完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

出来不出来はあるわなぁ・・・。    ~司馬遼太郎「世に棲む日日」読み終わりました~

2013年07月02日 | 
私は初老男である。


この頃は、若いときの半分くらいしかい本を読めない。


年間に何冊の本を読んでいるか?

皆さんもちょっと思い出してみて欲しい。


今私は大体30~40冊くらい読めているだろうか・・・。


これは前から言っているのだが、週刊雑誌は年間に52冊発行される。


だから、一週間に1冊の本を読むと年間52冊読んだことになる。


年間100冊以上読もうとおもうえば、ほぼ三日で1冊読まないとそれを達成できない。


現代人がこの数をこなすのは、かなり高いハードルではないだろうか。


私の若いときの最高で110数冊読んだ記憶がある。



と言うことで、



      司馬遼太郎著  「世に棲む日日」(全4巻)


読み終わりました。


この小説は、前半を「吉田松陰」後半を「高杉晋作」この二人を中心とした幕末ものである。

しかも吉田と高杉と言えば、まさにその明治維新のキッカケとなった長州藩の二大巨頭だ。


司馬遼太郎も、得意の「見てきたような言い切り(思い込み)」で二人の性格と行動を、バッタバッタと進めていく。

この人の小説の最大の魅力は、この「見てきたような~」である。


小説と言うものはどこまで行っても作家自身の「想像の産物」でしかない。そこに小説家自身にケレンがあったのでは説得力も何もあったものではない。

もともと「想像」なんだから、説得力がないのは当たり前なんだけどね。

それを信じさせることこそが作家の腕であり、信じさせられることが読書家の楽しみなんだ。



・・・とここまで書いておきながらなんであるが、この小説は彼の小説の中では「イマイチ」に感じてしまうのは私だけだろうか・・・。



つづく





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