私は初老男である。
「嘘」だと思われてもいいのだけれど。
私は「テニス小僧」だった。
自分が19歳の時に、あるスエーデンのテニス選手が偉業を達成した。
伝説のチャンピオン「ビヨン・ボルグのウィンブルドン5連覇」である。
「ウィンブルドン史上最高の戦い」と称される「ジョン・マッケンローとの決勝戦」である。
タイブレークのないファイナルセットを制したボルグが、芝生のコートにひざまずくシーンはいまだにまぶたに焼き付いている。
その当時のテニスと言うスポーツには「上流家庭」の子女たちのスポーツと言うイメージが、少なからず残っていた。
しかし、その感覚を完全に打ち砕いたのが・・・・そのボルグが6連覇を阻まれた次の年のウィンブルドンだった。
相手は同じ「ジョン・マッケンロー」
カーリーヘアーに、仏頂面。サウスポーで、極端なクローズドスタンスからの切れていくサーブと、あっという間のネットダッシュ。
すべてのテニスプレーヤーが「オールラウンド」に向かっている現在には、絶対に存在しないタイプの存在だ。
その彼が、ボルグの6連覇を阻み初優勝を勝ち取った。(これは衝撃的だったなぁ)
更にテニスにおける「一大改革」が起こった。
「デカラケ」そう、ビックフェイスラケットの登場だ。ナブラチロワが使っていた「ヨネックスR7」をなけなしのこづかいで買ったっけ。
夢中になった。
最長記録は16日間ぶっ続けでコートに通って練習をした。
5年ほど、そんな夢中の時を過ごして私は別のラケット競技に転向するのだが、それからずっとテニス中継は見続けてきた。
錦織のコーチのマイケル・チャンなどは「ジュニア」の時代から知っている。
嘘ではない。
日本で行われたジュニアの国別対抗戦で、彼が14歳でシングルスに出ているのを記憶している。
チームメイトは、のちの世界ランキング1位のジム・クーリエだった。
チャンがフレンチ・オープンで優勝したときに紙のメモを見ながら、優勝コメントをしたのを覚えている。
・・・・こんな話をエンエンと続けると、終わりがない。
先を急ごう。
私が忘れられないウィンブルドンがある。
「ケビン・カレン」という選手の話。
ウィンブルドン1985年、4回戦でステファン・エドベリ、準々決勝では第1シードのジョン・マッケンロー、そして準決勝ではベテランのジミー・コナーズを破って自身2度目の4大大会決勝進出を果たした。
まさに「快進撃」だった。
しかし、・・・・・・。
決勝で当たったのが「ボリス・ベッカー」西ドイツの超新星。
それまでの快進撃をおもえば、当然カレンが優勝するべき大会だった。
現実は残酷だ。
快進撃を続け、本人人生最高のプレーができた大会に「それ以上の好調さ」をもった選手の引き立て役に回らされてしまう。
今回の錦織選手が、ケビン・カレンだと言っているのではない。
むしろ逆だと思っている。
長身選手のビックサーバーは「大成」しない。
「波」が大きすぎるのだ。
ただ、こうした選手の「爆発力」は大波となって呑み込んでしまうことがおおい。
チリッチは、そうした選手だ。(デルポトロもかなり近いイメージ)
錦織の安定感が増していけば、必ず「次」が来る。
・・・・しかし、かれが「ケビン・カレン」にならないとも言えない。
ただ、思う。
私が生きているうちに「グランドスラムの決勝」の進む選手が現れたのだ。
それだけで、少しでもテニスを齧った者として「至福」を味わうことができた。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、初老になったときに味わえる「至福」が存在しますように。
May
連日のUSオープン中継のレポートしてたテレビ朝日の横地明子レポーターが、雉子牟田明子(往年の女子テニスプレーヤー)だと思ってた。(どうやら別人らしい)
「嘘」だと思われてもいいのだけれど。
私は「テニス小僧」だった。
自分が19歳の時に、あるスエーデンのテニス選手が偉業を達成した。
伝説のチャンピオン「ビヨン・ボルグのウィンブルドン5連覇」である。
「ウィンブルドン史上最高の戦い」と称される「ジョン・マッケンローとの決勝戦」である。
タイブレークのないファイナルセットを制したボルグが、芝生のコートにひざまずくシーンはいまだにまぶたに焼き付いている。
その当時のテニスと言うスポーツには「上流家庭」の子女たちのスポーツと言うイメージが、少なからず残っていた。
しかし、その感覚を完全に打ち砕いたのが・・・・そのボルグが6連覇を阻まれた次の年のウィンブルドンだった。
相手は同じ「ジョン・マッケンロー」
カーリーヘアーに、仏頂面。サウスポーで、極端なクローズドスタンスからの切れていくサーブと、あっという間のネットダッシュ。
すべてのテニスプレーヤーが「オールラウンド」に向かっている現在には、絶対に存在しないタイプの存在だ。
その彼が、ボルグの6連覇を阻み初優勝を勝ち取った。(これは衝撃的だったなぁ)
更にテニスにおける「一大改革」が起こった。
「デカラケ」そう、ビックフェイスラケットの登場だ。ナブラチロワが使っていた「ヨネックスR7」をなけなしのこづかいで買ったっけ。
夢中になった。
最長記録は16日間ぶっ続けでコートに通って練習をした。
5年ほど、そんな夢中の時を過ごして私は別のラケット競技に転向するのだが、それからずっとテニス中継は見続けてきた。
錦織のコーチのマイケル・チャンなどは「ジュニア」の時代から知っている。
嘘ではない。
日本で行われたジュニアの国別対抗戦で、彼が14歳でシングルスに出ているのを記憶している。
チームメイトは、のちの世界ランキング1位のジム・クーリエだった。
チャンがフレンチ・オープンで優勝したときに紙のメモを見ながら、優勝コメントをしたのを覚えている。
・・・・こんな話をエンエンと続けると、終わりがない。
先を急ごう。
私が忘れられないウィンブルドンがある。
「ケビン・カレン」という選手の話。
ウィンブルドン1985年、4回戦でステファン・エドベリ、準々決勝では第1シードのジョン・マッケンロー、そして準決勝ではベテランのジミー・コナーズを破って自身2度目の4大大会決勝進出を果たした。
まさに「快進撃」だった。
しかし、・・・・・・。
決勝で当たったのが「ボリス・ベッカー」西ドイツの超新星。
それまでの快進撃をおもえば、当然カレンが優勝するべき大会だった。
現実は残酷だ。
快進撃を続け、本人人生最高のプレーができた大会に「それ以上の好調さ」をもった選手の引き立て役に回らされてしまう。
今回の錦織選手が、ケビン・カレンだと言っているのではない。
むしろ逆だと思っている。
長身選手のビックサーバーは「大成」しない。
「波」が大きすぎるのだ。
ただ、こうした選手の「爆発力」は大波となって呑み込んでしまうことがおおい。
チリッチは、そうした選手だ。(デルポトロもかなり近いイメージ)
錦織の安定感が増していけば、必ず「次」が来る。
・・・・しかし、かれが「ケビン・カレン」にならないとも言えない。
ただ、思う。
私が生きているうちに「グランドスラムの決勝」の進む選手が現れたのだ。
それだけで、少しでもテニスを齧った者として「至福」を味わうことができた。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、初老になったときに味わえる「至福」が存在しますように。
May
連日のUSオープン中継のレポートしてたテレビ朝日の横地明子レポーターが、雉子牟田明子(往年の女子テニスプレーヤー)だと思ってた。(どうやら別人らしい)