完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

リリー・フランキー著「東京タワー」読み終わりました

2006年08月22日 | 
私は中年である。
季節というものは残酷なもので「徐々に」は
変わらず「いきなり」変わってしまう。

そこに「時の流れ」を、突きつけられる気が
している「中年」である。

私にとって今、最高の贅沢はエアコンの効いた部屋で
ゆっくり本を読むことである。

前のブログでもUpしたが、自分の部屋にはエアコンが
無いわけで、先日同級会を欠席して健康ランドに行き
真昼間から湯に浸かり、ゆっくりと本を読んだ。
昨年の「本屋大賞」を受賞した「東京タワー」である。

著者のリリー・フランキーとは私と同じ「中年」である。
(私と2・3歳しか違わないらしい)そのため、自然に
感情移入して読めた。

時代の流れと本の内容が、ほとんど自分の体験と一致して
いることの不思議さを味わうのは「ちびまるこちゃん」以来だ。
(ちなみに、さくらももこも私と2・3歳しか違わない)

読書を趣味にしてくると、文章に通して著者がどんな経験を
して来たかおぼろげながらわかってくる。

読み始めて最初に感じたのは、リリー・フランキーはこうした
長編をあまり書いたことが無さそうに感じた。

独特の雰囲気がそこここに漂い。非常に力が抜けていて「力み」が
ない。実に淡々と進んでいく。しかし、淡々と進みすぎて、次に
話をつないでいく力が弱く感じるところがあった。

          !!!注意!!!
これからあとは、本の内容にかかわる事柄についてUpしています。
     本を読むつもりの人は注意してください。

内容はこれから読む人がいるから詳しくは記さないが、著者の
完全なる「私小説」であり、自分の半生を母親(オカン)との
関係を中心に描いている。結果的の誰もが一度は経験する
「別れ」の時まで・・・。

私も6年前に母を亡くした。
交通事故だった。親父の運転していた買ったばかりの軽トラは、
彼女を乗せたまま、高速道路の側道のコンクリートウォールに
激突した。死因は失血性のショック死だった。

その朝は私が早く出勤したせいで、母とは顔を合わせなかった。
だから、彼女と交わした最後の言葉さえ覚えていない。

前の晩に居所寝をしている彼女に「風邪ひくぜ」と声をかけた
私に「ウォ」とも「ウェ」とも聞こえる返事を返したのが
最後だったように思える。

そのため、この本のような母親が苦しむ様を見ることは無かった。
それは幸運であったろう。母自身もほぼ即死の状態だったことは
苦しまなかったことを意味する。そして、他に被害者がいなかった
ことが、最大の不幸中の幸いだった。

だが、その代わりに母が亡くなる原因を作った親父に対する「近親
憎悪」に今も苦しんでいる。

著者は、私とは逆に「苦しむ母」を最期まで看取り、その中で
母に対する思いと自分の人生を重ねて小説を進めている。
その壮絶さには、やはり鬼気迫るものがある。

同世代のリリー・フランキーのこの「東京タワー」は、内容としては
瞠目すべき点は無い。壮絶であるが「平凡」だ。

そして、この小説が良い出来であればあるほど、次回作に苦しむことに
なるだろう。なぜなら「私小説」ほど書きやすいものは無いからだ。

しかし、そうした点を差し引いても、彼の感受性に時代的ノスタルジーを
プラスして、淡々とした独特の文章に仕上げたことに「賞賛」を送らずには
いられない。是非、一読をお奨めしたい。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
「男は母親を亡くして初めて一人前だから・・・」     may













コメント (3)
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