完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

やっぱり「名作」だ。    ~「カーネーション」アンコール放送~

2014年09月02日 | テレビ
私は初老男である。


ずっと、Upしようと思いながらやらなかったことを今後悔している。



某国営放送の伝統番組「朝の連続テレビ小説」の話。



そう


        「カーネーション」


                  のことである。



だいぶ前に、このドラマの最終盤のことをUpした。(2012年3月13日「賛否両論?!」参照)



そう、今日から始まった夏木マリの「小原糸子」の最晩年の事である。



初老男を名乗って、つくずく感じるようになった。


この「朝の連続テレビ小説」を言うのは、私のような年頃にならないとわからない部分が多々ある代物だということ。



時代が変わっても人の世の「時の流れ」に対する畏怖、と言うようなものに変わりがないからだろう。


特に今回の「カーネーション」においてはそのことを強く感じた。



今ここに至って一度もこのドラマを見たことのない人には、絶対わからないことばかりを連ねることになるがご容赦いただきたい。



このドラマの一番の特徴は、主たる場面が「一貫して主人公の家」であること。


岸和田にある「小原呉服店」が大正から平成まで時を経て「オハラ洋装店」に変わっていく。


時を経てドラマの展開が少しずつ変わる度に、まるで「まちがいさがし」をしているような気がしてくる。



私も同じような人生を過ごしてきた。


実際には11歳の時に現在の家になってからだが、そこから53歳の現在まで積み重ねられた「まちがいさがし」のような少しずつの変化を、フラッシュバックさせたのはこのドラマを見たせいかもしれない。



ドラマの中のヒロイン糸子がふとつぶやくセリフが、またとても感慨深い。


母親の両親(宝田明と十朱幸代)の「老い」をみて「いつのまにか、守ってもらう側から守ってあげる存在になったんや・・・」


長女が美術学校を受験するのを「ホンマに行きたかったら、うちの言うことなんか聞かんでええねん!」


尾野「糸子」の最後のシーン「ヘタレはヘタレで泣いとれ。ウチは『宝』抱えて生きていくよって・・・」


若い人には分からないだろう。


年を経て様々なものを得て、そして失ってみないとこうしたセリフの意味は感じ取れない。



キャストもいい。


祖母「ハル」役正司照枝は本当にハマっている。もはや演技をしているのでは無いように見える。


糸子の母親「千代」役の麻生祐未。この人は完全にこのドラマで女優として完成したと思う。


ところどころに出てくる「食べ物(特にケーキなどの菓子類)」への演出も、長いドラマの中でうまく伏線にしている。


「笑っていいとも!」が終わったときに「タモリロス」になる人がいたらしき話があるが、私は間違いなく「カーネーションロス」を体験しつつある。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ロスになるようなテレビドラマに出会いますように。



             May


最初に記したように夏木マリになった今日から最終回までは「別のドラマ」と思った方がいい。
コメント
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