完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

どこまでも曖昧になる「境界線」       ~教師における「入学式」~

2014年05月03日 | 時事ネタ
私は初老男である。


関東地方の「桜」は、もう散ってしまっただろうね。


豪雪地帯のわが地域は、今日つぼみが膨らみ始めたところでね。


それでも、わたしの子どもの頃はGW(ゴールデンウィーク)の頃が桜の見ごろだった。


これも温暖化の影響だろうか?



さて、少し前の話。



学校の先生が、自分の子どもの入学式に出席するために、勤務している学校の入学式を「欠席」したことがニュースで報じられていた。



・・・ついに、こうした問題が「表面化」したかと、初老男は感慨深い。




私が「初老男」を名乗っていることを認識している読者の皆さんは、もう想像がつくだろうけれど・・・。



私は「そのこと」を非難するつもりはない。


わたしの周りの人に聞いても「賛否両論」であり、当然どちらが正解でどちらが不正解などと言えるものではない。


実際こうした問題は、思うにかなり昔からあったはずだ。


ただ「表」に出てこなかっただけだろう。


つまり、あったにせよ、それほどの「数」ではなかったと推察する。



逆に言えば「大した数」でないものは、あまり表に出すべきではないのだ。


そんな風に初老男は思う。






・・・・気が付けば2週間近くも間が開いてしまった。


ちょっとしたことで、人間というのは「逸脱」してしまう。


まあ、それほどのものではないがキーボードを叩くことをやらない日はない。


しかし、個人的なことではマウスを動かしクリックするだけという日が続いていたのである。



こうして間が空いた時の「定番の言い訳」・・・言いたいこと、Upしたいことはたくさんあったのだ。


ただ、緊迫感も切迫感もない。


アクセス数は、ありがたいことに毎日変わらないどころかUPを続けている時より多いくらいだ。(読者貴兄に感謝)



まあ、そんな言い訳は終わりにしてUpを続けよう。



先生が自分の子供の入学式に出席して、自分の勤務する学校の入学式に出席しないという行為。



「教師」という職業の位置が今の日本において言えば10年どころか、5年前とさえずいぶん変わってきている。


だから、私がここに記することは当然わたしの感覚だから、今の一般の人たちと違うかもしれない。


そのことを前提に、これ以降は読んでほしい。


私はその職業において、地位において「仕事」より「プライベート」を優先した場合、そうした「家族の絆」のようなものを手にした代わりに「同等の何かを失う」と思った方がよい。


初老男になってからの一番の教訓がこれである。


人生においての、自分が気が付かない部分で「失っているもの」は少ないない。


ただ、教師という職業の人はプライベートを優先した場合「親からの信頼」を少なからず失ったと考えるべきだろう。


わたしは、自分の担任するクラスの親と初めて会う機会をプライベートのことで逃す先生を「信頼する」ことはできない。


残念ながら、そのクラスを担任する1年ないしそれ以上の間には、様々なことが起きるであろう。


緊迫した状況にならなければ幸い。


かなり緊迫した状況に遭遇したすることもあるだろう。



そうしたときに、こどもはともかく、親は「この先生は自分のクラスの入学式にもいなかったくせに」と思わないだろうか?


私は真っ先にそう思うタイプである。





時代は変わっている。


私のような古い感覚の親は「多くない」かもしれない。


しかし、人間なんて悲しいかな「感情」で生きている。


だから、自分のことは棚に上げて「この先生は、自分のクラスの入学式に出なかった」ってことに拘るだろう。



私の世代の人間は、そう考える人の方が多い。





「先生」という職業は「聖職」であるといわれ尊敬(?)されるのは、そうした部分があるからだと私は思う。


・・・あくまで初老男の感覚です。




今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、世の中は理不尽な「感情」というものでできていることを理解しますように。



        May



まあ、私の知っている教師という職業のイメージからは、今の教師たちはズレまくってしまってるだろうけれど。





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