完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

城繁幸著「若者はなぜ3年でやめるのか?」読み終わりました

2007年04月02日 | 
私は中年である。

ついに4月になった。まずいことに1日が日曜日なのであまり実感がないが
間違いなく新年度である。

様々なことにおいての「区切り」がついて新しいことが始まる。
平成18年度の総決算の意味の「総会」なるものが大小いくつもある。

中年の私であるが田舎の農村の「行政」や「隣組」においては「若手」なのである。

参加する人たちの平均年齢は50歳代初めくらいだろうか・・・。

私もかなり「言いたいことを言う」人間なのだが、そうした人たちの
中で「したり顔」でモノを言えるほどのつよさを持ってはいない。

それでも、そうした所に顔を出しておく必要がある。

これから更に歳を取って本当に「言いたいことを言う」ためには、そこに
顔を出し、大して面白くも無い話を聞いたという「実績」が必要なのだ。

こんな風に考えるのも「中年」なのだからだろうか?


さて、昨年の後半に出版され話題になった

 「若者はなぜ3年でやめるのか?」~年功序列が奪う日本の未来~

                              城繁幸著

を読み終わった。

この本を読んで、漠然としていた「不安感」の理由がかなりしっかり見えて
きた気がする。

我々中年はある意味本当に「良い時代」に生きてきたと言える。
「高度経済成長」の最大の恩恵を受けた世代だろう。

もちろん今ほどの「利便性」がある時代ではない。そのかわり政治・経済的な
逼塞感と言うものなど「微塵」も感じなかった世代だ。

そう「明るい未来」しか考えなかった。

職に就き結婚をし、子どもを作り悠々自適な老後を迎えることに
疑問を抱いたりはしなかった。

もちろん、頭の良し悪しでもらえる給料には差があるだろうことは
仕方の無いことと割り切って・・・。

江戸時代からの「封建制度」の中での「滅私奉公」の意識が戦時中に
受け継がれ、更に高度成長期の日本にも重要な「武器」となったのだと私は思う。

その武器の源流に流れるものが「年功序列」であり、ある一定時期の日本において
それは非常に効果的だった。しかし、それはずっと同じ成長が続かないと「破綻」
してしまう脆弱なものでもあったのだ。

実はそれは随分前に「破綻」する予感があったはずなのだ。(これは「年金制度」
の運用に酷似している)

政治にこのことを期待しても無理なのだろうけれど「国民の生命財産を守る」
ことが政府の役目だとしたら、もっと早くに自国の「将来」を考えて欲しかった。


この本には、その「年功序列」の功罪と現時点の崩壊する「年功序列」から
「その先にあるもの」について、非常に冷静に分析している。


私にも娘が二人いる。彼女らの「将来」に不安を抱きながら、ならばどういう
「経済的、労働条件的新秩序」(アア、漢字がいっぱい・・・)が必要なのか?
正しいのか?と不安を募らせていたところだった。

人間・・・いや、生物は皆「変化」を欲しながら「安定」を求める。

この矛盾することを上手に解決できれば「発展」していくが、現代のように
高度な要件を満たしながらの「変化」は少しのミスが、すぐに「不安定」に
繋がってしまう。

この本では、我々「中年」世代以前の日本人の感覚の鈍さ・狡さが今の
日本全体の「不安定」をもたらしたのだと結論付けている。

実感としてその結論に力弱くもうなづいてしまう私なのだ。
この本は、いまこそ読んでおくべき本だとお奨めする。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが日本の「明るい未来」を信じれる日が早く来ますように。

春になってせいもあるけれど、慣れない職場で疲れるためか眠くて眠くて・・・。                          may

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