことは、事態が変化するということだ」 「どのように変化するかはわからないが」とTURELY博士は言う。また別の海洋生物学者であるANDY WATSON教授は海洋の酸化よりも以前に気候変動と乱獲が海洋の破滅をもたらすと見ている。同教授は人類の活動によるCO2の増加を非難しつつも海洋の酸性度は自然変動することを指摘した。また同教授はいくつかの生物種については変化に対応しうるのではという。「これまでに行われた多くの実験で、突然の変異が見られたものもある。CO2は急速に上昇しまた酸性度も同様であった」 「実際の海洋で何が起こるかはわからない」とBBCに語った。「生物が変化にどのように対応するかは我々はいまだ解っていない」

ガザ地区の漁業

2009-03-15 09:17:31 | 水産・海洋
イスラエルの攻勢によりガザ地区(パレスチナ自治政府の行政区画)の漁民が漁業区域の制約を受けそれによって漁獲が減少、住民の食料にも多大な影響を与えていると国連の人権部局OCHAが伝えている(IRIN 3月12日ガザ発)
この1月にイスラエル政府はガザ漁民の漁業区域を従来の距岸6海里から3海里までと縮小規定した。また南ガザのRafah地区の漁業は1月18日に終焉した22日戦争の影響で漁具や漁船の被害のためほとんど停止となった。また網、ロープ、トワインや燃料についてもイスラエルのブロックによって2007年以来不足が続いている。船舶エンジンやその部品いついても同様である。

このイスラエルによる漁業区画規制はガザへの武器や弾薬の密輸の防止が目的である。ガザの漁業は2000年以前は距岸12海里であり、それ以降は6海里と規定された。ちなみに1993年のオスロ協定では20海里までとなっていた。
2009年時点でガザの漁業の経済に占める割合は1.5%(農業を含めた値で10%)であるとガザの農業省はいう。2007年12月27日のイスラエルのガザ攻撃以前にあっても地区の漁業は不安な状況にあった。2000年には1万人いた漁民がいまや3500人に減少、その主因は以前には燃料の不足であったが今はさらに大きな問題がのしかかっている。

漁業規制によって先の戦乱以降ガザの人々のタンパク摂取量は明らかに減少、アラブ社会の平均値の50%以下となっていて子供の成長に影響を与える事態という。2008年のガザの漁獲高は3000トンで月平均250トンであるがガザ住民の需要量は2万トンである。この2月にはわずか65トンしか水揚げされなかった。
先の戦乱以降イスラエル海軍当局はガザ漁民に月間10回の出漁しか認めていない、が、必要回数は80回であるという。また大型のボート(船体で450隻のうちの85隻)は3海里以内での操業は禁止である。大きくて健全な魚は3海里いないでは漁獲できない。3海里以上の沖合ではイスラエルとエジプトの漁船が操業し資源を減少している。先の戦乱による漁業の被害はおよそ1千万ドルと見積もられ、農業部門の直接被害額は2.18億ドルと推定されている。このような状況下でガザの漁業当局は第3番目の養殖場を計画している。

さらなる海賊の攻撃

2009-03-14 00:00:48 | 我愛船艇
北朝鮮の貨物船Chong Chon Gang(1977年建造9147総トン)をソマリア海賊が11日攻撃、略奪には失敗したが2名の船員が負傷。位置はケニアの沿岸から400海里沖合で、ここでは警備船の活動は少ない。(MGN 12日)本船は13日ケニアのモンバサに入港予定であり、11,000トンの貨物を積み込みの予定であった。

火曜日には日本の会社が運行するバルクキャリアーがソマリアの東海岸から550海里も離れたい位置で攻撃を受けた。ICCのIMBによれば海賊は本船を追尾し小銃器で攻撃したもので、本船はうまく逃げおおせた。一方西アフリカのラゴス錨地では銃器や刃物、鉄棒などで武装した海賊がケミカルタンカーを襲ったとIMB国際海事局が発表。船長他が重症という。

おりしも日本の国会では海上自衛艦のソマリア沖派遣が決定された。自衛隊法82条に基づく海上警備行動を防衛相が発令した。14日に海上自衛隊の護衛艦2隻を派遣する。
<写真はシンガポールの錨地のCHONG CHON GANG号、2007年>

貿易風 TRADE WIND

2009-03-13 00:10:18 | 避風塘 (雑想雑事滞留地)

