完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

自分勝手な「解釈」で申し訳ない・・・。     ~映画「ガッチャマン」に思うこと~

2013年09月03日 | Weblog
私は初老男である。


今年は猛暑であった。

それは間違いない。


しかし、去年のそれとは違う。


こうした天候・陽気は稲作農家泣かせだ。


今年のコメの出来はどうだろうか・・・。


もうすぐ稲刈り。

不安と期待が入り混じる今日この頃だ。



さて、映画の「ガッチャマン」が酷評されている。


観てもいない初老男が、言うのもなんであるが・・・・。


     
         「そりゃそうだろう」



このブログの数少ない読者の貴兄は、おぼえていらっしゃるかもしれない。


「アニメはアニメでしかできないこと」をやらなければ造る意味がない。と私が言い続けていることを。


いま、宮崎駿氏の長編アニメ引退が話題に上っているが、彼こそが私の言っていることを実行し続けたひとだ。(だからと言って、この人のアニメが好きかと言うとそれほどではないけど)


つまりは、ある程度「そんなわきゃねえだろう!」って描写を程よく入れる感性を持っていないとアニメでは成功しない。

アニメは詰まる所「ファンタジー」なのだから。



だから、逆に「アニメ」を「実写」にすることの意味が分からない。


こうしたことでヒットした映画があっただろうか?

少なくとも私は覚えがない。


あっと、あったあった!


「仮面の忍者『赤影』」(って初老男より年上くらいの人でなければわからないジャン)


初老男が小学生くらいの時だから、あまりに時代が変わりすぎて今と比べようがない。

だから、却下。


思い浮かぶママに挙げると・・・・「あしたのジョー」「新造人間キャシャーン」「ヤッターマン」「宇宙戦艦ヤマト」「ドラゴン・ボール」などなど。


どれもヒットしたとは言えなくないかぇ。


ヒットしない理由。


その一・・・・アニメのキャラを役者に当てはめると、どうしても「人間臭く」なってしまう。あたりまえだ。人間なんだもの。そこに演じた人間の「個性」が現れてキャラクターのイメージと「ダブルイメージ」になってしまう。それによって本来のキャラの魅力がぼやけてしまう。


その二・・・・実写でアニメと同じ「そんなわきゃねえだろ」って描写が「そんなわきゃ絶対ない!」になってしまい、非現実性が強まってしまう。


その三・・・・その二でいった「そんなわきゃねいだろ」って描写をしないのなら、原作の良さをほとんど出せていないってことになる。



ガッチャマンの面白さは、まさにその「非現実性」「そんなわきゃねえだろ」って部分にある。


そういう意味では先に挙げた「あしたのジョー」「新造人間キャシャーン」「ヤッターマン」「宇宙戦艦ヤマト」「ドラゴン・ボール」のすべては、それに当てはまる。


作っている時に、だれかそのことに気付かないのかなぁ・・・。



蛇足です。


「キャプテン・ハーロック」って映画はフルCGらしいね。


これも意味が分からない。


逆にこれこそ実写にすれば、違う意味での「魅力」が出るかもしれないのに。

CGにしてしまえば、アニメのようなキャラクターの魅力が半減する上に、実写のような人間の表情の「迫力」がなくなってしまう。

CGでつくるなら「CGでしかできないこと」をやらなければ意味がないのである。(・・・それはどんなことなのかなぁ・・・)


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんが、初老男の「勝手な解釈」を許してくれますように。



       May


そう思うと「ドラえもん」って、私の思っているヒットするアニメの要件を完全に満たしているなぁ。

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また始めやがった・・・。     ~世における「信頼性」とは~

