私は初老男である。
先週の最強寒波が去った後、昨日は大雨が降った。
雪国に住んでいる人しかわからにであろうが、これは非常に「危険」なのである。
まあ、単純に平地の居住区にはそれほどでもないが、山際の道などは一気に雪質が緩み「雪崩」が起きる。
この歳まで生きてきて、感覚的なことだがこうした極端な気象変化が一番昔と違うような気がする。
さて、実はずっと気になっていた本があった。
浅田次郎著 「一刀斎夢録」(上・下)
である。
初老男の小遣いは少ない。
結構前に出版されたこの本は、上下巻各1600円である。
締めて3200円・・・。
情けない話だが、ついつい手が出なかった。
それがリサイクルショップで半額になってやっと買う気になった。(・・・いじましいものだ・・・。)
さて、この「一刀斎夢録」は知る人ぞ知る「浅田の新選組物」だ。
そして私が「狙っていた斎藤一」の話だ。(なにを狙っていたかは後記)
最近の歴史小説・歴史ドラマの流れは「サイド・ストーリー」になりつつあると思う。
わが地域の誇り大河ドラマ「天地人」などは、その最たるもので、関ヶ原の「敗者」が主人公になったのははじめてだった。
今回の「八重の桜」なども、明治維新の主役が「薩摩・長州・土佐」または「勝海舟・榎本武揚」であるとするならば、この「会津藩」の話の、さらに新島襄の嫁さんの話はサイドストーリーの最たるものだろう。
新選組の中心は、当然「近藤・土方・沖田」であり、外れても「原田・藤堂・長倉」ぐらいで「斎藤一」は、それほど上とランキングする人は今まで多くなかったはずだ。
数年前の大河ドラマ「新選組!」の中で、オダギリジョーがこの役をやって女性の人気が出たキャラクターといえば覚えている人もいるだろう。
とにかく、新選組のメンバーで維新後も生き残ったのは数名しかいない。というか、生き残った方が奇跡的なんだけどね。
その中でもこの「斎藤一」はとても腕が立ったという。
見方によって「沖田総司」と対極にいる存在で彼の「影」のような存在に見える。
数々の華やかな伝説(その容姿・その最後等々)に彩られた沖田に対し、なんとなく暗いイメージで数度の改名を繰り返し長命だったという斎藤。
私のようなヒネタ性格の初老男には、この斎藤の方に断然興味をそそられるのである。
彼は、その名前を「山口一」「斎藤一」「山口二郎(次郎)」「一戸(一瀬)伝八」「藤田五郎」と何度も変えている。
少々調べてみたところ、この時代は「名前」と言うものにあまり執着がなかったらしく、あの西郷隆盛も「隆盛」が記録した人の聞き違いだったとか、弟の西郷従道も「じゅうどう」でなく「つぐみち」が正しいとか、とかくいい加減だったらしい。
その中で斎藤が過去を否定するように何度も改名を繰り返したことに、大きな意味があるのではないかと思っていた。
私が前出の「狙っていた」のは、この改名(なぜかすべてに数字にが入っている)の意味と、彼のその改名による人生の遍歴を小説にして華々しく「文壇デビュー」を狙っていたのだ!
笑いたい奴は、笑えばいい~~~!
残念ながらこの野望は、現在の「新選組物のエキスパート」浅田次郎によって打ち砕かれてしまった。
実は浅田氏の先著「壬生義士伝」の中で、かなりの部分がこの「斎藤の語り」調で表されていて「マズイ」と思っていたのだ。
私程度の歴史好きで幕末・新選組を調べてみた人(でさらにヒネタ人)は、新選組の既成のイメージに疑問を持つことがあったのではないだろうか?