英語ではtrade windと表記される自分には快い単語。同名のホテルが豪州などにあるし、陸にいて海や歴史を同時に感じることの出来る単語のひとつ。これまでは「かつて帆船が交易の際に利用した定常風」と理解していたが、念のため調べてみると次のように出ていた。(WIKIPEDIA)

"trade wind"の名は、貿易のために帆船がこの風を利用して海を渡ったことに由来することも確かではあるが・・・Their name originally derives from the late Middle English word 'trade' (borrowed from Middle Low German, and cognate with English 'tread'), meaning "path" or "track," and thence the obsolete nautical phrase "the wind blows trade," that is to say, on a consistent track. ただし、もともとは「決まったコースを吹く風」という意味であった。中世後半の英語(中英語)においてtradeは、現在の英語で言うpathやtrack、つまり経路や通り道を意味しており、貿易とは無関係の用語であった。この頃航海者の間では"the wind blows trade"(風は決まった経路を吹く)という言葉が使われていた。

決まったコースを吹く風のことをTRADEと呼んだものが、18世紀になって、大西洋を横断していたイングランドの商船団の間でこの言葉が重要視されるようになり、やがてtradeは(foreign) commerce((外国との)商業的な取引、貿易)と同じ意味を持つようになった。・・・という。いまやTRADEという単語は日常的に用いられるが、その由来が「風」であったとは。調べてよかった単語のひとつである。

消える魚屋さん

2009-03-12 00:00:14 | 避風塘 (雑想雑事滞留地)
魚屋さんが消えてゆく。今に始まったことではないが、わが町にもこの現象が起きている。商店街に5軒あった店が今や3軒で、そのうちまともに魚を扱う店はたった一軒のみとなった。扱う魚の種類も減少し、季節を問わず同じ魚種が並ぶ。季節は消えたのだ。

魚好きとしては困ったことになる。もちろんスーパーに行けば魚はある。しかし望む形態とは異なりほとんどが処理済の魚で頭や内臓は抜かれている。丸ごと並ぶ魚は秋刀魚やイワシ、アジくらいのもの。切り身や半身が当たり前になってしまった。内臓や頭があって利用の価値ある魚も多々あるのだが。要は手間がかからない便利さ、内臓の処理も不要、などという利便主義と効率主義が勝利し、魚は自分でさばいて当たり前というオールドファッション派が負けたことになる。もう魚屋は過去の商売になってしまったのか?そこでよその知らない街に出かけたとき魚屋を見つけるとつい店頭を覗きたくなる。

新聞記事から===経済産業省の二〇〇七年商業統計によると、全国の鮮魚小売店数は一万九千七百九店と、この二十年で半減し、調査開始以来、初めて二万店を割った。 コンビニが増え続ける一方で、総合スーパーも、〇四年の前回調査時よりはわずかだが減っている。だが、消費者の八割近くが、魚介類をスーパーで買っている。 国民一人一年当たりの生鮮魚介類購入量は、この四十年で三割減った。鮮魚は文字通り、新鮮さが売り物だが、効率重視の量販店では、パック詰めの解凍ものや、日持ちする塩漬け、干物が多くなる。同じような品ぞろえになりがちで、おろしたての近海魚が買えなくなるから、魚離れに拍車がかかり、魚屋さんの廃業も加速する-という悪循環も起きている。(東京新聞2008/9/01より)


中国船が米国調査船にいやがらせ

2009-03-11 10:14:05 | 水産・海洋
南シナ海で5隻の中国船が非武装の米国海軍調査船にまとわりつき危険な運航をしたと米国が発表した(BBC 10日)この事件は日曜日に発生、この行為は海上での他船を尊重する国際法にもとる行為とペンタゴンの報道官は発表。北京政府は沈黙を保っているが米国はペンタゴンに中国の駐在武官を呼び抗議した。

この事件はUSNSのIMPECCABLEが海南島の75海里沖の公海で通常の活動中に発生。中国船は調査船にまとわりつき攻撃的な行動をしたという。同調査船は米国海軍の潜水艦などに対する海中の脅威を探査することが目的の船である。米国調査船は中国船の一隻に対しホースによる放水を行ったと。しかし中国側は8メートルの至近距離まで接近したという。また、安全通航のために無線で呼びかけた米国船に対して中国船2隻が行く手を阻むように木片を投下したため米国船は緊急停止を余儀なくされたという。ペンタゴンはこの事件以外にも先週3件の事件が発生したと発表。こうした行動の背景はオバマ政権に対するテストではないかとの見方も出ている。
ロイター通信によればこれら中国船舶は中国海軍の情報収集に当たる船舶で漁業監視船、海洋監視船や中国国旗を掲げた小型トロール船などであることを米国側が識別している。

