私は中老男である。
中老男というのは、私自身の造語に近いと思うのだが・・・。
「初老」と「中老」と「完全な老人」の境目はどこか?
私の感覚では「55歳~60歳まで」が初老。
「60~65歳」が中老。
「65歳~」が老人、という感覚だ。
「それは違う!」とご立腹の諸兄もいらっしゃるだろう。
私のブログのタイトルなど大した問題ではないのだが・・・。
世にある様々なことの「ボーダー(境界)」が「世論」を形成していることに少々驚いている。
まず、問いたい。
「不倫」とは「どの行為から」を言うのか?
結婚している人間が、異性と・・・。
「食事に行く(二人きりで)」 「一緒にお酒を飲む(もちろん二人きりで)」
「手をつなぐ」 「同じ部屋で二人きりになる」 「同じ部屋で寝る(性行為は無し)」
「愛情を伴った性行為を行う」 「愛情を伴わない性行為を行う」
さて、皆さんはどれを「不倫」と考え、どれを「不倫でない」と考えるだろう?
一般的にはどうなんだろう?
「手をつなぐ」あたりからは、そう呼ばれたりするのだろうなぁ。それは「愛情」があること(少なくと嫌な相手ではない)が前提だろうし。
しかし、対して愛情を抱いてなくても「異性と手をつなぎたい」と考える人も多いのではないだろうか。
芸能人同士が「一緒の部屋にいた『友人』」とか、同じホテルに行ったが「部屋は別」とか、「一晩一緒だったけど『行為』はしていない」とかいう。
「精神的な『愛』」を前提にするならば、そこに「愛」が伴わなければ「すべて『不倫ではない』」という論理も成り立たなくはない。
これこそが「パーソナルボーダー」(個人的境界線・造語です)であり、たぶんかなり個人個人で異なっていると思う。
昨日まで行われてた「世界卓球」の解説に福原愛氏が3人目の解説として出演していたのだが、
批判のコメントが続出。
たまに「それなら水谷は?」(解説で出演)というコメントも。(彼も不倫疑惑があったらしい)
芸能界でも、この頃ちょこちょこと表に出てきた「東出昌大」などは「禊(みそぎ)」はすんだのか?
じゃあ「渡部建」は、まだダメなんだ・・・。
以前県知事を務めた「米山隆一」というひとが選挙で、同じく県知事だった「泉田裕彦」と1議席を争い、結構大差で勝った。
当選が決まった時に彼に対するバッシングが凄かった。(その時点で結婚していた、相手は「室井佑月」)
米山氏が以前に女子大生と金を渡して「関係を持った」とのことが知事を辞任する原因になったのだが・・・。
これは「不倫」ではないが「不道徳」と認識されたのだろう。
この場合も「お金」を渡さなければ「恋愛」になるのか?
お金でなく「物品」であったらどうか?
中老男である私は、そうした「感覚」で言えば、昭和に青春時代を過ごした世代であるから、
「妾」とか「二号さん」を持つことが「男の甲斐性」とされ、ある意味「羨望の対象」であった。
芸能人などは、そうした行為を「芸の肥やし」などと言って「推奨していた」感さえあった。
「不倫は文化」と発言したのは、石田純一だったろうか・・・。
その時も、ひどくバッシングを受けていた印象がある。
世に出ている文化(本や映画・芸術)には、確かに「不倫」を扱った名作が多々存在する。
そして、不倫などの場合は基本的に「他人がとやかく言う権利」はないのではないだろうか?
それは「当人同士」の問題だ。
「芸能人や政治家は違う!」という意見ももちろんあるが。
私的には自身に「性欲」があり、女性とそうした関係になりたいという欲求は「否定」できない。
ゆえに、そうした「不倫」「愛憎トラブル」に関しては「かなり寛容」だ。
芸能人や政治家のそうしたことに、激しく憤りコメントするような人は、そんなに「潔癖」なのだろうか?
それとも、某隣国のドラマのように「他人がすれば『不倫』で、自分がすれば『ロマンス』」ってことなのか・・・。
感情的になってその本人の「成績」や「偉業」までも蔑ろに考え批判するのは違和感を強く持っている中老男である。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の「境界線」がどこらへんなのか考えますように。
May
こうしたUpをしておきながらなのだが。。。私は家人に「不倫(浮気)は絶対しない」と告げている。もし、そうした関係に至るならそれは「浮気」でなく「本気」である。女房・子供に罵倒されて軽蔑されてもいいと思う場合でなければ、ことに至るつもりはない。
つまり行為に至る前に「離婚」することが前提である。だから「不倫」をすることはない。(相手が結婚していたらってのは「自分から見て」ってことでお許しください)
中老男になってそんな面倒をしょい込むのは、めんどくさ過ぎる。