完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

佐瀬 稔著 「残された山靴」 読み終わりました。   ~何度読んでも・・・~

2012年02月18日 | 
私は初老男である。

一週間ほど前に、男3人で毎年恒例の野沢温泉にスキーに行った。

いつもは4人なのだが、一人は都合でいけなかった。

その時に気がついたのだが、同じ50歳を過ぎた男と言っても、というより逆にその年になったからこそなのかもしれないが、まったく興味のある部分が違うということ。

ちょうど日曜・月曜でいったので、泊りの夜は「清盛」そしてそのあと「サッカーロンドン五輪予選」の二本立てだったが・・・。

私以外の二人は、どちらにもほとんど興味が無いという。

・・・信じられなかった。

あろうことか一人は昼間のスキーの疲れと宴会の酒が聞いたらしく、サッカーが始まることには大きな鼾をかいて寝てしまった。

私の方がおかしいのか?


と言うことで、佐瀬稔著

 
         「残された山靴」

読み終わりました。

人間の「好奇心」と言うものはとても面白い。

先ほどの男どもは、大河ドラマにもサッカーにも興味がなかった。

であれば、逆に奴らの興味のあるものに、私がまったく興味がないことも十分あり得る。


そうした意味で言えば、別に不思議がることはないのだろう・・・。

逆に様々なことにこの歳になって旺盛な好奇心を持っている方がやっぱり「変」なのだろう。

まあ、これでも昔よりは気になる事が減ったんだけどなぁ・・・。


そうした好奇心旺盛な私が昔から興味を持っている事の一つに

        「アルピニストの意識」

がある。

私は体を動かすことの中で、なにが一番嫌いといって「山登り」ほど嫌いなものはない。

山登りの「爽快感」や、その良さを語ってくれる人はたくさんいたが、未だかつて全くそのことの意味が分からない。

であるからこそ、逆にそのアルピニストの精神や、山を登ることの意味を知りたいのである。

この本を読むと、その一端が垣間見える。もちろん、本当のことなど絶対に理解できないのだろうけれど。

だから、この本を皮切りに何冊が山に関する本を読むことになったっけ。


「残された山靴」は、ずいぶん前の本だ。

知人がかなりの高齢でありなが山登りを続けていて、この本を貸してくれた。

それももう10年ほど前のことだ。


私の全くわからない世界の話でありながら、非常に惹かれる文章と内容。

何度か借りては読んでいたが、ついに文庫本化されて手に入れた。


副題を記さなかったが、この本は著者佐瀬稔の「遺稿集」である。


そう思うと本というものは不思議なものだ。

本にでてくるアルピニスト・クライマー・冒険家たちはほとんど亡くなっている。そして、著者もずいぶん前に亡くなっている。

しかし、この本はずっと刷を重ね、彼らを全く知らない人たちに読まれ続けていく。

「山に登る」「命を懸けた冒険をする」そのことでしか、生きている意味を見いだせない人間が、たしかに存在しているのだ。

私のように平凡に「生きること」に執着している人間にはやはりどこまで行っても理解できはしない。

しかし、理解できなくてもハンマーで頭を殴られたような衝撃的感動することはできる。

日頃、小説やエッセー・雑誌のコラムなどばかり読んでいると、こうした本に出会うと目が覚める思いになる。

本は素晴らしい。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んだみんなが、生きている限り様々なことに興味を抱きますように。


                         May

日本人初となるヒマラヤ8000メートル峰全14座の完全登頂を目指す「14 PROJECT」(読売新聞社後援)に挑戦中の登山家、竹内洋岳(ひろたか)(41)は16日、最後の1座となる「ダウラギリ」(ネパール、8167メートル)の登山計画を発表した。

何年の時が過ぎても、登山家はいなくならない。






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