ややあってから、米国の発表に対し中国側も反論を始めたが、その論旨は米国船の活動が中国の経済水域の中で行われ、国際法と中国法を犯しているというもの。自分の庭先をうろうろされて気分よく思う者はいないであろう。

韓国貨物船、大島沖で衝突後沈没

2009-03-10 19:35:12 | 我愛船艇
パナマ船籍の自動車運搬船CYGNUS ACE、10,833総トンと衝突した韓国船ORCHID PIAが沈没。韓国人船員を含め16人の乗組員と船体は依然発見されていない。ORCHID PIA は鋼コイル5050トンを積んで日本の鹿島港から韓国のYEOSU港に向かっていたもの。写真は相手船CYGNUS ACEで船首の水線部分損傷が見える。
Photo taken on March 10, 2009 shows the Panamanian-registered freighter which collided with a South Korean-flagged cargo ship. The two ships collided in waters some 120 km southwest of Tokyo on Tuesday.(Xinhua/Kyodo)

プーケット島沖で船が転覆

2009-03-10 00:00:46 | 我愛船艇
タイ海軍に9日入った連絡によると、タイ南部のリゾート地、プーケット島沖で、日本人ダイバー4人を含む30人が乗った船が転覆した。海軍などが23人を救助したが、奈良県橿原市の弓場啓次さん(44)を含む7人が行方不明になっている。船は約100キロ離れたダイビングスポット、シミラン諸島からプーケットへ戻る途中、強風と荒波で転覆したらしい。(毎日新聞 3月9日)
またTIMES ON LINEによると船の名前はChoke Somboon 19号で長さは18メートル。シミラン島を日曜日8日の午後9時に出港しプーケットの Patong ビーチに向かっていたもの。行方不明者の捜索は海軍のヘリも加わり行われている。

クルーズ客船が標的に

2009-03-09 14:09:03 | 我愛船艇
千人以上の英国人船客を乗せたクルーズ船がソマリアの沿岸で海賊と思われる相手から標的にされた(SKY NEWS 3月5日)
本船BALMORALは今年すでに3件の事故に巻き込まれている。43,000総トンに乗船した旅行客は下層デッキに身をおき攻撃から逃れるための本船のジグザグ運動に耐えた。警告が発せられたのは218メートル長さの本船を20ノットの速力で追尾する2隻のボートの出現であった。
船長は事前に決められたとおりの安全区画への待避を乗客に要請するとともにEUの海賊対応機動部隊に連絡。又同時に緊急火炎信号を英国海軍と米国艦艇に送った。幸いにも人的被害はまったく無くすでにオマーンのSALALAH港に入港した。船客のほとんどが高齢者であったが指示に従い行動。今回の航海は104日間でアフリカ、シンガポール,日本、カナダ、米国と巡航し5月29日にドーバー港に帰港する予定であった。

英国海峡最大のフェリー

2009-03-07 09:06:05 | 我愛船艇
英国のP&O社発注による2隻の巨大フェリーのうちの一隻の建造が3月3日、フィンランドのRAUMAにあるSTXで始まった。このRORO旅客フェリーは貨物と車両を同時搭載する船で2010年および2011年に引渡しの予定でドーバーとフランスのカレー港の間で運航される。かんせいすれば英国海峡で最大のフェリーとなる。総トン数は49,000トンで全長はおよそ200メートル。車両スペースの総長さは2,700エートルである。180台の貨物トレーラーと195台の観光バスを搭載可能。また乗客搭載数は1750名。また本船はIMOによる“SAFE RETURN TO PORT”規則による最初の一隻でもある。この規則の要求するところは、事故発生の際の乗客に対する安全措置であり消火、動力供給、推進、操舵、航海など広範な船舶システムの高度な基準を要求したもので2010年7月以降に完成する船舶に適用される。(3月4日MR&EN)

BLOG

2009-03-05 23:58:53 | 避風塘 (雑想雑事滞留地)
ひょんなきっかけではじめたブログが今や3年を経過した。当初のブログは累積PV数では42、500を数えたがプロバイダーの都合で1月末に完全閉鎖。どうしようかと迷ったが結局現在のGOOに乗り換えて続けてしまった。いつやめてもかまわない内容のものだが、なんとなく惜しくもありという気持がした。日記と言うよりは生存証明のようなもので、掲載していないと知友先輩からどうしたか元気かとお声がかかる。

