完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「歌手」の不思議   ~心に響く歌を~

2009年01月21日 | Weblog
私は中年である。

実は今日は私の誕生日である。

丑年生まれの年男。4度目である。

先日知ったのだが、あの「高田純次」も今日1月21日の生まれだ。

その高田純次が言っていたのだが、元アメリカ大統領(昨日まで「前」だったのにね)も同じ1月21日生まれだと言う。って今調べたら8月19日じゃないか!

やっぱり、高田純次の言うことだなぁ・・・。


さて、今日の勤めの帰りにラジオを聴いていたら、森山良子の「さとうきび畑」が流れていた。

この歌の完全版は10分ちょっとかかる大作で、その長さからフルコーラスを流す番組はかなりめずらしい。


「ざわわ ざわわ ざわわ」とサトウキビがざわめいている擬音を延々と繰り返すこの歌は、様々な言葉を重ねて戦争の悲惨さを語ることより充分すぎるほど心にしみる。

この歌を最初に聞いたのは某国営放送の「みんなのうた」でだ。

歌手はちあきなおみ。

あの番組は5分程度だから、極端な短縮版であったのだが少年の私の心にとても強く印象付けられた。

少年の時期を脱し社会人となった私は「戦争」と言うものに強く興味を抱くようになった。

それなりに関連の本を読んでみたり、DVDを買って見たりして「知識」は得た気がする。

しかし、本当の悲惨さを感じさせてくれたのはこの延々と擬音を繰り返す「さとうきび畑」という歌だった。


いまこの歌を持ち歌にしている歌手は歌唱力のあるクラシック系ないし国民歌系の人が多いように思う。

森山良子、上条恒彦、寺島夕紗子、雨宮麻世、鮫島有美子、堀江美都子、郡愛子、錦織健、新垣勉、岡村喬生、ちあきなおみ、宮沢和史、夏川りみ、松浦亜弥等々


延々と「さとうきび畑」の話をしてきたが、今日の本題はこの曲のことではない。

歌と歌手の相性のことが言いたいのである。

この曲ではその曲の魅力をしっかりと伝えている森山良子であるが、自分の作曲した「涙そうそう」を彼女自身が歌うと、それほど迫ってくる感じがしないのは私だけだろうか・・・。

ラジオから「さとうきび畑」が流れた次の日だったかに、テレビ番組で「名曲物語」らしきものをやっていて「涙そうそう」の話が出てきた。

いまやこの曲が彼女の亡き兄との関係をモチーフに作られたことは、つとに有名だ。

当然、私はこの歌を「夏川りみ」が歌うと思っていたら彼女自身が歌いだしたのだ。

たしかにCDの「さとうきび畑」のカップリング曲はこの「涙そうそう」だから、おかしくはないのだろうけれど・・・。

「さとうきび畑」では、いかに伸びやかな声量と通る歌声を誇る歌手であろうと、独特の「情念」を持った森山良子に敵わない。

しかし、不思議なことに「涙そうそう」は詞を作った彼女自身の「情念」が曲の明るさとフィットしていないように感じるのである。

曲を沖縄出身のBEGINが作ったせいだろうか?

この歌には透き通りどこまでも伸びやかな、そして根底に「南国の明るさ」を持った夏川りみの歌が一番だ。

人間の運命とは本当に不思議なもので、演歌歌手「星美里」がもう少しCDを売り上げていたらいまや国民歌ともいえる「涙そうそう」は生まれなかっただろう。


そして、全く逆に夏川りみが歌う「さとうきび畑」は、あまりに透明すぎて心に響いてこない。

歌手が歌に巡り会うということにも、やはりなにか「運命的」なものが必要なのだろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「歌のすばらしさ」を感じれますように。
                          
                          may

・・・と言いながらも「さとうきび畑」については、ちあきなおみの歌が一番って気もしてるんだよねぇ・・・。





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