特に沖田総司が本当に美男子だったのかとか、近藤勇が甲陽鎮撫隊でなぜあれほど進軍が遅かったとか、さらに幕末すべての疑問の細かいことに対して・・・。
長生きをして、さらに幕末から明治中期まで生きた「剣客」である斎藤であれば、そのかなりの部分を知っている可能性は「非常」に高い。
様々な疑問をこじつけでなく可能性の高い予測でつなぎ合わせ、斎藤の「語り」と言う形で小説に仕立てると・・・この本になった、という感じなのだ。
もちろん、小説である。故に誇張や創作の部分も多くあるだろう。
しかし、今までの新選組・幕末・維新物では、どうしてもブツ切りの感があった事柄の流れが、この本によって「つながった」気がするのである。
・・・・・・本当に「くやしい」のであるが、逆にとてもカタルシスも感じている。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、興味のあることの疑問がいつか解ける日が来ますように。
May
幕末・維新のことを分かろうとしたら、幕府側・倒幕側・その他の3方向から見ないと本当のことがわからない。そうした意味で今回の大河ドラマ「八重の桜」は、かなりオモシロいな。
先週の最強寒波が去った後、昨日は大雨が降った。
雪国に住んでいる人しかわからにであろうが、これは非常に「危険」なのである。
まあ、単純に平地の居住区にはそれほどでもないが、山際の道などは一気に雪質が緩み「雪崩」が起きる。
この歳まで生きてきて、感覚的なことだがこうした極端な気象変化が一番昔と違うような気がする。
さて、実はずっと気になっていた本があった。
浅田次郎著 「一刀斎夢録」(上・下)
である。
初老男の小遣いは少ない。
結構前に出版されたこの本は、上下巻各1600円である。
締めて3200円・・・。
情けない話だが、ついつい手が出なかった。
それがリサイクルショップで半額になってやっと買う気になった。(・・・いじましいものだ・・・。)
さて、この「一刀斎夢録」は知る人ぞ知る「浅田の新選組物」だ。
そして私が「狙っていた斎藤一」の話だ。(なにを狙っていたかは後記)
最近の歴史小説・歴史ドラマの流れは「サイド・ストーリー」になりつつあると思う。
わが地域の誇り大河ドラマ「天地人」などは、その最たるもので、関ヶ原の「敗者」が主人公になったのははじめてだった。
今回の「八重の桜」なども、明治維新の主役が「薩摩・長州・土佐」または「勝海舟・榎本武揚」であるとするならば、この「会津藩」の話の、さらに新島襄の嫁さんの話はサイドストーリーの最たるものだろう。
新選組の中心は、当然「近藤・土方・沖田」であり、外れても「原田・藤堂・長倉」ぐらいで「斎藤一」は、それほど上とランキングする人は今まで多くなかったはずだ。
数年前の大河ドラマ「新選組!」の中で、オダギリジョーがこの役をやって女性の人気が出たキャラクターといえば覚えている人もいるだろう。
とにかく、新選組のメンバーで維新後も生き残ったのは数名しかいない。というか、生き残った方が奇跡的なんだけどね。
その中でもこの「斎藤一」はとても腕が立ったという。
見方によって「沖田総司」と対極にいる存在で彼の「影」のような存在に見える。
数々の華やかな伝説(その容姿・その最後等々)に彩られた沖田に対し、なんとなく暗いイメージで数度の改名を繰り返し長命だったという斎藤。
私のようなヒネタ性格の初老男には、この斎藤の方に断然興味をそそられるのである。
彼は、その名前を「山口一」「斎藤一」「山口二郎(次郎)」「一戸(一瀬)伝八」「藤田五郎」と何度も変えている。
少々調べてみたところ、この時代は「名前」と言うものにあまり執着がなかったらしく、あの西郷隆盛も「隆盛」が記録した人の聞き違いだったとか、弟の西郷従道も「じゅうどう」でなく「つぐみち」が正しいとか、とかくいい加減だったらしい。
その中で斎藤が過去を否定するように何度も改名を繰り返したことに、大きな意味があるのではないかと思っていた。
私が前出の「狙っていた」のは、この改名(なぜかすべてに数字にが入っている)の意味と、彼のその改名による人生の遍歴を小説にして華々しく「文壇デビュー」を狙っていたのだ!
笑いたい奴は、笑えばいい~~~!
残念ながらこの野望は、現在の「新選組物のエキスパート」浅田次郎によって打ち砕かれてしまった。
実は浅田氏の先著「壬生義士伝」の中で、かなりの部分がこの「斎藤の語り」調で表されていて「マズイ」と思っていたのだ。
私程度の歴史好きで幕末・新選組を調べてみた人(でさらにヒネタ人)は、新選組の既成のイメージに疑問を持つことがあったのではないだろうか?
特に沖田総司が本当に美男子だったのかとか、近藤勇が甲陽鎮撫隊でなぜあれほど進軍が遅かったとか、さらに幕末すべての疑問の細かいことに対して・・・。
長生きをして、さらに幕末から明治中期まで生きた「剣客」である斎藤であれば、そのかなりの部分を知っている可能性は「非常」に高い。
様々な疑問をこじつけでなく可能性の高い予測でつなぎ合わせ、斎藤の「語り」と言う形で小説に仕立てると・・・この本になった、という感じなのだ。
もちろん、小説である。故に誇張や創作の部分も多くあるだろう。
しかし、今までの新選組・幕末・維新物では、どうしてもブツ切りの感があった事柄の流れが、この本によって「つながった」気がするのである。
・・・・・・本当に「くやしい」のであるが、逆にとてもカタルシスも感じている。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、興味のあることの疑問がいつか解ける日が来ますように。
May
幕末・維新のことを分かろうとしたら、幕府側・倒幕側・その他の3方向から見ないと本当のことがわからない。そうした意味で今回の大河ドラマ「八重の桜」は、かなりオモシロいな。