タイトルは「memories on the sea海の記録」だから中身はそれらしいものと努力するのだがこのところは船舶、特にソマリア海賊に偏してしまった。案の定こればかりではつまらないヨという声もいただいた。カテゴリーもかつてのように広げたいが広げても中身がなければ困る。そこで当分は食べ物の方向に傾斜してみようかと思うのです。

巷では「ブログ炎上」が話題になり、隣国ではITからみの他人攻撃があると言う。人間は手段を持つと何かやらかす。面と向かって出来なくても顔が見えないと攻撃するらしい。自分のブログは人様に無益であってもせいぜい品質向上に努めようと思うのです。

籾 殻

2009-03-05 00:16:10 | 避風塘 (雑想雑事滞留地)

モミガラについて少し勉強した。籾の役目は玄米の保護のための外套である。1千万トンの米を収穫するとその20%の200万トンがモミガラであるという。(別の説では8%と聞く)もちろんこれは食べられない。古来燻炭(くんたん)として有効利用され、土壌改良剤として役立つという。しかしその量は膨大である。処理に困るのが実情のようである。籾殻は硬い、その理由は成分の20%相当がシリカSiO2であるからとはじめて知った。

籾殻の見かけの比重は0.1, 一立米の籾殻の重量は100キログラムにすぎない。つまりこれを運ぶとなると空気を運んでいるようなものだ。籾殻を粉砕し圧縮し押し出すと籾殻の棒が出来る。こちらの見かけ比重は1.2であり12倍まで圧縮される。よって減容がなされるから輸送には便利な天然素材由来の燃料棒が出来る。その発熱量はおよそ4,000kcalで木材と変わらない。カーボンニュートラルであり、省エネになるのだから、ではどんどんつくれば良いということになるのだが、製造コストの問題もあることがわかった。

オランダ船の火災

2009-03-04 08:44:17 | 我愛船艇

オランダの貨物船ZILLERTAL(5,602総トン)は貨物を積載しロッテルダムからロシアのセントペテルスブルグに向かっていたが、25日現地時間00:50に機関室から出火、漂流を始めた。現場は氷海で位置は北緯60.02度、東経28.46度のフィンランド湾SESKER島の10番ブイ近く。機関室は閉鎖されCO2を充満処理。現場ではロシアの砕氷船KAPITAN SOROKINが監視中。しかし、ZILLERTALからは救助要請は無いという。船齢は40年を超えているようだが、改造を重ねたのだろうか外観は見劣りしない。

木造建築

2009-03-03 00:04:40 | 避風塘 (雑想雑事滞留地)
美術館の帰りに谷中を歩き見つけた建物。なかなか立派な造作であり足を止め敷地の中に入り立て札の解説を読む。下町風俗資料館付属展示場「旧吉田屋酒店」とわかった。江戸期以来の老舗、谷中茶屋町で昭和61年まで営業していたものを翌年移築したものだという。
軒下に桁を張り出した「出桁造り」というそうだが一階の店の顔のあたる部分鴨居の重厚さはすばらしい。保存状態も良い明治43年(1910年)建築。古い木造建築は東京のあちこちにあるが、概して酒屋、米屋などの建物は立派なものが残存していることに気がつく。やはり日本の食の根幹は米であり、それに関連する酒もそれから派生した基幹商品であったということか。かつては米という食を握るものが富者であった。
昭和の30年代にはたくさんあった木造建築がモルタル防火壁に変わり、続いてビルが・・・という具合に変化してゆくのを自分も眺めてきた。近代化をビルが建ち、高速道路網が拡張されることと思っていたかもしれない。当時、野暮ったく、非近代的に思えた木造に愛着がわくのは齢のせいか。

ソマリア難民がイエメンの沖で

2009-03-02 10:00:30 | 水産・海洋
45人のソマリア人がボートの沈没で死亡したとイエメン内務省は発表した(SANAA発AP、2月28日)
乗組員の3人は逮捕されたといい、このボートはイエメンに向かっていて同沿岸から110KMの位置で沈没。数百人を超えるアフリカ人が毎年イエメンに渡ろうとする途中に沈没や海賊の襲撃で命を落としている。国連の難民部局は2008年の一年間だけで43,500人以上の不法移民がイエメンに到着、そのほとんどがソマリアからであるという。

>>> 不法移民(難民)の海難事故は継続して起こっている。昨年10月には100人を超えるソマリア人がイエメンの海岸を目前にして海に飛び込むことを密航業者に要求され、サメの泳ぐ海溺死したという。