2013年09月03日 | 時事ネタ
私は初老男である。


本当の自分を取り戻すには時間がかかる。


いつものことであるが、ブログをUpするネタがなかったわけではない。


むしろ逆である。

Upしたいことは、いつもの山のようにある。


それをUpする気力と時間がないだけだ。


特に「気力」が、この夏の間は特に萎えていた。


・・・こんな個人的なことを、読者の貴兄に知らせることに意味はないなぁ。

見苦しい言い訳を止めて本題に入ろう。



さて「また始めやがった」ね。


何のことかと言えば、まず



       「アメリカ、シリアに武力行使を検討」


である。



「シリア政府が化学兵器を使ったと結論づけた報告書を公表」


単純に考えればその内容によっては、日本政府のように「支持」しても良いのだろう。


しかし、どこかでこの図式を見た覚えはないだろうか。


10年前である。


2003年3月20日にアメリカは、「イラクが大量破壊兵器を所有している確証がある。」といって戦争を始めた。


数ヶ月後、ラムズフェルド国防長官が「あれはウソだった」と言う。


しかし、どこにも「謝罪」も「賠償」もしていない。(未確認です。していたっけ?)


ひどいのは、後に「大量破壊兵器の証拠はウソだった」ことが明らかになった後も「あの時、アメリカを支持したのは正しかったと今でも思っている」と時の総理小泉純一郎は言い続けたことだ。


いろんな事情があるにしても、いやしくも一国の首相たるものの言い分ではあるまい。


今回もまたぞろ安倍総理が、いちはやく「支持」を表明。


問題は報告書の「信頼性」である。


現にアメリカの言う「証拠」と言うものが、正しいとしても・・・・。


その信憑性に「?」と思うのは私だけであるまい。


他国に攻撃を仕掛ける「証拠」をたとえ一度であっても「捏造」するような国を信用しろと言われてもそれは無理だ。


さらに、それを支持した国の首相も。



さて、同じような図式を他にも多々見つけるのである。



     「原発再稼働」の東電


     「TPP交渉」の外務省


     「皇室報道」の宮内庁


そして


      「日本国行政」の内閣(与党自民党)



人間も50年以上も生きてくると、様々な経験から「信頼」を置くラインというものが高くなってくる。


それは単純に「きびしく」なっていくのでは無い。


その守るべき「約束」の高さによっての「信頼度」がハッキリ分かってくるから、自然と高くなる。


逆に言えばだいたいのことには「寛容」だ。


そうした意味において、このUpに記す場合は「寛容」に慣れない場合のことしか載せていない。


確かに、ことにおいて大事なことを決めるときは、秘匿にしておく方が何事もやりやすい。


そして「こう決まっちゃったから、よろしく」って言ってことを進めることが常套手段とも言える。


現実に、不特定多数の意見を全部聞くことも、全員を納得させることもできるわけは無いから、どこかで「政治的決断」をするしかない。


しかし、それはそのことを盾にとって「開き直る」ことでは無いはずだ。


東電の「原発再稼働」も、エネルギーのことを考えれば単純に反対する気は無い。


だが、3・11を見てしまえば、そして、ずっといい加減にしてきた「核廃棄物の処理」問題をハッキリさせない限り「信頼を取り戻した」とは、言えないはずだ。


そんなものを信じられるほど、初老男は「オプチュミスト(楽天家)」ではない。


逆に言えば「原発再稼働賛成」の人たちは、そのところをどう考えているのか、私は不思議でならない。


政治家の話を始めたら、それこそはじめから「お話」にならない。


55年体制の終わる前の自民党が「大嘘つき」だったことを忘れて、衆院選・参院選に自民党を勝たしてしまった国民も信頼できない。


まあ、民主党がもっと信頼できなくなっちゃったのが一番なんだけどね。


選挙権を得てから30余年。本当に信頼して投票できたことなんて無いような気がする・・・。


ほんの少しの「期待」で投票したことはあるけれど。


どいつもこいつも「また始めやがって・・・・」



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんは「また始めや」がりませんように。


          May


だいたい、アメリカが「日本が化学兵器を使用しようとしている」って言い出して武力行使しようとしたら、それを覆せる材料があるかい?いつも言うように「有ることの証明」は容易だが「無いことの証明」は、ほとんど無理なのに。

今のシリアがそうだとは言わないけど「可能性」はそんなに低くないと思うよ。




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