私は初老男である。
大平シローが死んだ。
このブログの読者の中で「MANZAIブーム」を原体験した人はどれくらいいるのだろう。
まあ、ほとんどおるまい。
これは私の思い込みなのだが、サブロー・シローのネタは彼の方が作っていたのではないだろうか。
得意ネタの「酔っ払い」は、やっている本人でしか分からないキレの出来だったからなぁ。
実はシローが、なぜお笑いの世界(芸能界)から退くことになったかまったく知らない初老男である。
天才漫才師が、その天分を発揮できずにこんな形で夭逝してしまったことを痛ましく思わずにはいられない。
心から合掌。
さて本当は、毎年恒例の「野沢温泉スキー」のことをUpしようと思っていたのだけれど、見逃していた大河ドラマの第4回を先ほど見て、出来の良さについそのことをUpする気になった。
近来「大河ドラマ」の質が落ちたのは、「人気取り」に走ってしまったことが第一だ。
現実的に実力のある俳優が減ってしまったこともあるだろうが、それにしても「ジャニーズ頼み」ってのはひどすぎる。(ジャニーズが悪いという意味ではないです。使い方が問題と言いたい)
それとてうまい脚本と演出があれば、ちゃんとした物になったはずだ。
結局、バランスが悪かったってことだな。
私としては、昨年の「江」における鈴木保奈美の「お市の方」や、宮沢りえの「茶々(淀殿)」、北大路 欣也の「徳川家康」なんかは、完全なミスキャストに思える。
今回の「平清盛」は、そうした意味で非常にバランスが良い。
キャストでも、本当に無理がない。
今のところ出演者に「意外」とか「おかしい」っていうところがない。(もちろん、初老男の感覚です)
大河の話をするときに、いつも出す話であるが、大河ドラマと言うのは前年に出演した役者を使えない。(例外があるのか?確認はしていないが?)
故に、昨年の「江」に出演した女優陣は今回使えない。
そうした中で今回の宮中を中心とした女官等のキャスティングに、影響が大きかったはずだ。
しかし、今のところ女優陣は一人一人の個性も際立って、その役のキャステングにピタリとはまっている。
これから現れる女優陣も楽しみだ。
今回の大河ドラマの特徴は、各回において必ず「見どころ」があるという点だろう。
第4回での見どころは、私の見立てでは2つ。
一つ目は
「宮中の閨での鳥羽上皇(三上博史)と璋子(檀れい)の会話」
である。
録画している人がいたら、プレイバックしてみて欲しい。
鳥羽上皇が璋子の言葉に唖然としながら去っていくシーン。
そのちょっとした瞬間に「目のパッチリ開いた黒い子猫」が、映し出される。
この黒猫がとても印象的に場面を引き締めている。
二つ目は
「幔幕の中での為義(小日向文世)が忠盛(中井貴一)を襲うシーン」
どこかの知事さんが「画面が汚い」とのたまったが、単純に「汚い」のではない。
これは一昨年の大河「龍馬伝」の時の映画の手法と同じである。
画面を「舞台」と見立て、すべてのシーンに光を当て、出演者を目立たせる方式は、いかにも旧時代的な大河ドラマらしくはあるが、残念ながら深みがでない。
「光の当たる部分」より、逆に「影の部分」こそが人間の心理を如実に表すのだ。
この後互いの親子が、語り合うシーンも非常によい。
全編を通じて「宮中」(男女の怨念・政治的駆け引き)「武家」(親子の情念)がうまく組合わせることで、ドラマ全体のバランスが保たれている。
最後に忠盛が、自分の世代では成し遂げられない「武家社会」の構築を息子達に託すらしき意識が、うまい具合に次回への伏線になっている。
って、じつは第5回も見ちゃったから、その見どころも書きたいところだが、今回はこの辺で。
今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んでいる皆さんもドラマのワンシーンに、深いものを読み取れますように。
May
しかし、中井貴一の宮中着は数年前の映画「陰陽師」そのままだねぇ。
大平シローが死んだ。
このブログの読者の中で「MANZAIブーム」を原体験した人はどれくらいいるのだろう。
まあ、ほとんどおるまい。
これは私の思い込みなのだが、サブロー・シローのネタは彼の方が作っていたのではないだろうか。
得意ネタの「酔っ払い」は、やっている本人でしか分からないキレの出来だったからなぁ。
実はシローが、なぜお笑いの世界(芸能界)から退くことになったかまったく知らない初老男である。
天才漫才師が、その天分を発揮できずにこんな形で夭逝してしまったことを痛ましく思わずにはいられない。
心から合掌。
さて本当は、毎年恒例の「野沢温泉スキー」のことをUpしようと思っていたのだけれど、見逃していた大河ドラマの第4回を先ほど見て、出来の良さについそのことをUpする気になった。
近来「大河ドラマ」の質が落ちたのは、「人気取り」に走ってしまったことが第一だ。
現実的に実力のある俳優が減ってしまったこともあるだろうが、それにしても「ジャニーズ頼み」ってのはひどすぎる。(ジャニーズが悪いという意味ではないです。使い方が問題と言いたい)
それとてうまい脚本と演出があれば、ちゃんとした物になったはずだ。
結局、バランスが悪かったってことだな。
私としては、昨年の「江」における鈴木保奈美の「お市の方」や、宮沢りえの「茶々(淀殿)」、北大路 欣也の「徳川家康」なんかは、完全なミスキャストに思える。
今回の「平清盛」は、そうした意味で非常にバランスが良い。
キャストでも、本当に無理がない。
今のところ出演者に「意外」とか「おかしい」っていうところがない。(もちろん、初老男の感覚です)
大河の話をするときに、いつも出す話であるが、大河ドラマと言うのは前年に出演した役者を使えない。(例外があるのか?確認はしていないが?)
故に、昨年の「江」に出演した女優陣は今回使えない。
そうした中で今回の宮中を中心とした女官等のキャスティングに、影響が大きかったはずだ。
しかし、今のところ女優陣は一人一人の個性も際立って、その役のキャステングにピタリとはまっている。
これから現れる女優陣も楽しみだ。
今回の大河ドラマの特徴は、各回において必ず「見どころ」があるという点だろう。
第4回での見どころは、私の見立てでは2つ。
一つ目は
「宮中の閨での鳥羽上皇(三上博史)と璋子(檀れい)の会話」
である。
録画している人がいたら、プレイバックしてみて欲しい。
鳥羽上皇が璋子の言葉に唖然としながら去っていくシーン。
そのちょっとした瞬間に「目のパッチリ開いた黒い子猫」が、映し出される。
この黒猫がとても印象的に場面を引き締めている。
二つ目は
「幔幕の中での為義(小日向文世)が忠盛(中井貴一)を襲うシーン」
どこかの知事さんが「画面が汚い」とのたまったが、単純に「汚い」のではない。
これは一昨年の大河「龍馬伝」の時の映画の手法と同じである。
画面を「舞台」と見立て、すべてのシーンに光を当て、出演者を目立たせる方式は、いかにも旧時代的な大河ドラマらしくはあるが、残念ながら深みがでない。
「光の当たる部分」より、逆に「影の部分」こそが人間の心理を如実に表すのだ。
この後互いの親子が、語り合うシーンも非常によい。
全編を通じて「宮中」(男女の怨念・政治的駆け引き)「武家」(親子の情念)がうまく組合わせることで、ドラマ全体のバランスが保たれている。
最後に忠盛が、自分の世代では成し遂げられない「武家社会」の構築を息子達に託すらしき意識が、うまい具合に次回への伏線になっている。
って、じつは第5回も見ちゃったから、その見どころも書きたいところだが、今回はこの辺で。
今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んでいる皆さんもドラマのワンシーンに、深いものを読み取れますように。
May
しかし、中井貴一の宮中着は数年前の映画「陰陽師」そのままだねぇ。